8月19日にツインリンクもてぎで行われた、スーパーフォーミュラ第5戦と併催の全日本選手権JSB1000クラス。レースは予選2番手スタートの中須賀克行が優勝した。レースは序盤からHRCの高橋巧と中須賀、ヤマハファクトリーの野左根航汰の3人で三つ巴の争いとなった。
高橋は序盤レースをリードしたものの、ペースが上がらず野左根にパスされる。対して中須賀はスタートで遅れながらも、すぐに順位を回復して2番手をキープ。そして終盤に些細なミスをおかした野左根を、最終コーナー手前で抜き去り逃げ切った。はたから見れば横綱相撲。いつものように中須賀が勝ったように見えたが、今回の勝利は特別なものだった。
話は1カ月ほど前の、鈴鹿8時間耐久の土曜日に行われたフリー走行にさかのぼる。フリー走行に出走した中須賀はS字でハイサイドを起こし、右肩を脱臼してしまう。当然、翌日の決勝8時間は出走しなかったが、チームが優勝したため表彰式に姿を現した。
その時は右肩を動かすことができず、握力もほとんどなかったようで、トロフィーを掲げることすらままならない様子だった。その時は怪我の状況はアナウンスされなかったが、今回のJSB1000もてぎ大会は出場は絶望視されていた。
脱臼したということは、靭帯を損傷したと言うこと。手術をすれば、全治3カ月。今シーズンのチャンピオンは、諦めざるを得ない。ヤマハファクトリーのエースとして、2年連続でホンダにチャンピオンを渡すことだけは許されない。中須賀は、治療しながらチャンピオンを狙う道を選んだ。
もてぎに姿を現した中須賀からは怪我の影響を見て取ることはできなかったが、靭帯の損傷がたった1カ月で癒えるとは思えない。どこかで怪我の影響が出るのでは思っていたが、目に見える影響はスタートで現れた。
おそらく0kmスタートからの加速は、思った以上に肩に負担をかけたのだろう。中須賀には珍しく、スタートで出遅れた。怪我を負った彼には、小さくないハンデかと思われたがあっさりトップ争いに加わってきた。その後は前述した通り、貫禄の今期7勝目を挙げた。
怪我の影響を感じさせない圧巻のレース展開で勝利をあげた中須賀だったが、パルクフェルメで見せた表情がレースの苦しさを物語っていた。
チャンピオンシップに対する思いや、怪我からくる激痛、結果を出せたことの喜び。さまざまな感情が一気に押し寄せたのだろう。中須賀はそこで、目を潤ませていたように見えた。今回、中須賀が見せてくれたレースは本当に感動したし、レースをやる人間の本質を見せられたような気がした。
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折原弘之 1963年1月1日生まれ
1980年の東京写真専門学校中退後、鈴鹿8時間耐久レースの取材を皮切りに全日本ロードレース、モトクロスを撮影。83年からアメリカのスーパークロスを撮影し、現在のMotoGPの撮影を開始する。90年からMotoGPに加えF1の撮影を開始。現在はスーパーフォーミュラ、スーパーGTを中心に撮影している。