暮しの手帖社による書籍『戦中・戦後の暮しの記録 君と、これから生まれてくる君へ』が、7月24日に刊行された。
圧倒される一冊だ。本書は一般から募った、太平洋戦争中と戦後にまつわる体験記をまとめたもの。暮しの手帖社に届けられた2千点以上の投稿作品の中から選り抜かれた、157の体験が収録されている。1969年に暮しの手帖社から刊行されたベストセラー『戦争中の暮しの記録』を次ぐことを企図して編まれた本書には、幾多の想いと記憶が言葉として、絵として、写真として封じ込められている。その熱量と、一つひとつの重みに圧倒される。そして投稿者から届いた無数の言葉に向き合いながら、きめ細やかさを失わない編集部の仕事ぶりにも感嘆させられた。
本書が世に送り出されたということを、もっと広く知らせたい。そんな想いから、暮しの手帖社にコンタクトを試みた。アンケートにご回答いただいた、『暮しの手帖』編集長・澤田康彦氏の言葉を交えつつ、本書を紹介したい。
■「戦後」と『暮しの手帖』。受け継がれる大橋鎭子と花森安治の意志
暮しの手帖社の前身・衣裳研究所は、戦後まもない1946年に創業。創業者は、NHKの朝の連続テレビ小説『とと姉ちゃん』のモチーフにもなった、大橋鎭子と花森安治。戦後の暮らしを少しでも豊かにしたいという2人の意志のもと、『暮しの手帖』は『美しい暮しの手帖』として1948年に創刊された。1951年には社名を暮しの手帖社に変更した。
「戦後」と強く結びついた出自を持つ『暮しの手帖』が、創刊20年にあたる1968年に『暮しの手帖』1世紀96号の特集として「戦争中の暮しの記録」を世に問うたのは必然だったのだろう。そして創刊70周年、花森安治編集長の『戦争中の暮しの記録』刊行からおよそ半世紀が経った2018年、満を持して発表されたのが本書、『戦中・戦後の暮しの記録 君と、これから生まれてくる君へ』だ。
■その数、2390編。膨大な量の「苦しみの記憶」と向き合った編集部
本書では、本人の体験手記とあわせて、戦争を知らない世代による「聞き書き」も募集。投稿数は『戦争中の暮しの記録』の1736編を大幅に超える、2390編となった。本書の結びに掲載された文「結晶化された苦しみの記憶――あとがきにかえて」で、『暮しの手帖』編集長・澤田康彦氏は募集当時の様子をこう綴っている。
<秋、締め切りが近づくと、毎日大量の郵便物が到着、編集部には応募原稿の山脈ができるほどに。いただいた作文二三九〇編を、プロジェクトチームを設け、手分けして拝読しました。社内のあちこちでは毎日のようにすすり泣きのさざ波が起こりました。>
巻末に付された勝屋なつみによる「今、私たちがどこに立っているかを考えてみたい」には、投稿者の内訳が掲載。女性が約65%を占め、戦争中に10代だった80代が約33%、次いで70代が約16%、90代が約6%だったという。最年長は101歳、最年少は未掲載ながら祖父への聞き書きを投稿した10歳の男児だった。投稿の約81%が自筆の体験記、約19%が聞き書きとのこと。
50年前の投稿数である1736編を上回った今回。その理由について澤田編集長は以下のように分析した。
<単純に、新聞や図書館、書店、資料館等々、より多くの協力者がいたということもありますが、そういった時代の機運があったというのがいちばん大きいと考えています。そして、「語るべき」と考えた体験者世代と、「聴きたい」と願った下の世代が共鳴しあった結果だと思います。無償の遺言状で、2390編すべては「愛情」そのものだと感じました。>
『暮しの手帖』創刊70周年、1968年刊行の『暮しの手帖』1世紀96号特集「戦争中の暮しの記録」から50年という節目にあたるが、それ以外に今年刊行に踏み切った理由はあったのだろうか?
