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子供たちと負け犬音楽家を引き寄せる“音楽”の力 『オーケストラ・クラス』は生々しいドラマを描く

2018年08月15日 12:02  リアルサウンド

リアルサウンド

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 2015年、パリ19区にモダンなコンサートホールがオープンした。フランスを代表する建築家、ジャン・ヌーヴェルが設計したコンサートホール、フィルハーモニー・ド・パリはパリの新名所になったが、そこでは〈demos〉という子供向けの音楽教育プログラムを推進している。それは子供たちに楽器を教えて、フィルハーモニー・ド・パリで公演するというもの。そんなユニークな試みにヒントを得て制作された映画が『オーケストラ・クラス』だ。


参考:高木正勝、宮本笑里、蓮沼執太ら音楽界の著名人が映画『オーケストラ・クラス』に絶賛コメント


 物語の舞台は、パリ郊外にある小学校。そこにバイオリン奏者のシモン・ダウドがやって来る。その小学校では〈demos〉に取り組んでいて、ダウドの仕事はオーケストラ・クラスを選んだ子供たちにバイオリンを教えて、学期末に予定されているフィルハーモニー・ド・パリでのコンサートに参加できるようにすることだ。しかし、バイオリン奏者の仕事にあぶれて、やむなく学校と契約したダウドにとって、オーケストラ・クラスで教えるのは生活費を稼ぐ手段でしかなかった。ダウドが音楽室に行ってみると、そこにいたのは騒いでばかりで人の話なんてまったく聞かない子供たち。そのほとんどが貧しい移民だ。ダウドはそんな子供たちを前にして途方に暮れる。


 大勢の人々が様々な役割を担い、ひとつの曲を演奏する。オーケストラは、まさに社会の縮図だ。オーケストラ・クラスに参加した子供たちは人種もばらばらだし、音楽家を目指しているわけでもない。一方、教えるダウドは子供たちを教えることに熱意なんて持ち合わせていない。プライベートでは離婚をしていて、一人娘と疎遠な孤独な毎日を送っている。寄せ集めの子供たちと負け犬音楽家。そんな両者を引き寄せるもの、それは音楽だ。


 学校から貸し出されたバイオリンでふざける子供たちの前で、ダウドが初めてバイオリンを弾く。その美しい音色に魅了され、息を呑む子供たち。そして、そこにアフリカ系の少年、アーノルドが現れる。アーノルドはバイオリンに夢中になり、家に帰っても練習を欠かさない。そんなアーノルドの演奏を聞いたダウドは、アーノルドに才能があることを知り、もっと練習するように励ます。母子家庭に育って父親の顔を知らないアーノルドと、娘と離れて暮らすダウドとの間に生まれる淡い絆。アーノルドの家を訪ねたダウドが、アーノルドの母親に誘われ、ラジオの音楽に合わせてぎこちなくダンスを踊るシーンが微笑ましい。


 しかし、ダウドがアーノルドと交流を深めたのは、才能があればこそ。ダウドとクラスの子供たちの関係はうまくいかず、ダウドはいつも授業をかきまわすサミールにカッとなり、思わず突き飛ばしてしまう。クラスの担任教師に「子供に手を挙げてはダメだ」と諭されても、「あんな子は排除したほうがいい」と反論するダウド。そんなダウドに「うちの息子に手を挙げたのはお前か!」と詰め寄るサミールの父親。社会(オーケストラ)に馴染めないものを、どんな風に受け入れるべきなのか。排除と怒りに満ちた今の世界が、オーケストラ・クラスに反映されている。


 葛藤の末、自分の非を認めたダウドは、サミールと両親に謝罪する。そこでサミールの父親に頼まれてダウドはバイオリンを弾く。それを聴いている時のサミールの父親の表情が胸を打つ。胸の中に沸き上がってくる感情を必死で抑えようとしている父親。そこに彼の語られることがない人生が浮かび上がってくるようだ。ダウドと子供たち。ダウドと大人たち。この物語で人々を繋ぐのは常に音楽なのだ。そして、この事件をきっかけに、ようやくダウドは本気で子供たちと真っ直ぐ向き合うことを決意。念願の演奏の仕事が舞い込んできたのも断って、コンサートに向けてトラブルを乗り越えながら練習を重ねていく。


 本作の監督を務めたのは、アルジェリア生まれのラシド・ハミ。ハミは役者としてキャリアを積んだ後、監督としてデビュー。『オーケストラ・クラス』が2作目の作品だ。本作はヘタをすると「涙を誘う感動作」になってしまうが、ハミは賢明にも余計な装飾を抑えて、最低限のセリフと引き締まった演出で物語を紡ぎ出していく。そして、物語の中心にあるのは音楽。ハミは歯の浮くような台詞を使わずに、音楽を通じて登場人物の間を揺れ動く想いや複雑な感情を観客に伝えようとする。そんなストイックな演出が、物語に力強さと気品をもたらしている。そんなハミの演出の姿勢を感じられるシーンのひとつが、フィルハーモニー・ド・パリで行われるコンサートの直前、廊下で出番を待つ子供たちの様子を捉えたシーンだ。ハミは物語を盛り上げるような音楽はかけず、出番を待つ子供たちの様子を時間をかけてじっくりと映し出す。子供たちの緊張感と息づかい。そこから伝わる生々しいドラマこそ、ハミが求めたものだったのだろう。


 キャスティングされた子供たちは実際に撮影をしながら楽器を学んだそうだが、ハミはドキュメンタリーのように子供たちの自然な表情や反応をカメラに収めている。一方、子供たちと共演したダウド役のカド・メラッドは、コメディアンとしても活躍する俳優。無口で人付き合いが苦手なダウドを注意深く演じて、彼の繊細さや孤独を垣間見せる。子供たちと出会った頃。ダウドは教師というより大きな子供のような弱々しさを感じさせるが、子供たちと触れ合うなかで次第に父性的な包容力を漂わせていく。本作は子供たちの成長だけではなく、ダウドの成長の物語でもあるのだ。そして、映画を締めくくるのは、子供たちが演奏する交響曲「シェヘラザード」。移民問題に揺れるフランスだが、この世界で大切なのは異質なものを排除することではなく、様々な人たちが美しいハーモニーを奏でることだと、子供たちのオーケストラが高らかに謳い上げているように思えた。(村尾泰郎)