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『チア☆ダン』は“古い常識”を一掃する清々しさ! 部活系青春ドラマとしての王道と革新性

2018年08月17日 06:02  リアルサウンド

リアルサウンド

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 ドラマには黄金の法則がある。現在放送中の『チア☆ダン』(TBS系)は、まさに青春ドラマの黄金則をすべてつめこんだような快作だ。『ウォーターボーイズ』(フジテレビ系)から『表参道高校合唱部!』(TBS系)まで、00年以降の部活系青春ドラマに馴染みのある人なら、何だか懐かしくなる展開がぎっしり。それでいて2018年らしい価値観もほのかに感じさせてくれる。今回は、これまでの部活系青春ドラマを絡めながら、『チア☆ダン』が提示する2018年の青春ドラマの形を考えてみたい。


■モテのためでなく、自分が踊りたいから踊る


 まず『チア☆ダン』を観て、最も強く連想されるのは、2006年に放送された榮倉奈々主演の『ダンドリ。~Dance☆Drill~』(フジテレビ系)だろうか。どちらも同じチアダンスが題材。実話をベースに創作されたことも共通している。


 その中で、現時点での最も大きな相違点は、主人公がチアを始めるきっかけだ。『ダンドリ。~Dance☆Drill~』で主人公の相川要(榮倉奈々)がチアを始めたのは、憧れの先輩・神宮寺(木村了)がきっかけ。神宮寺の引退試合の華を飾るべく、即席でメンバーを募集。最初の動機こそ不純だが、やがて人を応援する喜び、何かに夢中になる楽しさに目覚め、チアそのものへとのめり込んでいった。これは映画版の『チア☆ダン ~女子高生がチアダンスで全米制覇しちゃったホントの話~』も同様で、主人公・友永ひかり(広瀬すず)は同級生の孝介(新田真剣佑)への恋心からチアダンス部に入部する。


 こうした「異性に対する恋心」が何の縁もなかった世界に飛び込むきっかけとなるのは、青春ドラマの常套手段。『タンブリング』(TBS系)で主人公の東航(山本裕典)が男子新体操部に入部したのも美人転校生・里中茉莉(岡本あずさ)がきっかけだったし、それこそ漫画ではあるが『スラムダンク』の桜木花道がバスケットマンの道を歩むことになったのも、ヒロインの赤木晴子に一目惚れしたことが始まりだった。長らく恋愛こそが10代を動かす最大の起爆剤だと信じられていたのだ。


 一方、『チア☆ダン』の主人公・藤谷わかば(土屋太鳳)は、小さい頃に「JETS」のパフォーマンスをテレビで見て以来、チアの虜に。その初期衝動に恋愛要素は一切ない。桐生汐里(石井杏奈)が椿山春馬(清水尋也)に想いを寄せはじめたことから、三角関係に巻き込まれることになるが、あくまでわかばにとって恋愛は後付けの要素。同様の例を挙げるなら、映画『ちはやふる』の主人公・綾瀬千早(広瀬すず)もこのパターンで、彼女のかるたへの情熱に恋愛色は皆無だ。『チア☆ダン』の場合、映画版との差別化を図る狙いもあったかもしれないが、結果的に実に今日的なヒロイン像になったと言える。


 今日においても依然、“モテ”に対する信奉は根強い。だが一方で、そのアンチテーゼとして、メイクもファッションも男のためにやっているわけじゃないという女性からの意見も多く見られるようになった。2年ほど前、Twitterで「#男のためじゃない」というハッシュタグが広まったのが、その好例。現代女性の中には、男ウケのためではなく、自分のために自分らしい可愛さを追求する派も多数存在する。


 堅物の委員長・桜沢麻子(佐久間由衣)も、そのひとりだろう。麻子がこっそりスマホで見ていたMVは欅坂46で、彼女たちへの憧れが麻子を入部へと突き動かした。他にもいろんなアイドルがいる中で、恋よりも大人への反抗心や10代特有の衝動を歌う欅坂46を敢えてチョイスしたところに、制作チームの意志が透けて見える。


 10代にとって“異性への恋心”こそが人生を変える転機――そんな古い常識を軽やかに蹴り上げ、「私が踊るのは、私が踊りたいから」という爽快なステートメントを『チア☆ダン』は提示しているのだ。


■容姿をギャグにするのは古臭い。2018年的なキャラクター設定


 もうひとつ『チア☆ダン』から見る現代性を挙げるとすれば、そのキャラクター設定だ。こうした群像劇を描くとき、チームのひとりに“容姿が個性的”な人物を入れるのが長年のお決まりだった。


 部活系青春ドラマのルーツと言える『がんばっていきまっしょい』では、1998年の映画版、2005年のテレビドラマ版(カンテレ・フジテレビ系)の両方に「イモッチ」というあだ名の女の子が登場する。わかりやすさを選択したのだろう。特に藤本静が演じたドラマ版の「イモッチ」はよりイモっぽさが強調され、鈴木杏、相武紗季、岩佐真悠子、佐津川愛美と美少女が並ぶ中、見た目から三枚目的な演出が施された。


 映画『フラガール』でその傾向はさらに顕著になり、フラガールズの一員に山崎静代を起用。結果的に素晴らしい演技で観客の涙を誘ったが、容姿の面では明らかに個性派枠だった。これも決してこの2作に限ったことではなく、古くは『ふぞろいの林檎たち』(TBS系)の柳沢慎吾と中島唱子のように、キャラクターのバリエーションを広げるために、見た目に差をつけるのは群像劇の正攻法として信じられていたのだ。


 だが、『チア☆ダン』にはこうした“容姿が個性的”な女の子は登場しない。これはチアという競技の華やかさを意識してのことかもしれないが、それ以上にこの2018年に容姿で笑いをとるのはあまりにも古典的という制作者の気概の方を強く感じる。人の容姿に対して「ブス」「デブ」と貶めてギャグにしたり、一定の年齢以上の女性を「オバさん」扱いしたり。テレビの世界は、長らくこうした差別的表現に対して、よく言えば寛容、悪く言うと無神経だった。


 しかし、『逃げるは恥だが役に立つ』(TBS系)の最終回で百合ちゃん(石田ゆり子)が放った「呪い」の名台詞以降だろうか、容姿や年齢といった逆らいきれないものを取り上げて笑いものにする風潮に対して、もう我慢したり諦めたりせず、私たちは「古臭い」「つまらない」と主張していいんだという空気が沸き上がっている。ハラスメントに対する意識も、ようやく世間一般に浸透してきた。その結果が『チア☆ダン』だとすると、優等生、一匹狼、メガネと定番キャラの見本市のような中で、「ブス」「デブ」キャラに該当する人がひとりもいないのは、これからのテレビドラマのあり方さえ感じさせてくれる。


 『チア☆ダン』は部活系青春ドラマとして王道を踏みながらも、教師のブラック労働問題を取り入れるなど、世相をナイーブにくみ取った上で制作に臨んでいる。そう考えれば、異性の目を引くことより自分の好きなことに没頭する姿も、無神経に仲間を笑いものにしないキャラ設定も、実に2018年的だ。『チア☆ダン』を見て余計なストレスを感じることなく清々しい余韻に浸れるのは、時代の価値観にマッチした誠実なつくりに理由があるのかもしれない。(文=横川良明)