<「70周年」も「50年目」も必然ではありません。むしろ今の時代に高まりつつある危機感、機運に、私たちが背を押されるようにして動いた結果の一冊だと認識しています。誰か一人が発案したものではなく、編集者だけで企画したことでもなく、時代の感情を受けて出した本です。巻頭言で「急げ急げ」と書いた、その切迫感に(今も)とらわれています。>
■川島小鳥が表紙を撮影。50年前に掲げられたバラの花を引き継ぐ。写真の意図や起用理由も
戦争を知らない世代が、いかに戦争の現実を伝えていくか。終戦から73年が経ち、戦争体験者の高齢化が進む現在、われわれが直面している課題だ。本書はその難業に挑んだ一冊でもある。参加クリエイターにも戦後生まれの若い世代を起用。表紙と巻頭写真を写真家・川島小鳥、挿画を絵本作家・きくちちき、画家・早川桃代、デザインと本文組版を佐々木暁と中村たまをがそれぞれ担当した。表紙写真には、花森安治が手掛けた『戦争中の暮しの記録』の表紙から引き継ぐように、バラの花が写されている。
川島小鳥の起用理由についての質問には、次のようにご回答いただいた。
<どんなに良い原稿であっても、見せ方を間違えると、人は読んでくれないものです。戦争からの教訓を得るのは絶対的に大事なことですが、人は押しつけられるとうんざりするものです。たいていの人は「教科書」は嫌いですものね。 50年目の戦争体験記をまとめるにあたって、いちばん意識したのは、この100編以上の素晴らしい作文をどんなビジュアルとともに見せるのか、ということでした。その際に、50年前の本の戦争のリアルな写真は、今では暗く重すぎると考えていました。そして、ふと思ったのですが、むしろ超高層ビルや、渋谷のスクランブル交差点、結婚式やパーティ、海岸のカップル、緑の木々……といった現代の平和な光景にこそ、戦争の激烈な文章は活きてくるのでは、と。
そういったことをデザイナーの佐々木(暁)さん、中村(たまを)さんと相談、大きな賛同を得て、そんな表現、新しい写真は誰に? と考え、それから川島小鳥さんの出てくるまでにそんなに時間はかかりませんでした。 花森さんの前作から継ぐ薔薇の花の「バトン」も、佐々木さんの発案です。照れず、ためらわず、50年前の花森安治がそうであったように「君に」さし出したい。それを川島さんは受けて立って下さいました。
本では公にされていないのですが、薔薇を持つ手は、川島さんの友人の妊婦さんだそう。すなわち、まさに「これから生まれてくる君へ」の贈りものなのです。 川島さんの今回の写真をじっと見ていると、とても不思議で、幸福な、生の喜びの景色のなかに、同時に悲しみや不安が横たわっているような気がしてきます。青空の向こうからB29が飛んでくるような、カップルが駆ける海岸の先に戦艦が姿を現すような、そんなイメージがわいてきます。>
本書の資料に掲載された川島小鳥、きくちちき、早川桃代のコメントは以下の通り。
・川島小鳥のコメント
人間は一瞬一瞬の積み重ねを生きていて、その中には、とてつもない光や愛情が含まれています。 そんなかけがえのない日常を奪い去る戦争は、二度と起きてほしくありません。 いま、この本が出る意味はとても大きいと思います。特に若い人たちに、手にとってほしいです。
・きくちちきのコメント
絵本作家として、つらいお話の中にも安らぎがある絵を描きたい。それがとっても難しくて、何枚も何枚も描いては、悩みました。 自分の絵が文章との架け橋になって、大人だけでなく子どもたちも、この本を読んでくれますように。
・早川桃代のコメント
この本を通して、自分と戦争が初めて「地続き」でつながり、当時のことを具体的に想像できるようになりました。
自分と違う意見も含めてきちんと知ること。戦争について考えるのをやめないこと。それが、いまを生きる私にできる、せめてもの努力なのだと思います。
■「戦後とは戦前のこと」 『暮しの手帖』澤田編集長が若い世代に伝えたい言葉とは?
