トップへ

『J・ディラと《ドーナツ》のビート革命』訳者・吉田雅史に聞く、ヒップホップ批評の新たな手法

2018年08月25日 19:31  リアルサウンド

リアルサウンド

写真

 もしあなたがヒップホップのビートについて思いを巡らせたことがあるなら、2006年に発表されたJ・ディラのアルバム『Donuts』が特別な作品であることに疑いはないだろう。ジャンルを問わずあらゆる音源からサンプリングし、その手法の可能性を最大限に引き出すテクニック、あえてクォンタイズをかけないことで生まれる絶妙にヨレたビート、溢れるほどのアイデアの中に滲み出る深い音楽愛、そして迫り来る死の匂いーーアルバムを通して聴けば、彼がどれほどの時間=人生をビートメイクに捧げてきたのかが自ずと伝わり、その深遠なクリエイティビティに触れることができるはずだ。同時に、リリース直後の同年2月に32歳の若さでこの世を去った天才ビートメイカーが、なぜ最後に病床でこれほど挑戦的なアルバムを作ろうとしたのか、多くの謎を投げかけてくる作品でもある。


参考:フジロックで圧巻のライブ! アンダーソン・パーク、GREEN STAGEを熱狂のダンスフロアに


 西海岸を代表するアンダーグラウンドのヒップホップレーベル〈ストーンズ・スロウ〉の創始者であるピーナッツ・バター・ウルフに、「いくつかの曲で一体全体何をやっているのか理解できていない」と言わしめる『Donuts』には、どんな意思が込められていたのか? そもそも、もしもディラが生きていたのならば、『Donuts』は名盤足りえたのか? そうした疑問を、Q・ティップやクエストラヴ、コモンほか盟友たちの証言から紐解いていくのが、8月3日に発売されたジョーダン・ファーガソンによる書籍『J・ディラと《ドーナツ》のビート革命』のテーマだ。翻訳を手がけたのは、8th wonderのビートメイカー兼MCであり、批評家としても活動するMA$A$HIこと吉田雅史氏。『Donuts』の分析や制作過程のドキュメントにとどまらず、ビートメイキングの歴史やその独特の慣習、ヒップホップ史におけるデトロイトの位置づけにも光を当てた本書を翻訳するにあたって、吉田氏はどんな点に留意したのか。ビートメイカーであり、批評家でもある立場から語ってもらった。(編集部)


■インストヒップホップの可能性と『Donuts』の特異性


ーー本書の序文は、ピーナッツ・バター・ウルフが寄稿しています。序文の中に出てくるウルフのレコード『Peanut Butter Breaks』(1994年)は、相方で幼なじみのラッパーであるカリズマが亡くなった後に、彼が再起をかけて作り上げた作品です。短いサンプルのループとビートだけで構築されたシンプルなインストゥルメンタルの作品ながら、彼が抱いていたであろう青春の終わりに対する複雑な感情や、その強い決意が込められている作品だと感じました。吉田さんは、インストのビートアルバムのどんなところに魅力があると考えていますか。


吉田:『Peanut Butter Breaks』と素晴らしい出会い方をしたんですね。いまのお話には二つ重要なポイントがあると思います。一つは『Peanut Butter Breaks』が『Donuts』と同じようにインストのビートアルバムであること。ウルフは『Donuts』について、「DJシャドウの『Endtroducing…..』(1996年)のようなものだと思って欲しい」と言っています。インストのヒップホップは非常にマイナーなジャンルで、それほど多くの需要があるものではありませんが、その中にも『Endtroducing…..』のように後のヒップホップのみならずインスト音楽全般に大きな影響を与えた名盤はあって、『Donuts』もまたそのような作品です。そこにはインスト作品だからこその可能性が確かにあって、たとえば言葉がないゆえに感情移入しやすい部分もある。歌詞によって限定される状況がないから、誰もが自らの状況や個人的な風景を音楽に重ねることができるので、いわば「人生のサウンドトラック」となりうる。それこそが、インストヒップホップの最大の魅力だと思っています。


