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ケンドーコバヤシ×間宮祥太朗、兄弟役で真逆の役割担う 『ゼロ 一獲千金ゲーム』挑戦者たちに変化

2018年08月13日 12:51  リアルサウンド

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 『ゼロ 一獲千金ゲーム』(日本テレビ系)の第5話が8月12日に放送された。建設中のアミューズメントパーク「ドリームキングダム」。そこで繰り広げられる命を賭けたサバイバルゲームに勝ち残れば、賞金1000億円が手に入る。しかし勝ち残るための代償はあまりにも大きい。そんなゲーム参加者の中に、弱きを助ける義賊・宇海零(加藤シゲアキ)の存在がある。「自分が勝つことより、他人が負けないことを選ぶ」零。第4話でヤクザの末崎(ケンドーコバヤシ)とその弟・セイギ(間宮祥太朗)と共にゲームに挑むことになる。第5話では、命を賭けたゲームの中で、自らの正義を貫いた零に心動かされる末崎とセイギの心理描写が見どころだ。


参考:加藤シゲアキVS佐藤龍我、対決の行方は? 『ゼロ 一獲千金ゲーム』2人を際立たせる演出


 第1話から、末崎とセイギは「仲の悪い兄弟」として描かれている。末崎はゲームに勝ち上がるためなら何でもする男だ。生き残るために人にすがりつくこともいとわない。零のライバル・標(佐藤龍我)に食べ物を渡し、彼の心を手に入れようとする末崎の姿からは、いやらしい性根がにじみ出ている。弟・セイギは、そんな末崎のことを見下す。誰に対しても冷酷な態度を見せるセイギだが、兄に対しては特に高圧的な態度をとる。


 末崎を演じるケンドーコバヤシは、2005年に公開された映画『パッチギ』で空手部長・大西役を好演。出番は少ないものの、業界内外にインパクトを与えた。『ヤッターマン』や声優として参加した『GANTZ:O』など、漫画原作作品との相性が良いように感じられる。勝ち上がるためなら何でもする末崎の姿をコミカルに演じ、心理戦で緊迫する場の空気を軽くする役割を担っている。


 セイギを演じる間宮は、現在数多くのドラマや映画に出演している。現在放送中の連続テレビ小説『半分、青い。』では、主人公・楡野鈴愛と結婚するダメ男・森山涼次を演じた。涼次とセイギのキャラクターは正反対とも言える。“天性の人たらし”である涼次と、他人に対し冷酷な態度をとるセイギを違和感なく演じ分ける間宮は、いま最も注目すべき若手俳優と言ってもいいだろう。作中、セイギはその威圧感をもって場を萎縮させる役割を担っている。


 兄弟で真逆の役割を担い、かつそんな彼らが些細なことを火種にいがみ合うことで、視聴者は焦らされる。第4話~第5話にかけて繰り広げられるゲームは、人命がかかっていることへの焦りから回答を間違えることが想定されている。それでも零は、末崎が回答へのヒントを導き出せるよう誘導し、セイギが回答権を末崎に譲るよう、冷静にゲームを進めた。しかし時間は刻一刻と過ぎていく。水没していく零の姿を見て、末崎は零を助けようとする。柱時計を壊そうとする行為は「失格」につながるため、セイギはその行為を阻止しようとするが、「金と命、どっちが大事かそんな簡単なことも分かんねえのか、お前は!」と末崎はセイギに一喝する。


 それでも零は「自分が勝つことより他人が負けないこと」を選んだ。自分を助け出そうとする末崎を静止し、こう伝える。


「みんなの命がかかってるんだ。もうこの部屋しか残ってない。失格しちゃダメなんだ。俺が正解しなきゃ! でなきゃ、他のみんなが死んじゃうんだよ!」


 零が導き出した回答は正解だったが、正解だと発表されたとき、零はすでに水の中に沈んでいた。溺れて意識のない零を助け出そうとする末崎の表情は「善人」そのものだ。意識のない零と、彼を必死に助け出そうとする兄の様子を見るセイギの顔が絶妙だ。セイギは兄から「素直じゃない」と評されている。兄の「善人」な一面と、自らの正義を貫いた零に対する尊敬の念、そして自分の中に確かにある「善人」の部分。これらの感情を素直に受け入れたくない彼の心境が伺える。しかしその後「とんだ偽善だよ」と悪態をつきながら、零の蘇生に加わるセイギの口からは、零に対してはっきりと「生きろ」という言葉が叫ばれる。金か友情か、それとも命かを選ばされるサバイバルゲームの中で、セイギがはっきりと「他人の命」を選んだ瞬間である。他人に対して冷酷な態度をとり続けたセイギの大きな変化である。


 零はセイギたちの懸命な蘇生により意識を取り戻す。零はセイギに礼を言いに行くが、セイギはいつも通りの他人を寄せ付けない態度に戻っていた。しかし立ち去る零の背中を目で追うセイギからは、零の正義を認める心情が感じられた。サバイバルゲームは終わっていない。ゲームを勝ち進むため、末崎もセイギも、自らの姿勢を大きく変えることはないだろう。だが零に対する姿勢は、大きく変わるはずだ。今後の末崎とセイギの役割に、期待大である。(片山香帆)