本書の特設サイトには、試し読みコーナーを設置。同サイトには巻頭言「君という美しい命は、偶然灯された一閃の光だ」の一部が掲げられている。力のこもった名文だ。冒頭のみ引用したい。
<君、忘れてはいけない。
きのう、戦争があったのだ。昔むかしの物語ではない。
その大きな戦(いくさ)は、昭和という時代、二十世紀にあった。
君がきょう歩いているかもしれない美しい町は、
かつて亡きがらが転がり、いたるところが墓地となった焼け野原。
空から日夜恐怖が降ってくる、地獄の土地だった。
そんなところで、それでも人は……君の父や母の父や母、祖父や祖母は、
生き続けた。生き続けたから、君がいる。
君という美しい命は、未曽有の戦災をかろうじてくぐり抜けた人、
その人を守った誰かの先に偶然のように灯された一閃の光だ。
我々は『戦争中の暮しの記録』から半世紀経ったいま、もう一度訊く。
あの日々、どう暮らしたか? どう生きて、どう死んだのか?
これが最後のチャンスかもしれない。急げ急げ!>
澤田編集長は「この本を作ることで、自分たちがまずたくさんの新しい体験、勉強をすることができました。そして、世の中の反応を見て、多くの人が、こんなに『戦争=NO』を思っているということに、とても頼もしさを感じました」とアンケートに答えている。
若い世代に向けた澤田氏からのコメントを紹介する。
<戦後とは戦前のことです。人類の歴史は戦争の歴史で、ないほうがおかしいのです。だから、絶対にある。君か、君の身内や子どもか、その子どもは、戦争にしてやられる。
人類の歴史は、人が人を支配してきた歴史です。庶民である「君」を今も誰かが(巧妙に)支配しているのです。権力者は、戦争をつかって、人を支配するものです。戦争で、人と人の間にいさかいを起こし、「もうけよう」とします。これは陰謀論でもなんでもありません。
ぼんやりしてたら、やられます。どうでもいい、って言った瞬間に、「あっち」のもの、となる。そしてそれは急には来ない。じょじょに、じょじょに、じょじょにやって来るのです。
だから、(めんどくさいけど)いつも見張っていること。戦争については繰り返し繰り返し、体験者の話に触れておくこと。(めんどくさがらず)選挙には行くこと。平和のために戦うことです。>
「戦争」という過去(と未来)に向き合うのは、簡単なことではない。けれど一冊の本と向き合うことなら、それよりも易しいはずだ。まずは一人でも多くの人の手に本書が届いてほしい。
■谷川俊太郎や片渕須直らが推薦コメント。のん「たくさんの人の元に届きますように」
本書の帯には作家・辻村深月、女優・黒柳徹子の推薦コメントを掲載。そのほか、本書には谷川俊太郎、内田樹、片渕須直、のんからコメントが寄せられている。以下に掲載したい。
・谷川俊太郎のコメント
戦争・戦後を現場で生身で生きた人と、それを他人の言葉で知っただけの人、その隔たりをこの本が少しでも埋めてくれればと願う。
・黒柳徹子のコメント
自分のことのように胸につきささり、悲しく、また口惜しさで、体がふるえるような気持で読みました。戦争とは、こういうものです。
人ごとではなく、一回、戦争が始まったら、こんな風になるのだと、今の若い方にも、ぜひ、読んで頂きたい記録です。きっと、わかって下さると、信じています。
・内田樹のコメント
ここに収められた記録は、戦争とはまず肉体を直接的に、意味なく、破壊するものであり、終わった後も、長きにわたって人の心を苛み続けるものだと教えてくれる。
・片渕須直のコメント
あの日々を身近に感じたくても、そこに行くタイムマシンが実現されないのなら、この本を読みます。その毎日にどんな空気があったのか。歴史の本には残らない生活の細やかないとなみ。
・辻村深月のコメント
わからなかった「戦争」が、自分の切なさとして、苦しさとして、頭の芯が沸騰するような怒りとして、わかるようになる。
・のんのコメント
私達は生まれていないけれど、それほど大昔ではない戦時下の日本。
その時代を生きた方の本物の体感が、ページの上からヒシヒシと伝わってきます。
たくさんの人の元に届きますように。