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径子の息子を登場させたドラマ版『この世界の片隅に』は、戦時下における“居場所”を提示する

2018年08月06日 06:02  リアルサウンド

リアルサウンド

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 昭和19年8月。呉湾岸のスケッチをしていたすず(松本穂香)が憲兵に見つかり、間諜行為と疑われてしまう場面から始まった、5日放送のTBS系列日曜劇場『この世界の片隅に』第4話。原作でもアニメ映画版においても、戦時下の厳粛な空気とすずのおっとりとした雰囲気とのギャップによって生みだされるユーモラスな場面として描かれていたが、ドラマ版ではその後の物語へ繋げるための役割を果たしていたようだ。


 それは、憲兵からのお叱りに遭ったショックで寝込んでしまったすずが、そのまま体調を崩してしまったことに、北條の家では「懐妊なのでは」との憶測が立つというくだりである。またしてもアニメ映画版との比較になってしまうのだが、そちらではこの一連の「懐妊」のシーンは実にスピーディーな流れでテンポよく描かれていた。ドラマ版では先週描かれていた“逢い引き”のシーンですずさんと周作の間で直接言葉にすることなく、それを察したやり取りがあり→すずに2人前のご飯が出されるシーン→病院から出てくるすず→結局1人前の食事が出されるシーン。このような流れだけで表現されていたのだ。


 しかし「間諜行為」のくだりから「懐妊」へと繋げたドラマ版では、この一連によって戦時下における“居場所”というキーワードを提示する。まずは原作にも描かれていた(アニメ映画版では12月に公開される『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』で描かれるのだろうか)すずとリンとのやり取り。懐妊していなかったことで嫁としての“義務”が果たせないと悩むすずに対し、リンは自身の境遇を重ねながらこう語りかける「誰でもなんか足らんくらいで、この世界に居場所はのうなりゃせんよ」と。


 さらに夫から息子を渡してもらえずに、娘だけを連れて実家に帰ってきている義妹の径子(尾野真千子)は井戸端で幸子(伊藤沙莉)と志野(土村芳)に、跡取りとなる息子が生まれたことで自分に“居場所”ができたことを語る。また、出征前に子供が授からなかった志野に、未婚の幸子。彼女たち5人の考え方が明示されるこの2つのシーンで、この物語が、男性たち中心として描かれがちな戦争という題材の女性側の視点を描くだけでなく、“様々な女性の様々な生き方・考え方”というものがテーマであると明確化したように思える。


 そしてまた、“居場所”というものは子供にも当然のように存在する。原作やアニメ映画版でも登場しなかった径子の息子・久夫(大山蓮斗)が呉をひとりで訪れ、跡取りとして母と妹と決別をすることを告げにくるのだ。子供らしからぬ聡明さで気丈に振る舞った久夫が、別れ際に見せる涙。その決断が社会の風潮によって選択を余儀なくされたものであるのであれば、殊更いたたまれない気持ちにさせられる。戦時中に女性と子供たちが背負っていた“居場所”を得るための“義務”というのは、最近話題になっている「生産性」なり子供たちをめぐるあらゆる事柄を踏まえると、現代にも色濃く残ってしまっているのではと感じてしまうほどだ。


 そういえば、第4話にして初めて榮倉奈々演じる佳代が登場する現代パートが描かれない回でもあった。ドラマ版のオリジナルストーリーとして、すずさんの時代と現代とをつなぐ役割を果たし、明確に“今”“テレビドラマで”“この物語を描く”という3つの意味を提示するべき現代パート。次週予告では佳代とすずをつなぐ人物が登場するようではあるが、正直なところ、8月6日の前日の放送回にこそ現代とのつながりを持たせる必要があったのではないだろうか。(久保田和馬)