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『詩季織々』コミックス・ウェーブ・フィルムを訪問 “美しい背景”描くための工夫とは?

2018年07月23日 13:22  リアルサウンド

リアルサウンド

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 新海誠監督の『秒速5センチメートル』や『君の名は。』を手がけたアニメ制作会社「コミックス・ウェーブ・フィルム」を訪れ、8月4日に公開されるアニメーション作品『詩季織々』の制作模様をお届けするレポートの第2弾。主に作画を行う荻窪スタジオのレポート(参考:『詩季織々』生きているような“ビーフン”はどう描かれた? コミックス・ウェーブ・フィルムを訪問)に続き、今回はコミックス・ウェーブ・フィルムの強みである“美しい背景”を手がける市ヶ谷スタジオを訪問した。


参考:『詩季織々』生きているような“ビーフン”はどう描かれた? コミックス・ウェーブ・フィルムを訪問


 『詩季織々』は、『陽だまりの朝食』『小さなファッションショー』『上海恋』という3つの短編からなる青春アンソロジー。中国における生活の基本とされる衣食住行(中国では“行”、すなわち移動することも生活の一部と考えられている)をテーマに、それぞれ北京、広州、上海を舞台としたヒューマンドラマが描かれる。再開発によって変わりゆく中国の風景を、詩情溢れるノスタルジックなタッチで切り取った意欲作だ。


 今回、話を伺ったのは『上海恋』の美術監督を務めた渡邉丞氏と、『小さなファッションショー』の美術監督を務めた友澤優帆氏と小原まりこ氏。中国の風景を魅力的に描くために、彼らはどんな工夫を行っているのか。


 アニメの制作スタジオでは通常、背景画などの美術に関しては専門の制作会社に委託するケースがほとんどだという。しかし、コミックス・ウェーブ・フィルムの場合は、社内に美術部を設けており、それが大きな特色になっているそうだ。同社の美術スタッフである渡邉丞氏は、これまで『雲のむこう、約束の場所』『言の葉の庭』『秒速5センチメートル』『星を追う子ども』『君の名は。』といった新海誠作品の美術を手がけており、同社には欠かせない人材である。特に構造物が多い混み入った背景を描くことに定評があり、上海の高層ビル群を描く必要がある『上海恋』の美術監督に任命されたそうだ。


 しかし、日本とは大きく違う上海の街並みを描くにあたっては、苦労も多かったという。


「実際に上海を訪れると、色使いや物の配置が日本とは全然違っていました。簡単に言うと、情報量がすごく多くて、古いものと新しいものが混沌としているんです。それに、建物のスケールも大きくて、日本と同じ材質を使っていても存在感が違いましたね。ただ、その混沌やスケール感の中に、監督が求めるノスタルジーのようなものを感じることもできたので、そのインスピレーションを足がかりに作業を進めていきました。これまでに手がけた作品より、考える時間が長かったです」


 また、上海の空はスモッグに覆われているのだが、そこはあえてアニメ的な表現として、美しく描くことに注力したそうだ。


「監督には最初、空が綺麗すぎるとも言われたのですが、美しい物語だったので、背景もきらきらと輝くように演出しました。シーンやキャラクターの心情に合わせて、背景の色味や光のあたり具合、ハイライトの利かせ方などを変えられるのは、アニメならではの表現だと考えています。主人公たちが歩道橋の上で会話するシーンでは、新海誠作品でも重要なモチーフである“夕暮れ時”と“すれ違い”が描かれているのですが、そこでは光の加減やトーンで淡い恋心やもの悲しさを表現しています。また、子供の頃のシーンと大人になってからのシーンでも、背景の色味や彩度を変えて時間の経過を表現しているので、そこも注目してほしいです」


 ちなみに、1枚の背景画を描くのに通常は2日ほどかかるそうなのだが、今回もっとも力作だという上海の全景を描くのには、約1週間を費やしたという。上海の街並みは現在、日々変わっていて、数ヶ月もすれば新しいビルが建つと言われているが、本作では渡邉氏が取材した当時の景色が描かれているとのことなので、もし上海を訪れた際は見比べてみると発見があるかもしれない。


