2018年08月14日 10:12 弁護士ドットコム
戦時中の暮らしと聞いて、どんなイメージを思い浮かべますか。今回、税金をテーマにみてみましょう。
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着目するのは、「物品税」と呼ばれる税金。一定の商品に課されるもので、第二次世界大戦中には、贅沢品から生活必需品まで、多くの商品に課されました。驚くべきは、品目によっては、税率が120%に達したことです。つまり、商品価格の2.2倍のお金を支払わなければならないのです。
物品税とは、どのようなものだったのでしょうか。
物品税は1937年に制定された「北支事変特税法」で初めて導入されました。当時、日本は後の日中戦争のきっかけとなる北支事変(支那事変)の最中で、税収の増加が不可欠であったことが導入の理由とされています。
「戦時税制回顧録」(1978年、租税資料館)によると、最初に導入された時点では、1年間だけの期限付きで、課税対象も「贅沢品」に限定され、税率は1割から2割に抑えられていました。
ところが、戦争が1年くらいで終わるだろうという政府の予想とは裏腹に、日中戦争が泥沼化。1938年に「支那事変特別税法」によって戦争財政を支えるための恒久的な制度とされ、課税対象の拡大と税率の増加が進みました。
物品税は具体的にどのようなものに課され、またどれくらいの税率が設定されていたのでしょうか。「戦時税制回顧録」(1978年、租税資料館)の「6 織物消費税と物品税」(三田村健氏、p.284-p.341)と「日本の戦時財政と消費課税 ─売上税を欠いた消費課税の大増税─」(中央大学経済学論纂第58巻第1号、関野満夫氏、p.19-p.44、2017年12月)を参考にまとめました。
(1)北支事変特別税法下での課税対象・税率
北支事変特別税法は、物品税を「第1種」と「第2種」に分類し、税率は一律20%と設定していました。
第一種は宝石や真珠、貴金属やべっ甲・珊瑚といったものが課税対象となっていました。第二種はカメラやレコード、楽器などが課税対象となっていました。いわゆる「ぜいたく品」と言ってもいいでしょう。
(2)支那事変特別税法下での課税対象・税率
支那事変特別税法では、「第1種」の甲類・乙類、「第2種」の甲類・乙類、「第3種」の区分で、より多くの商品が課税対象となりました。税率も最初は低かったものの、戦争が激しくなるにつれて年々上がっていきました。
第1種の甲類は北支事変特別税法と同様の品目が課税対象とされ、新たに乙類として時計や繊維関連の「メリヤス、レース、フェルト及び同製品」などが課税対象とされ、それぞれ甲類は15%、乙類は10%の税率が設定されていました。
第2種の甲類では北支事変特別税法と同様の品目のほか「双眼鏡、銃及部分品」が課税対象とされ、新たに乙類として「ラジオ聴取機動部分品、扇風機同部分品、暖房用ガス、電気、石油ストーブ」など、ラジオや冷暖房機器が課税対象となりました。税率はそれぞれ甲類が15%、乙類が10%でした。
第3種はマッチやアルコール類(濁酒・果実酒を除く)が課税対象とされ、マッチは1000本につき5銭、みりんや焼酎・ビールは一石につき5円、ぶどう酒は一石につき10円、その他の種類は一石につき7円と、細かく設定されていました。
品目や税率は一定ではなく、1941年には第1種・第2種にそれぞれ丙類・丁類が追加されました。1944年には、第1種・第2種の税率は、それぞれ甲類が120%、乙類が60%にまで上昇しました。
戦争が不利になり、敗北が近づく中で、例えば、宝石やカメラには、120%もの税金が課されるようになったことから、当時の厳しさが見えてきます。
結局、物品税は、国民の生活にどのような影響を及ぼしていたのでしょうか。
当初は、「ぜいたく品」を対象に導入されました。しかし、消費が減少したことから、製造者も少なくなり、戦争が激しくなるにつれ、ぜいたく品自体がそもそも売買されなくなりました。宝石に超高額課税となっても、そもそも売れないのでは意味がないです。
当初予定していた税収を得られなくなった政府は、より確実に税を徴収するため、課税品目を生活必需品にまで拡大し、税率を引き上げていきました。
三田村健氏は「戦時税制回顧録」で、物品税は「大衆課税であった」と振り返っています。
(弁護士ドットコムニュース)