 それからもう一点、『Peanut Butter Breaks』から青春の終わりを感じたというのも、興味深いところです。というのも、『Peanut Butter Breaks』はA Tribe Called Questの最初の3枚のアルバム、特に3rdアルバム『Midnight Marauders』(1993年)の作風に近いところがあって、数小節のサンプリングのループをコラージュ的に重ねていく手法を用いた作品です。その手法は、ディラの世代のビートメイカーと比較すればウルフの言うところの「一世代前のビートメイカー」によるもので、実際にディラがビートメイカーとして参加した4thアルバム『Beats, Rhymes and Life』(1996年)からは本書の中では「ディラの方程式」と呼んでいるように、チョップした上モノに手弾きのベースラインを合わせるなど、全く異なるアプローチでのビートメイキングが行われています。1993年から1994年にかけて、ビートメイカーの世代交代が行われたという意味でも、『Peanut Butter Breaks』はヒップホップのゴールデンエイジという青春の終わりをビートの面で象徴する作品と言えるかもしれません。


ーー『Peanut Butter Breaks』は、二重の意味で青春の終わりを表していると。たしかにウルフは同作のリリース以降、1996年に〈ストーンズ・スロウ〉を立ち上げ、1997年からディラとの仕事を始めるなど、次世代の発掘に力を入れるようになりました。そして、1999年にはもう一人の天才ビートメイカーであるマッドリブとも契約し、2000年代にはディラとマッドリブの共作名義・ジェイリブの『Champion Sound』(2003年)をリリースするなど、独自路線を追求することで〈ストーンズ・スロウ〉はビートメイキングの世界において重要な位置を占めるようになります。


吉田:ウルフは、もともとバンドマンとしてキャリアをスタートしていて、レーベルのヘッドとしてもアヴァンギャルドな精神を抱き続けている人物です。どんなに売れなさそうなものでも自分が面白いと思ったものはリリースするタイプで、そうした自由なレーベルの気風は、やはりLAのような多文化間の交流が活発なシーンだからこそ育まれたものだと思います。ディラが故郷のデトロイトを離れてLAへ移ったのは、ライバルであり親友でもあるマッドリブの存在もさることながら、そのような気風に惹かれてのことだったのではないでしょうか。


ーーウルフは『Donuts』について、「アルバム制作を取り巻く事情を抜きにしても、僕にとってこれはストーンズ・スロウの歴史を決定づけた瞬間だったのだ。【中略】彼(ディラ)がもう一度病気になると分かるより前からすでにクラシック(名盤)だったのだ」と語っています。私自身、制作の状況などを一切知らないで『Donuts』を聴いたのですが、それでも圧倒的なクリエイティビティに特別な作品である印象を受けました。吉田さんは、『Donuts』はその背景が知られずとも、クラシック足り得た作品だと思いますか?


吉田:間違いなくクラシックと呼べる作品だと思います。僕も今回、本書の最後にディラのディスクガイドを作るに当たって、『Donuts』にまつわるエモーショナルな状況を一度抜きにして、可能な限りフラットな視点からサウンドだけを聴くように努めてみました。それでも、やはりこの作品の特異性は目立っていて、なんだか汲み尽くせない複雑さとともに、他の作品と比較すると違和感というか、異物感がある。個々の楽曲を見ても、一聴するとバラバラに思えるけれど、その並べ方や挿入されるSEによって驚くほどの統一感が与えられているんです。ディラが培ってきた様々な手法やアイデアがふんだんに詰め込まれていて、そういう意味では彼のクリエイティビティの集大成とも取れる。


 僕自身もそうですが、ディラのようなビートメイカーは毎日のようにビートメイキングをする。ひとつあたりほんの数分でスケッチのように作ってしまう。そうすると食事を取るように日常生活の中の習慣になってくるので、一曲ごとに深い思い入れがあるわけではなかったりする。ディラもある程度の数のビートがたまると、バッチと呼んでミックステープにまとめていた。だからこそスケッチのようなミックステープから、さらにアルバムというひとまとまりの作品としてどうパッケージするかが大切で、言い換えると日常の積み重ねをどのように切り出してみせるのかが、インストヒップホップにおいても非常に重要なポイントだと思います。『Donuts』の収録曲の大部分は、ディラが最後に入院する前に作られたもので、病床ではエディットを行なっていたとされています。このエディットこそが、『Donuts』をアルバムというひとつの作品にまとめあげている。そしてそのエディットが晩年を悟ったビートメイカーの視点で行われていることが、『Donuts』を単なるビート集ではなく、ひとつの芸術作品と呼びたくなるものに昇華したのではないかと考えています。たとえディラのことを知らなくても、『Donuts』からは何か尋常ではないものを感じてもおかしくない。


ーー『ディラと《ドーナツ》のビート革命』は、ディラの生涯を描いた伝記としての側面がありながら、『Donuts』をどう解釈するか、著者が見解を述べる本でもあります。翻訳をする中で、気づいたことは?


