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竹野内豊の愛に溢れた土下座に涙 『義母と娘のブルース』は“家族とは何か”を問いかける

2018年08月08日 12:32  リアルサウンド

リアルサウンド

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「もし僕が治っても、一緒にいてくれますか?」


参考:綾瀬はるかはどう家族の一員になるのか? 『義母と娘のブルース』亜希子が模索する“母”と“妻”の姿


 それは、偽装結婚から生まれた本物の恋。そして、 契約書の先にある心の繋がりを約束する真のプロポーズ。『義母と娘のブルース』(TBS系)第5話は、この時間がずっと続いてほしいと願わずにはいられない、幸福感に満ち溢れた回だった。


 がんの勢いを示す腫瘍マーカー値が上昇してしまった良一(竹野内豊)は、入院をして治療に専念することに。娘のみゆき(横溝菜帆)に心配をさせまいと、亜希子(綾瀬はるか) と骨折入院を“偽装”するのだった。2人で挑む全力の闘病生活。そして、良一の数値は努力の甲斐あって、見事なV字回復を遂げる。「パパはきっと治る」と、またもやみゆきを守るためついた嘘が真になった瞬間だ。


 第5話が素晴らしかったのは、これまで描かれてきた風景が、次々と特別なものになっていくのを感じられたからだ。例えば、第1話から良一が口にしていた「奇跡」という言葉。 日常生活には甘すぎる響きのようにも感じられたが、2人が結婚した背景が描かれ、さらに亜希子の中で良一への特別な感情が芽生え始めると、これまでとは違って聞こえてくる。そして、気づけば宮本家を見守る私たち視聴者の中にも浸透し、切なる願いに変わっていく。


 また、処世術や宴会芸として披露してきた亜希子の土下座もそうだ。生きようと努力する良一に、溢れんばかりの感謝を体現すべく「ありがとうございます」と頭を下げたシーンは、目頭が熱くなるのを抑えられなかった。そして、いつもなら「土下座はやめてください」という良一も「こちらこそ、ありがとうございます」と病室の床にひざまずく。こんなにも愛に溢れた夫婦の土下座は、もう二度と見られないのではないか。


 さらに、「ひとつ提案があります」と、みゆきが亜希子のような口調を真似したのも、実に微笑ましい展開だった。家庭的ではない義母に抵抗していた娘の姿はもうない。同じ言葉、同じ行動でも、同じ時を過ごしたからこそ、そこに含まれる意味も、感じられる愛も変わっていくのだ。そんな積み重ねの軌跡こそが、私たちの日常で起きている奇跡。


 「こういう形でなら、それなりにお役に立てるかと思います」。亜希子も、みゆきも、良一が元気に戻ってくることを願い、それぞれができることを模索して努力をする。その期待に応えようと、良一は懸命に治療に挑む。「あんまり死ぬこと怖いと思ってなかったんです……でも今は、死ぬのがとても怖くなってしまいました。亜希子さんと出会って、そう思いました」。人は頑張ることも、そして生きることさえも、自分のためだけにはできない生きものなのかもしれない。誰かのために頑張れる力が沸くこと、この人がいてくれたらもっと楽しい未来が待っているかもしれないと希望が持てること、それは血の繋がりを問わず“ファミリー”と呼べるのではないだろうか。


 このドラマは個の時代を生きる私たちにとって、家族とは何かを今一度問いかける物語だ。元キャリアウーマンの亜希子が家族をクライアント扱いするのは、家族といえどもそれぞれが持つ個人の尊厳があることを気づかせてくれる。子供相手でも敬語を使うなどビジネスライクな言動は、一見血の通わないサイボーグのように見えるが、その慎重な距離感の取り方は敬意を払っているからこその対応ともいえる。夫婦も、もともとは他人。血を分けた子供でさえも、異なる感情を抱く別の人間であるし、誰の所有物でもない。味方でいてくれること、理解しようとしてくれることは、決して当たり前ではない。それを受け入れるからこそ、尊重し合うことができるのだ。


 もしかしたら、奇跡とは不可能を可能にすることではなく、幸せに気づくことそのものなのかもしれない。同じものを守るべく共に闘ってくれる人、自分ができない部分をわかってくれる人、自分の得意な部分を「すごい」と認めてくれる人……そんな、人と巡り会える幸せに気づかせてくれる火曜の夜。そんなドラマに出会えたことも、ひとつの奇跡かもしれない。(佐藤結衣)