F1シーズンを転戦していると、いろいろな人との出会いがある。そんな人たちに、「あなたは何しに?」と尋ねる連載企画。今回は1997年のワールドチャンピオンであるジャック・ビルヌーブだ。その年のハンガリーGPウイナーで劇的な勝利を上げたビルヌーブに話を聞いた。
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ハンガリーGPのパドックで、ある日本人ジャーナリストに出会った。普段はF1の現場に来ないその方は「ハンガロリンクに来たのは、2006年以来」だと言って、ホンダの活躍に目を丸くしていた。
2006年といえば、ホンダが再びコンストラクターとして参戦を開始した年で、このハンガリーGPでジェンソン・バトンが初優勝。ホンダにとっても1967年以来、39年ぶりのコンストラクターとしての勝利だった。日本人にとって、ハンガリーGPは思い出が多いグランプリだ。
1997年のハンガリーGPも、日本のメーカーの活躍によって、語り継がれるレースとなったグランプリだった。アロウズにエンジンを供給していたヤマハが、ファイナルラップまでトップを走っていたのである。
ところが、残り2周でデイモン・ヒルのマシンがハイドロ系のトラブルに見舞われ、シフトチェンジができず、あと1周というところで優勝を逃してしまう。
2位に終わったヒルだったが、表彰式ではコースになだれ込んだ観客から、勝者に負けないほど大きな声援を贈られ、ヒルのレース人生でもこれがベストレースのひとつと言われるほど、思い出深いレースとなった。
そのヒルをファイナルラップでオーバーテイクしたのが、ジャック・ビルヌーブだった。すでに現役を引退しているビルヌーブだが、今年のハンガリーGPにはコメンテーターとしてハンガロリンクに来ていた。そこで、当時のレースのことを尋ねてみると、興味深いことを語ってくれた。
「あのレースは、私にとっても重要なレースだった。だって、あのレースで、もし私が2位でフィニッシュしていたら、私の年間ドライバーズポイントは4点少なくなっていたんだからね」
97年のタイトル争いはウイリアムズのビルヌーブとフェラーリのミハエル・シューマッハーによって争われていた。最終的な獲得ポイントはビルヌーブが81点でシューマッハーは78点。当時のポイントシステムは優勝が10で、以下2位6点、3位4点、4位3点、5位2点、6位1点となっていた。
もし、ビルヌーブが2位のままだったら、10点ではなく、6点だったから、4点少なくなって77点となっていたというわけだ。逆に4位のシューマッハーのポイントは変わらないため、タイトル争いはシューマッハーが78点、ビルヌーブは77点となり、シューマッハーが1点差で勝っていた。
もちろん、この年の最終戦でシューマッハーはビルヌーブへ接触事故を起こして、全ポイント剥奪というペナルティを受けていたから、どちらにしてもビルヌーブがチャンピオンになっていた。
だが、もしハンガリーGPでビルヌーブが2位だったら、最終戦をスタートする前のポイントはシューマッハーが78点でビルヌーブは73点となり、最終戦でシューマッハーは2位以上でタイトルを獲得していたこととなり、あのような無理な接触事故は起こしていなかった可能性が高い。
ビルヌーブにとっても、97年のハンガリーGPは、譲ることができなかった重要な一戦だった。