吉田:当然ながらディラ本人から話を聞くことはできないし、生前のインタビューもとても少ないので、必然的に周囲の人々の話から彼の人物像を立体的に浮かび上がらせている。本人の言葉というより、周囲の人々が彼とどんな会話をし、彼や彼の作品をどう見ていたのか、というところから『Donuts』を掘り下げていくのは、決して正解を持たない作品分析の手法としても有効なアプローチだと思いました。それに加えて、著者のジョーダン・ファーガソン自身の解釈を、哲学や現代思想の知見を交えつつ説明していくところが、ディラと『Donuts』の理解に複雑な視点をもたらしてくれます。


ーー周囲の人々の様々な解釈から、「そういう見方があったのか」と新たに発見することも多く、刺激的でした。また、精神科医のキューブラー=ロスによる「死の受容モデル」や、エドワード・サイードの「晩年のスタイル」を用いて、『Donuts』を詳細に分析していく手法も非常に面白かったです。著者のジョーダン・ファーガソンを、批評家としてはどう捉えましたか。


吉田:ジョーダンはカナダ出身ですが、アメリカのヒップホップ批評で印象的なものの中には、単に「この作品を好きな人は、きっとこの作品も気にいるはず」といったリスナーにお勧めを提示するガイドライン的なものではなく、様々な比較対象を駆使して批評家自身が独自の解釈を提示するものが少なくありません。ジョーダンがここで展開しているのは、かなり想像力を駆使した彼自身の解釈なので、そこは評価の分かれるところかもしれません。そこまで行くと妄想なのではという批判もあるかもしれない。しかし僕自身は見立てが独自の批評に惹かれるところがあるし、それらの存在によって物の見方が豊かになったと思っているので、ジョーダンの手法は刺激的でした。それから、何かを論じるにあたって、一見すると全く関係のない思想や作品をいくつか参照し、見えないところにある共通点を探りながら論を展開していくような批評は、まさにサンプリング的な手法でもあると考えています。本書の解説で、ビートメイキングのサンプリングの魅力をデペイズマンーーつまり異質なものの邂逅がもたらす驚異だと書いたのですが、本書自体にもまた、デペイズマン効果が表れていると思います。アルベール・カミュやサイードがディラの音楽と結びつくことへの驚きがある。


 それから、ジョーダンが本書の中で繰り返し、「ディラはこの本を嫌うだろう」と述べているのも、とても印象に残りました。ディラは常に未来を向いている人物で、つい3カ月前に作ったビートにさえ興味を失うタイプだったので、過去を詮索されるのはさぞかし嫌がるだろうという意味なのですが、もう一つ、この言葉には作者の挑戦的な姿勢も隠されていると思うんです。というのも、批評家は作者が意図したことを言語化するだけでなく、作者が「そういう意識はなかったけれど、言われてみればそうかもしれない」と思うような、その無意識下にある物語を引き出すのも重要ですよね。つまり「嫌うだろう」とあえて書くことで、ジョーダンはそれだけ作者の意図に反するオリジナルの解釈を提示してみせようという意思を表明している。論じる対象である作家に嫌われてもいいから、それを言語化したいとも読める書き方には、批評という営みへの思い入れを感じます。


