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高見沢俊彦、ソロと小説で広がる“表現への情熱”「振り子の大きさが創作意欲を刺激する」

2018年07月28日 13:02  リアルサウンド

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 THE ALFEE・高見沢俊彦のソロプロジェクトTakamiyが、3年ぶりとなるシングル『薔薇と月と太陽~The Legend of Versailles』を7月25日に発表した。表題曲はメタルとクラシックを融合した“Takamiy’sメタル”にのせ、ベルサイユ宮殿と現代を舞台に“禁断の恋”を描いたラブソングだ。本インタビューでは、今年結成45年を迎えたTHE ALFEEのリーダーとして、Takamiyとして、そして先日重版が決定した『音叉』を執筆する小説家・髙見澤俊彦として、それぞれの表現に通じる高見沢の根底にある音楽的志向に迫った。(編集部)


(関連:高見沢俊彦が振り返る音楽人生、そしてTakamiyの25年「感じたものをどうTHE ALFEEに活かすか」


■ベルサイユ宮殿と現代に通じる“人間の恋の本質や性”


ーー「薔薇と月と太陽~The Legend of Versailles」はハードロック/メタルとクラシックのエッセンスを融合してドラマチックに盛り上げる、ストリングスも印象的な楽曲です。今作の方向性について、高見沢さんはどんな風にお考えだったのでしょう。


Takamiy:3年ぶりのシングルでしたし、“どこから聞いてもTakamiy”を目指したらこうなりました。歌詞も含めてこの世界観を臆面なく歌えるのは僕だけかな、なんて(笑)。なんせ「薔薇と月と太陽」ですからね。


ーーこれまでにもTakamiyとしてたくさんのバリエーションの楽曲を生み出してきましたが、これがド真ん中ということでしょうか。


Takamiy:直球ですよね。大谷翔平選手流の豪速球がこれですよ(笑)。


ーー今回の曲は歌詞の世界観も特徴的です。この王道かつロマンチックなアイデアはどんなところから着想を得ましたか。


Takamiy:個人的にルイ14世の時代にハマった時期があったんです。当時の貴族は結婚するまで自由がなかったらしいんですよ。でも、結婚してからこそ、自由な恋愛ができた。今と逆ですよね。いわゆる“禁断の恋”はベルサイユ宮殿の貴族の世界はもちろん、現代の日本でもいけないこととされながらも、惹かれる危険な恋として存在している。だからそれをサビではベルサイユ宮殿、Aメロでは現代、というようにうまく時空を超えて、禁断の恋を綴ったラブソングにしようと考えました。歌の世界であれば炎上しませんから(笑)。だからそういう人間の恋の本質、性、というのかな。そういったものをベルサイユ宮殿を使って歌にしてみたのは自分の中でも新しかったです。


ーーどこか悲劇に終わる、悲恋のムードもあります。


Takamiy:それはやはり、テーマの背景にベルサイユ宮殿があって、マリー・アントワネットが夫婦共々断頭台に上がったという出来事があったからでしょうか。すべては自然発生的なものかもしれないけれど、その後に起こったフランス革命のためのベルサイユ宮殿だったのかもしれない。悲劇で終わってしまったからこそ永遠に語り継げるドラマになった。


ーー今作は4形態が用意されていますが、初回限定盤AのCDジャケットは『ベルサイユのばら』の作者・池田理代子さんが書き下ろしたスペシャルバージョンとなっています。


Takamiy:これは歌詞を書いている途中に、ベルサイユが出てきて、薔薇が出てきたらもう池田理代子さんしかいないなと。個人的にも懇意にさせてもらっているので、おそるおそる打診したら快諾していただけました。嬉しかったですね。「髪型どうします? 高見沢さんにします? Takamiyにする? それともオスカルにする?」と聞かれたので「うん、オスカルにして!」とお願いしました(笑)。池田理代子さんのカバーデザインによってこの楽曲がさらにパワーアップしたような気がしますね。


