スズキで開発ライダーを務め、日本最大の二輪レースイベント、鈴鹿8時間耐久ロードレースにも参戦する青木宣篤が、世界最高峰のロードレースであるMotoGPをわかりやすくお届け。第12回は、レース戦略について。今のMotoGPではどのライダーも戦略を立てていないというが果たしてその理由とは。
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先日、ヨーロッパでのGPに視察に行った時、年配のスペイン人ジャーナリストにこんなことを言われた。「ノブ、知ってるか? アンドレア・ドヴィツィオーゾは今までレース前に戦略を立てたことがなかったらしいぞ!?」
そのジャーナリストは「事前に戦略立てをしないなんて、信じられない!」というニュアンスだったのだが、ワタシからすれば逆。事前にレース戦略を用意するなんて信じられない! いくら細かく作戦を立てたところで、ライバルの動向も含めて予定通りにコトが運ぶわけがない。つまり、意味がないのだ。
ちなみに第4戦スペインGPで、ドヴィは初めて事前に戦略立てをしたそうだ。結果は皆さんご存じの通り、ホルヘ・ロレンソ、ダニ・ペドロサに巻き込まれるかたちで転倒・リタイア……。レース戦略とは……。それに懲りて「やっぱり戦略なんて考えるのはやめた!」と、本来の出たトコ勝負に戻した最近は、すっかり復調……。レース戦略とは……。
選んだタイヤに応じて、「ソフトコンパウンドだから序盤はペースを抑えて後半に勝負しよう」とか、「ハードだから序盤は少し頑張らないと離されちゃうぞ」といったように、おおまかには考える。
でも、例えば「10周目に3位につけておこう。その時、前にはマルク・マルケスがいるだろうから、12周目の2コーナーでパス。トップのロッシのことは16周目まで抜かず、17周目の最終コーナーでアタックしよう」なんて具合で細かく戦略を立てても、まぁ思い通りにはならない。
だったら、「前半スパート」とか「後半スパート」程度に大ざっぱに考えておいて、あとは臨機応変にその場・その時の状況に合わせて行けばいいとワタシは思う。
世界GP250ccクラスでチャンピオンになった哲っちゃん(原田哲也さん)も「戦略なんて立ててられないよ~」と、同じことを言っていた。冷静なレース運びで“クールデビル”なんて呼ばれていた哲っちゃんでさえそうなんだから、他のライダーは推して知るべし、だ。
■戦略よりも全力で走ることが重要
「臨機応変」は、それなりに大事だ。自分の前を走るライダーのタイヤの状況を見て、挙動が大きければ抜くのをあえて少し待つ。もっとタイヤが摩耗してから一気に抜けば、追いすがって来られないだろう。
また、相手と自分の得意・不得意なコーナーを見極めることもある。でも、これらもいざレースが始まってみないと分からないことだから、事前に考えてもしかたがない。
唯一の例外は、バレンティーノ・ロッシだった。レース前、彼の頭の中にはたぶん10通りぐらいのプランがあって、「今日はこれで行こう」と決め、それを実行していたように思う。でも、ご注目いただきたいのは「ロッシだった」と過去形だってこと。今となってはロッシもプランを立てている余裕もない。
というのは、ロッシが戦略を立てられたのはマシンやタイヤにアドバンテージがあった時なのだ。
例えばロッシが得意としていた「序盤はライバルを先行させて、後半になって追い上げる」といった展開は、当然、後半になって追い上げられるだけの優位なマシン/タイヤによる余力があったからこそ可能だった。そうでなければ、先行されてそれっきりサヨウナラ、だ。
マシンやタイヤにアドバンテージを作れたのもロッシのスゴさだったわけだが、今やタイヤがワンメイク化され、ECUも共通化……。だからさすがのロッシと言えども、「戦略よりも、全力で」なのだ。
まぁ、全力の走りを39歳(!)の今も、自分よりひとまわり以上若いライダーたちを相手にやってのけているのだから、ある意味、彼が若い時よりもスゴいかも……。
マルク・マルケスの強さのヒミツは、ココにある。彼は戦略なんてまったく考えていないタイプだ(と思われる)が、それでも勝ててしまうのは圧倒的身体能力というアドバンテージがあるからだ。その余力を武器に、レース中のライバルの動向を見渡し、結果的に戦略立てに近いことができている。
だがしかし。オーストリアGPでは、そのマルケスをロレンソが打ち破った。終盤、ロレンソのタイヤは終わっていた。その背後にぴたりとつけたマルケスには、身体能力というアドバンテージがあった。
マルケスとしては、ロレンソの前に出たら一気に突き放せるという目論見だっただろう。だがロレンソは、マルケスの予想を上回る鬼気迫る走りを見せた。決してバトルが得意なタイプじゃないのに、マルケスのインをズバリと突き、思わず引かせたロレンソ。「戦略よりも、全力で」。今のMotoGPらしい、象徴的なシーンだった。
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■青木宣篤
1971年生まれ。群馬県出身。全日本ロードレース選手権を経て、1993~2004年までロードレース世界選手権に参戦し活躍。現在は豊富な経験を生かしてスズキ・MotoGPマシンの開発ライダーを務めながら、日本最大の二輪レースイベント・鈴鹿8時間耐久で上位につけるなど、レーサーとしても「現役」。