■ディラがレペゼンし続けたデトロイト


ーービートメイキングの進化の歴史を辿った本としてもよくできていて、改めて気づかされることも多かったです。


吉田:ニューヨークで生まれたディスコブレイクの2枚使いや生演奏から、ドラムマシンの登場でRun-D.M.C.の「Sucker M.C.’s」などが生まれ、その後にマーリー・マールがサンプラーによるビートメイキングを発明するという大きな流れをしっかりと押さえつつ、ディラがラリー・スミスのビートメイキングから多大な影響を受けたことなどが丁寧に記されていて、まさにビートメイキング小史ともいえる内容になっています。ビズ・マーキー事件(ビズ・マーキーの楽曲「Alone Again」が、サンプリングの使用許可を得ていなかったために訴訟にまで発展した事件。ビズ・マーキー側が敗訴した)以降、ビートメイカーたちがどのようにしてクリアランスの問題をかいくぐってきたのか、ディラが多用する手法がそれによって生まれた新しいものであることにも間接的に触れていて、現在、主流となっているビート制作法が生まれた過程を辿ることもできます。ヒップホップの歴史を知りたかったら、ジェフ・チャンの『ヒップホップ・ジェネレーション』(リットーミュージック)のような本がありますが、ビートメイキングの歴史を知ることができる書籍はほとんど翻訳されていないので、その意味でも貴重な一冊だと思います。


ーー国内でこのような書籍が出版されるのを待ち望んでいたビートメイカーは多いでしょうね。また、ヒップホップ史におけるデトロイトの位置付けについて書かれているのもポイントだと感じました。吉田さんが本書の翻訳を通じて、デトロイトのヒップホップについて考えたことを改めて教えてください。


吉田:2000年代に入って、デトロイトからはエミネムが輩出されているから、僕ら日本人からすると、それなりにヒップホップが盛り上がっている街という印象があるかもしれない。でも本書でも言及されているようにテクノ発祥の地でクラブシーンでもテクノが優勢で、ハウス・シューズが「デトロイトの奴らは誰も、自分たちの街のヒップホップのことなんか気にしていない」というほどだと。たとえばネットでデトロイトのヒップホップを漁ってみれば、数多くのアーティストがいるけれど、全国区で売れているようなアーティストはそれほど多くない。最近でいえばノーラン・ザ・ニンジャやデンマーク・ヴェッセイなんていう本当にドープなアーティストも多いんですけどね。デトロイトのそうした閉塞感を、LAと対比させながらも忌憚なく描いているのが本書の特異なところで、ディラがアンビバレントな感情を抱きつつも、生涯に渡ってデトロイト・タイガースのキャップを被り続け、『Welcome 2 Detroit』といった作品でデトロイトをレペゼンし続けたという事実にはぐっと来るものがあります。デトロイトは自分のことなんて気にしてはいないけれど、それでも自分はデトロイトをレペゼンし続けるーーその姿勢にはヒップホップへの愛情を感じる。ディラはなんといっても、自分がビートメイクにのめり込むきっかけとなったアンプ・フィドラーや地元の仲間たちといったコミュニティに思い入れがあったのだと思います。


ーー本書を読むと、『Donuts』のジャケット写真の見方も変わってきますね。また、終盤では、ジョーダン・ファーガソンが『Donuts』の1曲1曲を細かに分析しています。ここが大きな読みどころで、サンプリングミュージックならではの音楽批評が存分に楽しめました。


吉田:サンプリングミュージックには聞こえてくる音そのものの批評だけではなく、サンプルネタのコンテクストを読み解く面白さもありますよね。ジョーダンの解釈によると、ディラは原曲で使われている言葉をうまくぼかしたりカットしたりすることによって、「fade me(俺を消し去って)」を「save me(僕を救って)」に聴かせるなど、言葉の意味さえ変えるようなエディットを施している。これは根拠のない独自の解釈というわけでもなく、ディラが過去Slum Villageの「Players」のような曲でも試みていた手法です。また、ディラは原曲のピッチを変えて、サンプルを引き伸ばすーージョーダンの言葉で言い換えれば、時間を操作して“その時”がくるのを先延ばしにしようともしている。原曲にどのように手を加えているのかを見ることで、ディラの無意識的な意図を探るわけですね。


 また、ディラがサンプリングミュージックにおける当時のビートメイカーたちの倫理観ーーたとえば「CDからはサンプリングしない」とか、「ヒップホップのレコードからサンプリングしない」といったルールをことごとく破っているのも彼のユニークなところです。ディラにとってはサンプルはあくまでサウンドの欠片であって、その歴史性などは関係なく、どれもがフラットに並べられている。このようなディラのサンプルの取り扱い方は、非常にポストモダン的なものだったと言えるわけです。今ではこの態度は当たり前のものになっていますが、当時ディラは先行していた。もし彼が今なお健在だったら、そのような態度の下で果たしてどんな作品を生み出していたのか、気になるところです。


■サンプリングソースに込められたメッセージ


ーー翻訳にあたって一番気をつけたところは?