ーー初回盤Cに収録されている「太陽はもう輝かない」は、The Walker Brothersのカバー。ドリーミーで美しい仕上がりです。


Takamiy:嬉しいです。そこを誰も追及してくれないんですよ(笑)。


ーー原曲も名曲ですね。


Takamiy:最初に聴いたときはそうでもなかったんですけど、だんだん聴いているうちにスコット・ウォーカーの声がいいなと子供ながらに思って。GSブームの頃、ものすごい人気でしたからね。イギリスでは1位になったし、日本でも「太陽はもう輝かない」「孤独の太陽」がものすごく売れたんですよ。「太陽はもう輝かない」は聴いていくうちにハマっちゃったんですけど、ただ自分では歌えないなあと思っていたんです。でも、THE ALFEEが40周年の時に僕が喉を壊してしまって、それ以降、喉を大事にする歌い方に変えたんです。それからしばらくしてこの曲をちょっと試しに歌ってみようと思い立って。The Walker Brothersより僕のほうがキーは一音高いんですけど、けっこういい感じで歌えたので、改めてカバーしてみようかなと。最初は他の楽曲と同じように生ギター1本でやったんですよ。ところがやっぱり最初のブラスのイメージ……あのイメージがあったのでちょっと音を入れてみたら「やっぱりこっちだな」と。どんどん足していったらオリジナルに近くなっちゃいました(笑)。


ーー今回オリジナルバージョンも聞き直してみたのですが、たしかにすごく忠実というか、オリジナルを発展させたアレンジでしたね。


Takamiy:キーが違うし、エレキギターのフレーズはアレンジしちゃいましたけど、それ以外はThe Walker Brothersに寄せていますね。この歳になってThe Walker Brothersのカバーができるようになったのはすごく嬉しかったです。


ーー高見沢さんのルーツにThe Walker Brothersがあるというのは意外でした。


Takamiy:スコット・ウォーカーが作り出すサウンドは今聴いてもいいんですよ。あのデヴィッド・ボウイが憧れたアーティストですからね。


■バンド、ソロ、小説で表現する“プログレッシブロック”


ーー以前のインタビューではクラシック音楽についてお話いただきましたが、「薔薇と月と太陽」ではふんだんにその要素が取り入れられています。


Takamiy:去年、一昨年と西本智実さんと一緒に『INNOVATION CLASSICS』という公演をやらせていただきました。それまでクラシックは趣味というか、個人的に好きで聴いていたものだったので、まさかオーケストラと一緒に自分がギターを弾くことになるとは思っていなかったですね。その時に僕が作った楽曲もオーケストラで演奏したのですが、そこでふと思ったのが、ちょっとオーバーに言うようですけど「自分が作ったメロディもオーケストラに合うんだな」ということでした。それからちょっと感覚が変わって、THE ALFEEの「あなたに贈る愛の歌」(2017年)もクラシック寄りに作ってみて、今度はもう少しハードなものをやってみようと思って作ったのが、今回の「薔薇と月と太陽」なんです。もともと自分の中にあったクラシック的な要素が『INNOVATION CLASSICS』で開花した感じがありますね。


ーーそれは主にメロディや旋律の部分で?


Takamiy:もちろんそうですけど、縦横無尽に積み重なるストリングスが生で聞けば聞くほど素晴らしかったので、それを自分の楽曲で活かしたいという欲求が前以上に生まれてきました。


