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綾瀬はるかと竹野内豊が築いた2人なりの夫婦像 『義母と娘のブルース』は“当たり前の奇跡”を描く

2018年08月01日 12:42  リアルサウンド

リアルサウンド

 “今しがた、奇跡が起こりました。着いたらお話しします”


 私たちが生きている日々は、小さな奇跡の連続だ。そう、あらためて気づかせてくれるドラマ『義母と娘のブルース』(TBS系)。第4話では、キャリアウーマンの亜希子(綾瀬はるか)と、先妻に先立たれた良一(竹野内豊)が、再婚することになった背景が語れた。それは、人恋しかった亜希子には家族が、余命宣告を受けた良一には1人娘のみゆき (横溝菜帆)を育ててくれる頼れる相手ができるという、それぞれのメリットを見込んだ、極めて合理的な契約だった。


参考:今見るべき“親の背中”がここにある 綾瀬はるか主演『義母と娘のブルース』が描いた“普通”


 「普通の結婚というのは、共に人生を歩くためにする、いわば二人三脚のようなもの。しかしながら、私たちのそれはリレーです」。人生のパートナーとして、これからどう生きていくかを見据えた結婚に比べたら亜希子と良一のそれは、どう死を迎えるかを考えるもの。 ネガティブに見えるが、どう生きるかとどう死ぬかは一見真逆のようで、実際は限りなく近いように思う。


 結婚といえば、心ときめく出会いや恋愛関係に発展したきっかけなど人に語れる馴れ初めがあって当然。周囲の人間はそれを聞いて“愛し合っている”夫婦像を見る。手をつなぎ、寝室を共にするなど、わかりやすい行動で確認できないと、むしろその結婚そのものが“偽装”に感じるほど、私たちの生活には“普通の結婚”という言葉が定義化しているように。


 だが、“普通”ではないからといって、すべて“偽物”なわけではない。亜希子と良一の結婚は普通の夫婦ではないが、本物の夫婦になろうとしていた。みゆきに納得してもらうために考えた馴れ初めが、最終的に本当の記憶で構成されたように。きっかけはメリットが明確な提案だったとしても、恋愛から発展したプロポーズだとしても、最終的に2人でよりよい未来を選択したいという想いは変わらない。むしろ、その目的が明確であるがゆえに、亜希子と良一の結束力は強いともいえる。


 まるで仕事のように家庭に向き合う亜希子は、良一の中にある“なんとなく”としていた部分の概念を再構築していく。家族とはなにか、親になるとはどういうことか……ビジネスライクだからこそ冷静に、そして“普通”とはズレているからこそ、より丁寧なすり合わせが、 2人なりの夫婦像を創り上げていく。


 きっと本当に偽装結婚であれば、 良一の目からこれほど涙が溢れることもなかっただろう。


 一つひとつ全力でぶつかっていく姿を微笑ましく思い「手つなぎませんか? 嫌ならいいんですよ」と亜希子に歩み寄って、提案というスタイルで距離を縮める良一。想像していた以上に、みゆきとの絆を深め、不器用ながらもまっすぐ子育てに奮闘する亜希子に、愛情を芽生えていることに気づく。そして、この義母と娘をずっと見守っていきたいという、生きる欲が生まれてくる。


 また、亜希子も、さして話すほどのことでもないと思っていることを「これからいっぱい話してください」と言ってくれた良一に心が温かくなるのを感じていた。呼び捨てにされるだけで、名前の感覚が変わるのだという初めての経験。手をつないで歩くこと、不意に抱きしめられること。孤独から解き放つぬくもりを教えてくれた良一と少しでも長く一緒にいられる方法はないか……と、奇跡を願ってしまう。


 お互いを大事に思うようになるほど、手に入れたものが大きいほど、失うのが怖くなる。だが、それは余命宣告されている良一が特別なわけではない。当然、私たちの命にも限りがある。その時期が明確になっているかどうかなだけで、本質的には亜希子と良一の置かれている状況と何も変わらないのではないか。くだらない話をできる相手と出会えたこと。その人に今日も「着いたらお話しします」と言えること。そして例えば、こうして「昨日こんなドラマがあって、こう思った」と話せることもそうだ。気付かぬうちに、当たり前だと見過ごしていた奇跡が人生を作っているのだ。そんな愛しい日々がこの先も続くように。「奇跡はわりとよく起こる」その言葉を信じて、少しずつ家族になってきた3人の行末を見守りたい。(佐藤結衣)