吉田: 本書は音楽批評で、扱う対象がビートということで、やはり文体のリズム感は重視しました。たとえば接続詞や関係代名詞でつながれて長くなっている文章は、なるべく句点で区切ってしまうようにしました。翻訳に限らず文章を書く時には、このリズムで感情――いわゆるエモさをコントロールする術を探っているところがあるんです。『Donuts』はヒップホップ史に輝くクラシックである上に、その背景にあるストーリーも劇的なので、ある意味いくらでもエモーションに訴えかけるような訳し方も可能だったと思います。でもジョーダンが気遣っていたように、単にお涙頂戴的なお話にならないように抑制の効いた文体を心がけました。とはいえ、訳しながらどうしてもグッときてしまう部分もあったのですが(笑)。


ーー具体的に、どの箇所でグッときたのでしょうか。


吉田:ディラを偲ぶイベント『ディラ・デイ・デトロイト』の箇所は臨場感も抜群で、その場の観衆に憑依したような感覚に捉われました。ディラが手がけたコモンの「The Light」という楽曲は、ボビー・コールドウェルの「Open Your Eyes」をサンプリングしていて、そのイベントではDJがプレイすると皆が一斉にそのフックを歌う。「君も誰かが必要な時があるだろう、その時は僕がそばにいるよ」というラインです。涙なしには訳せなかった箇所ですが、我々はどうしてもここにディラの姿や、彼の仲間、あるいは家族の姿を重ねてしまう。あくまでもディラが亡くなったという状況ありきの話になってしまうわけですが、彼の使ったサンプリングソースにはこのように事後的に様々に解釈できるメッセージが込められている。


ーーディラが亡くなったという事実が、彼の作品の評価をそのコンテクストと分かち難くした部分は確実にあると思いますが、もともと様々な角度から深読みができる豊かさを持った作品だったということでしょうね。ビートメイカーの視点から見て、ほかに好きなエピソードはありますか?


吉田:この本には書かれていないことなんですが、ディラに関して一つ、すごく好きなエピソードがあります。ディラはレコード屋に行くと、何時間もじっくりと試聴した上で、たったの1~2枚しか買わないことが多かったそうなんです。普通、DJやビートメイカーは、レコードの最初の方だけを聴いてそのレコードがネタとして使えるかどうか判断することが多いけれど、ディラは最後までじっくりと聴いてサンプリングできるフレーズを吟味していたんですね。だから、ディラの楽曲でサンプリングされている箇所は、原曲の深いところ、曲が始まってから5分とか7分なんてところから抜かれている場合がザラです。都市伝説的な側面もあるのでしょうが、ディラは所有するレコードの何曲目のどこにどんなフレーズが入っているかを全部記憶していて、ビートにぴったり合うネタの入ったレコードを瞬時に取り出せたといいます。


 ここからはGenaktion氏のブログ「探求HIPHOP」でも紹介されているエピソードですが、ある日、友人のワジードがディラと一緒にレコード屋に行ったところ、ディラはスタンリー・カウエルのピアノトリオによるアルバム『Maimoun』を熱心に聴いていたそうです。そのレコードを既にチェックしていたワジードは「そのレコードでできることは何もないぜ、クズみたいなレコードさ」と忠告したにもかかわらず、ディラはそれを購入したそうです。そして次に会った時に、ディラは車の中で新しいビートを流していて、ワジードが「これの原曲はなんだ?」と聞いたら、「ああ、これはお前がクズだって言っていたレコードだよ」と答えたそうです。「Trashy(クズの)」と名付けられたその曲は、決して有名な曲ではありませんが、ディラの人となりや類稀なるセンスを伝える、隠れた名曲だと思います。(取材・構成=松田広宣)