ーー高見沢さんはこれまで、どんなクラシックに親しんできたのでしょう。


Takamiy:クラシックのアプローチは映画音楽の世界にもありましたよね。小学生の時、『ドクトル・ジバゴ』という映画のメインタイトル曲がものすごく好きになってしまって。兄貴のレコードなんですけど、一時期あればかり聴いていました。映画も見ていないのに、映像が浮かぶようなサウンド、メロディラインがあって、これがメロディの力なのかなと思いましたね。あとは、ドヴォルザーク『交響曲第9番「新世界より」 』のメインテーマの裏に入るティンパニー。あの音色がずっと自分の中で鳴っている時期があった。クラシックって自分の好きな部分が出てくるまでにすごい時間がかかるでしょ。だから途中を飛ばして、そこだけをいつもかけていました(笑)。ああいったイメージの曲などは、自分の楽曲作りに影響を与えましたね。


ーーロックの長い歴史の中で、プログレッシブロックも含め、クラシック音楽へのアプローチは脈々と受け継がれてきました。振り返ってみて、高見沢さんはどの時代のどの音楽が一番刺激的だと感じていますか? シングルとほぼ同時期に発売された小説『音叉』の中でもいろいろなロックのアーティストや楽曲が登場しますが、Yesの名作『危機』(1972年)についても書かれていましたよね。


Takamiy:僕がプログレッシブロックが好きなのは、構成も含めて、クラシックの交響曲に似ている部分があるからなんです。ポップミュージックやロックを作る上では、プログレがやっているようなことってあんまり必要ないんですよ。装飾ですから。ただ、聴いているよりも演奏するのが楽しいのがプログレなんです。僕らTHE ALFEEはプログレが3人とも好きで、プログレ的な要素の楽曲もたくさんやってきましたけど、衣装も違う3人が45年も同じステージに立ち続けているという、バンドのあり方自体もプログレなのかなと今となっては思いますね(笑)。


ーープログレにもいろいろな系統があります。これらも本の中に登場しますが、Pink Floyd、King Crimson、Yesであれば、どのグループの音楽性が高見沢さんに一番フィットしていましたか?


Takamiy:聴いていて心地いいのはPink Floyd。やっていて楽しい、悦に入るのはKing Crimson。やっていて難しいのはYesですかね。ただ、技術的な面に関してもやはりYesが一番当時から上手かった。コーラスも入っているし、ドラムもギターもキーボードも超一流の人たちが演奏していていますよね。Pink Floydはどっちかというと、サイケのイメージ押しで、テクニカルなことはあまりない。でも彼らの音楽は誰にも再現できないものです。Pink Floydは高校2年の時から毎ツアー見ていて、1994年の最後のツアーはNYのヤンキースタジアムまで行って見ましたよ。海外で見るPink Floydはとにかくすごい。「このセットは日本には持ってこれないな」と思うような規模で、球場全体がファンタスティックなアナザーワールドになっている。なんといっても一番すごいのは、メンバーにスポットライトがあまり当たらないとこ。映像と照明で作られるショーには感動した記憶があります。それから僕は照明に関してものすごく神経質になりました。同じことは再現できないけれど、かなりそれに近いようなライトデザインをやるようにはしていて。サウンド以上に照明になぜこだわるかというと、3人とも動かずに定位置で歌っていることが多いから。そこはPink Floydと同じようなものなので、後ろの方の席の方も楽しめるような照明ショーを目指してますね。


ーーサウンド面では、Yesの存在が高見沢さんにとって大きいのかなと感じますがーー。


Takamiy:Yesは大きいですね。高音のコーラスもあるし、ジョン・アンダーソンの声も気持ちがいいし、そのへんのイメージはあります。Yes、Uriah Heep、Queenあたりがコーラスロックの中では好きですね。


ーーUriah Heepも『音叉』の中で効果的に描かれていますし、Queenもちょうどデビューの時の話が出てきますよね。


Takamiy:そうですね。僕たちはKISSとデビューが一緒で、Queenはちょうど僕たちの1年先輩なんですよ。


高見澤俊彦『音叉』
ーー『音叉』についてもお聞きしたいのですが、この物語はあくまでフィクションとして書かれたものなのでしょうか。


Takamiy:そうです。音楽ものでバンドが中心のストーリーにすると必ず僕と照らし合わされるだろうなと思ったので、逆に自分と一番遠い存在を書きました。THE ALFEEとストーリーに出てくるジュブナイルなんてまったくの逆。僕らは真剣にミーティングなんてしたことないですし、大学生になってから3人でしたことは麻雀だけですから(笑)。ちょっと練習しようとしても桜井(賢)が来なかったりして、全然足並みが揃わない。ある意味、僕らは遊び仲間でしたし、ジュブナイルのように上を目指していたわけではないですからね。