 友澤優帆氏と小原まりこ氏は、美大生時代にアルバイトで同社に入り、現在はそのまま社員として働く同期だ。美術監督を務めるのは初めての経験だが、仲の良い2人は力を合わせて取り組んでいるという。


 『小さなファッションショー』は、ファッションモデルとして活躍する姉と、服飾の専門学校生である妹の物語だ。2人は同じマンションで生活しているのだが、その部屋の模様を描くに当たって、友澤氏と小原氏は多くの話し合いをしたという。


「正直、自分たちとは住む世界が違う姉妹なので、『おしゃれな女性はどんな部屋に住んでいるのだろう?』と想像する部分が多かったです(笑)。ファッション誌などを研究しつつ、『主人公の姉はこういう性格だから、きっとこういうものを置いているに違いない』『外ではバリバリ活躍しているけれど、家では可愛いものが好きに違いない』などと話し合いながら、ディティールを詰めていきました。たとえば、オイル標本を描いてみたり。あと、私には姉がいるので、そこも重ねてみたりしました。一方で妹は、モノ作りをする人なので、描きかけのデザイン画があったり、教科書が置いてあったりする感じです」(友澤)


「本作は衣食住行の“衣”をテーマにした作品ですが、実はあまり服を描きこむことはなくて。ただ、姉が行く撮影スタジオでは、背景にも洋服が描かれているので、それが変なバランスにならないようには工夫しました。洋服だけを描く場合、少しでもバランスが崩れるとどんなに素敵なデザインでもダサく見えてしまうので」(小原)


 アニメでは、監督の指示にあるもの以外は背景に描かないのが普通だが、コミックス・ウェーブ・フィルムの場合は、上記のように美術監督の裁量で色々なものを描き足すことが多く、そこが生活感のある背景画を生み出す秘訣となっているようだ。


「キャラクターの動きに合わせて、逆に現実にあるものを描かないこともあります。このベンチが邪魔だなとか、この看板はいらないなとか、シーンに合わせて色々と変えていくのも美術監督の仕事です。とはいえ、今回はかなり忠実に広州の街並みを再現しているので、もし行ったことがある方なら『このシーンはあそこかな?』と感じてもらえるはず」(友澤)


 取材当時、2人はシーンごとに分担しながら、美術監督としてスタッフたちに指示を出し、『小さなファッションショー』の完成を目指していた。「どう描くべきか、言葉で伝えることの難しさを知りました。自分の中でしっかりとイメージを固めることが大切なんだと、改めて思いましたね」(小原)と語っていた。その仕上がりはどんなものになるのか、とても楽しみである。


 市ヶ谷のスタジオでは、背景のほか、CGや撮影も行っている。中でも興味深かったのは、CGの使い方だ。たとえば、奥行きのある背景のシーンで、キャラクターが手前に向かって歩いてくる場合などに、CGが用いられている。この場合、手描きの背景を遠い順から、立体のモデルの中にレイヤー構造で配置していくのだが、こうすることでキャラクターの動きに合わせてカメラが進むにつれて、計算通りにそれぞれの背景もまわりこみ、自然な印象となるのだ。CGというと、3DCGのようなものをイメージしがちだが、現在のアニメではちょっとしたシーンにも活用されているのである。


 また、撮影とは、荻窪スタジオで描いた作画を、市ヶ谷スタジオで描いた背景と合成・加工する工程を指しており、ここではじめてアニメーターたちは、自分たちが描いた絵がどんな景色の中でどんな風に動くのかを確認することができる。シナリオ、コンテ、レイアウト、原画、動画、背景、CG、撮影、アフレコなど、多くの工程を経て、はじめてアニメは動き出すのだ。


 コミックス・ウェーブ・フィルムの職人たちが、その技術を注ぎ込み、中国の人々の心を形にした『詩季織々』。その見事な仕上がりを、ぜひ映画館のスクリーンで確かめてほしい。(取材・文=松田広宣)