2018年08月21日 06:02 リアルサウンド
視聴率、評判ともに好調を維持しつつ、8月14日放送分より第2章に突入した、綾瀬はるか主演の『義母と娘のブルース』(TBS系、略称『ぎぼむす』)。脚本・演出・キャスティングのバランスの良さもさることながら、改めて再確認したのは、ヒロイン・亜希子を演じる綾瀬はるかの女優としての特殊性だ。
第1章では、感情表現を不得手とする元キャリアウーマン・亜希子が、結婚相手・良一(竹野内豊)や連れ子、彼らを取り巻く環境、PTAなどに、ビジネスライクな“正論”でまっすぐ、不器用にぶつかりつつも、新たな価値観と人間味を獲得していった。
【写真】亜希子と良一とみゆきの姿
序盤で必要とされるのは、亜希子のロボットのような無機質さであり、本来の綾瀬の大きな魅力・ふんわりした笑顔を完全に封印。体温の感じられないカチカチの無表情で、少々滑稽に見える機械的な動きをし、小学生の義理の娘相手に体を直角に折り曲げて名刺を渡したり、“母親”として採用してもらうために履歴書を送ったりする。義理の娘が「変な人!」と怪訝そうな顔で拒否するのも、無理はない。
ビジネスの経験で得た正論とは違う新しい言葉や価値観に出合うたび、亜希子はそれをロジカルに理解しようと「〇〇とは?」と尋ねる。そして、相手に辟易されながらも理解できるまでぶつかっていき、やがては異なる価値観との“接点”を見出していく。
そうした機械のような無機質さ、正しさを表現するうえで大いに説得力を与えているのが、綾瀬の陶器のような肌と、真っすぐ伸びた背筋、カクカクの不自然な動きもスムーズに繰り出せる身体能力の高さだ。
さらに、『ホタルノヒカリ』(日本テレビ系)での干物女やNHKの大河ドラマ『八重の桜』など、代表作が多数あり、CMにも多数出演する人気女優でありながら、いつまでも無色透明であるということも、綾瀬の特殊性だと思う。
だからこそ、SNS上でも「亜希子さん」と役名で語るつぶやきが多数見られる。こんなにも役名で呼ばれる人気女優というのは、毎朝その顔を見続ける朝ドラヒロイン以外では、そう多くない。いかに綾瀬が常に「まっさら」な印象であるかがよくわかる。
そんな亜希子が、ちょっとずつ人間味を獲得していく様子に、思い出されるのは、本作脚本家の森下佳子の師匠にあたる遊川和彦脚本の『家政婦のミタ』(日本テレビ系)。そしてもう一つ、同じ「TBS火曜10時」枠で何かと比較されがちな『逃げるは恥だが役に立つ』の「平匡さん」(星野源)である。
高学歴で仕事がデキて、周りから信頼されていて、見た目も悪くなく、服装なども小綺麗なのに、モテない。「プロの独身」と自分を納得させ、女性と距離をとる。そこには「自尊感情の低さ」があった。
しかし、平匡は妄想力豊かで行動力あるみくり(新垣結衣)の影響で、固いガードが徐々に壊されていき、人間味が増してくる。
ただし、距離の縮め方は「毎週火曜はハグの日」と決めるなど、あくまで律儀で真面目。そんな中に夜遅くまで帰りを待っているみくりを気遣う「今日はちゃんと先に寝て下さい」という優しさがチラリと見える。軸となる人格は揺るがず一貫性がありつつも、そこに他者との接触による「化学変化」が加わるのだ。
『ぎぼむす』亜希子もまた、「あたたかくて、流れているような」「ひだまりのような」良一の存在により、徐々に変わっていく。「自分が死んだ後、娘・みゆきを守ってほしい」と良一に請われ、「二人三脚ではなくリレー」として結婚した亜希子が、第5話で「自分の病気が治ってもずっと一緒にいてほしい」と本当のプロポーズをされ、みゆきを真ん中にはさんで3人川の字で眠る。
だが、第6話で、回復に向かっていたかに見えた良一の容態が急変。突然の死に直面した亜希子は、喪主として気丈に振る舞うが、世話焼きのおばさん・下山(麻生祐未)に「バカなのかい、キャリアウーマンってのは? (あんたの役目は)悲しむことだよ。みゆきちゃんと一緒に」と諭されると、そこからしっかりフタをされていた感情が決壊。初めて泣いて、ずっと泣き続けて、次の日もまた泣いて、その後にこれまでの仮面が壊れたように、表情が生まれる。
しかし、そこから10年後。母を亡くした後、父子と2人暮らしでしっかり者だったみゆきは、すっかりダメな感じの女子高生になっていて、その変化に「いかに愛されて暮らしてきた9年だったか」が滲む一方で、亜希子は少し表情が柔らかくなっていて、娘を「みゆき」と呼び捨てするなど、母親らしさが出てきているものの、相変わらず几帳面で律儀で正しく生きている。
やはり亜希子の軸はブレず、一貫性がありながらも、少しずつ化学変化を受け入れている。その「一貫性」と「変化」のどちらもナチュラルに演じられるのがまた、綾瀬の特殊性の一つではないだろうか。
(田幸和歌子)