ーー物語の時代背景がとてもリアルに書かれていますが、改めて取材をされたのでしょうか。それともご自身の記憶で?


Takamiy:ほとんどが記憶ですね。僕らの世代の学園闘争をやっていない普通の若者、その最大公約数を一人に集約したのが主人公です。1970年の安保の自動延長で学園闘争が起こる中でも普通の人のほうが多かったですから。もちろん学生運動をやっている人もいましたけど、本当にごく一部でどんどん減ってましたからね。ただ、それでも事件は度々起きるわけですよ。特に印象に残っているのは、1974年8月30日に丸の内で起こった三菱重工爆破事件。その5日前が僕らのデビューでした。しかも銀座で発表会をやったので現場も近くて。そういった意味ではニュースとして鮮烈に覚えています。1973、74年はいろんなことが起こりましたからね。だから僕の中では……平和にむかっていく、街もファッション含めてカラフルになっていくのに、そのカラフルさと危険な要素が同居する街になっていたという記憶があった。それを具現化したのが『音叉』なんです。


ーー物語を通して、一番書きたかったことは。


Takamiy:今はネットの時代じゃないですか。自分もそうですけど、ネットがないとダメな人種になってるんです。メッセージやSNSで今は簡単に人とつながることができる。でも実際、親密につながっているようで、つながっていない。例えば対面しても恋人同士がカフェでLINEで話をしてるような状況があります。つながっていても希薄というか。ネットがなかった僕らの青春時代は連絡を取るために、緊張しながら家の電話にかけていましたよね。誰が出るかわからないので親が出たときの対処マニュアルを自分で考えたりして。あの時代の特徴です。アパートに住んでいる人に電話するときは呼び出しの時間が決まっているからその間にかけなきゃいけないし、会う場所もきちんと決め込まないと会えなかったから、会ったときの時間はかなり貴重だった。絶対に下を向いてLINEをやるようなことはなくて、対面したいわけですよ。そう考えると、あの時代のほうが人間関係は密だったのかもしれません。だからネットがなかった世代の恋愛が書きたかったというのはありますね。あと、タイトルの「音叉」もギターのチューニングをする時に使っていたものですけど、今ではほとんど使わないじゃないですか。チューニングメーターもアプリで無料のものがありますし。僕らの頃は音叉で合わせていたから、チューニングがいいやつ・悪いやつの差が激しかった。でも耳の訓練にはなっていましたね。そういったアナログの象徴として『音叉』というタイトルにしたんです。


ーー「薔薇と月と太陽」の歌詞では高見沢さんのロマンティックな言葉遣いを楽しむことができた一方、『音叉』の文章ではとてもリアリスティック、ある意味平熱のユーモアが感じられてテンポよく読ませていただきました。


Takamiy:なるほど。その部分は気をつけましたね。ミュージシャンが書く小説であるということを踏まえて、リズミカルにしよう、いわゆる読みやすくしようということは心がけたかな。僕が読んできた文学は難しかったものが多かったので、活字離れが進んでいる現代に、活字、本を気軽に読んでほしいなと。僕の本がきっかけで他の本も読もうとするならそれはそれでOKだし、そういうことは今後も考え執筆していきたいですね。


