私自身は食べ物の好き嫌いが少ない方だが、誰かと食事をしている時に「これは食べられない」「あれは嫌い」と言われると、しょうがないと思いつつも若干ガッカリしてしまう。もちろん、嗜好品に近い食べ物に関しては例外だ。たとえばパクチーや生牡蠣やフォアグラなどはそれに当たる。
問題は、ほとんどの人が普通に食べている一般的な食べ物が(アレルギーではないのに)ダメなことが多いパターンだ。先日のガールズちゃんねるでは、子どもの好き嫌いにどう対処していいのかわからないと悩む女性の投稿があった。「食べ物の好き嫌いは悪いこと?」というトピックだ。(文:みゆくらけん)
「単純にそういう人と一緒に食事をしたくない。つまらないもん」
その女性は自分自身に好き嫌いが多いとし、「幼稚園の頃から何も食べられない献立の日があったり、小学生の頃は食べるまで掃除の時間になっても残らされた」経験があるという。大人になった今でも好き嫌いは続いていて、外食時にメニューの選択肢が少なくなって困ることもあるが、だからといって嫌いなものを克服する気はないとのこと。ただ、子どもに好き嫌いがあった場合、どう対処していいかわからないという。
「私としては好き嫌いはない方がいいが、嫌いなものは無理して食べる必要はないと思っていますが、幼い頃からそう教えていいものか悩みます」
集まったコメントに多かったのは、「好き嫌い=悪いこと」ではないが改善しておいたほうが良いというものだった。理由は食べられるものが少ないと本人が苦労するから可哀想という声の他、周りからの印象も悪くなりかねないというものが多かった。
「単純にそういう人と一緒に食事をしたくない。つまらないもん」
「悪くはないけど人間関係の幅は狭くなるね」
「好き嫌い多いと育ちに疑問を感じることはあります」
また、「好き嫌いが激しい人は人の好き嫌いも激しそう」というコメントも多く、「性格もクセが強い。(好き嫌いが)余りにも激しい人は警戒してしまう」という声も。
個人的な感覚では、好き嫌いが多い人に一抹の寂しさを覚えるのはどこかで「この人は良いところを見る努力をしない人なのかな?」と感じてしまうためだ。最初からおいしいと感じる食べ物なんて案外少なく、何度も味わうことで魅力を知り得る場合も多い。それを入口の印象だけで切り捨ててしまうのは「ドライだなぁ、人に対してももしや同じ?」と思うのだ。
「誰かと食事を共にした時に場の空気を悪くしなければ問題ない」
でも、マツコ・デラックスのしいたけエピソード(しいたけが嫌い過ぎて、ニオイだけで命の危険すら感じたというもの)にもあるように、アレルギーでなくとも体が拒絶しまくってしまうというケースはあるのだろう。コメントにも
「好き嫌いのない人にはわからないだろうけど、アレルギーじゃなくてもこれだけはどうしても合わない無理なものってあるんだよ。体調に影響あるレベルで」
という声があった。他に「先進国なんだから食くらい自由に選択すりゃいいよ」「個人の自由だから悪い事では無い」「お店選びに困らない程度の好き嫌いならいい」という声も。筆者が深く頷けたのは
「好き嫌いがあろうがなかろうが誰かと食事を共にした時に場の空気を悪くしなければ どちらでもいいと思う」
というコメントだ。しかし、自分の子どもに好き嫌いが出た時には、まずは調理法を工夫して食材のおいしさを伝える努力はしようと思う。その際間違っても「体に良いから食べなさい」「薬だと思って飲み込みなさい」とは言わないことだ。子どもにそのセリフは響かないということは、自分の子ども時代を振り返ってみるとすぐわかる。