■“現役”にこだわってきたということが一番


ーーTHE ALFEEは今年45周年を迎えました。改めてどんなことをツアーで感じましたか。


Takamiy:45年というのは結果的なことであって、一年一年で区切って考えてきたら45年経っていたということなんですよ。今年の春のツアーが終わって、今は夏のイベントに集中しています。だから45年はあくまで僕たちがやってきたことなので、これから先のことのほうが大事ですね。ただ3人で休まずやってこれたということは、ファンの方にも、まわりの方にも感謝をしています。


ーー常に一年先を見据えて活動してきた。


Takamiy:やっぱり現役にこだわってきたということが一番かもしれないですね。現役感は大事ですから。おかげさまで「メリーアン」以降、新曲は常にベストテンに入っていますけど、それを目指していたわけではなくて、その時代時代にいい曲を歌っていこうという気持ちの中で結果的にそうなったということなんです。今やっていることは今結果が出ない。何事もそうじゃないですか。45年前にバンドを作らなかったら45周年を迎えることもなかった。あの頃、45年続くなんて考えていなかったですからね。でも結果的に振り返ってみれば45年という道のりがあったということは真摯に受け止めています。だから今やっていることも多分、また5年後、10年後に結果が出てくるのだと思いますね。僕のソロ活動も“FOR THE ALFEE精神”、THE ALFEEを長く続けるためのものなので、これからも続けていかないとなと思います。大変ですけどね。でもまわりのスタッフも大変ですよ。休みなくですから。そこは自分でも感じていますけどね。


ーー「薔薇と月と太陽」というド直球の楽曲で表現されたものもまた、THE ALFEEの作品にフィードバックされていくのかもしれませんね。


Takamiy:そうですね。ハードな楽曲でこれだけストリングスを加えてもうまくいったので、こういった要素はTHE ALFEE的プログレッシブロックにつながるものもあるかなと。それは次のアルバムで活かしていきたいと思いますね。ストリングスはTHE ALFEEの変拍子のサウンドにも合うかもしれないです。


ーーこれからもTHE ALFEEありきということは変わらず。


Takamiy:それは変わらないです。THE ALFEEあってこそのソロ活動ですから。ただ、小説家としてはちょっと違いますね。小説家としての活動は自分の創作意欲、曲を作る意欲への刺激になる。今回も『音叉』を書き終えたあとに「薔薇と月と太陽」を作りましたけど、歌詞を書くことが新鮮でしたよ。『音叉』は連載でだいたい1回100ページくらい書かないといけなかったので、それに比べると歌詞は短いじゃないんですか。この新鮮さってなんなんだろうと。


ーーまったく違うものですよね。


Takamiy:全然違いますね。脳の使う場所は一緒かもしれないけど、自分としては小説脳と歌詞脳、音楽脳は違うなと思います。そのことが発見できたのは自分にとっても発明でした。


ーー小説ではまた今後もいろんな時代についてお書きになるのかなと想像したのですが。


Takamiy:そうですね。今回とはまた違うものを書こうとしています。「薔薇と月と太陽」じゃないですけど、現代と過去をリンクさせるのも面白いなと思っているし、人間の生き方を小説にしていきたいですよね。音楽ももちろんやっていきますけど、いい相乗効果を生む気がしてるんですよ。『音叉』ができて、「薔薇と月と太陽」ができる。楽曲をつくってまた違う小説ができる。こういう振り子の大きさが創作意欲を刺激するというか、そこが自分の中の特殊な部分、特異な部分かなと思いはじめてますね。苦じゃないですからね、作ることが。


ーー一貫してそうですか? 生み出すことは楽しい?


Takamiy:そうですね。それに今は曲で煮詰まったら小説のほうで物語を考えてから歌詞を考えているし、そういったことがいったりきたりして、振り子の大きさがさらに大きくなった気がします。そこが自分の中での次へのステップなのかなと。まだ糸口しか掴めていないですが、そう感じますね。


ーーその流れが一つのサイクルになって、今後よりたくさんの作品が生み出されるのではないかと期待しています。


Takamiy:期待してください!