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稲垣吾郎、なぜピアノが似合う? ベートーヴェンとの親和性から考える

2018年07月23日 07:02  リアルサウンド

リアルサウンド

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 稲垣吾郎は、ピアノがよく似合う。映画『クソ野郎と美しき世界』でピアニストのゴロー役を、2015年には舞台『No.9-不滅の旋律-』ではベートーヴェン役を熱演。今月発売された雑誌『JUNON』でもピアノと撮影したグラビアが印象的だった。そして、11月11日には『No.9-不滅の旋律-』の再演も控えている。なぜかピアノと並ぶ稲垣に、惹きつけられてしまう。それは、生活感を感じさせない美しい指先を堪能できるからだけではなさそうだ。


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 7月22日、『稲垣吾郎“運命“に出会う。~ウィーン ベートーヴェンの旅~』(BS-TBS)が放送された。再びベートーヴェンを演じることになった稲垣が、オーストリアのウィーンを訪問し、ベートーヴェンの人生の軌跡を巡る。いかにして名曲「歓喜の歌」(交響曲第9番)が生まれたのかを辿るうちに、天才音楽家としてはもちろん、人間・ベートーヴェンを理解する旅でもあった。そこから見えてきたのは、稲垣とベートーヴェンの親和性の高さだ。


 ベートーヴェンが生きたのは、絶対的な権力が支配する時代。モーツァルトをはじめ、先人たちが作った音楽は貴族たちの食事シーンを盛り上げるBGMとしての役割が強かったという。だが、その中でベートーヴェンは自由と平等を愛し、大衆に向けて音楽を発信していく。その姿勢は、いつしか音楽そのものを芸術の域へ、そして音楽家=芸術家へと高めていった


 それは、どこか稲垣がSMAPでデビューした当初、アイドルは音楽番組のみへの出演だったところから、バラエティやドラマ、映画、舞台、報道へと活躍の幅を広げ、アイドルの価値を自己表現や哲学、生き様そのものを表現するアーティストへと変えていった様と重なって見えた。巻き髪のかつらをかぶったそれまでの音楽家と、地毛姿のベートーヴェンの肖像画。それも、キラキラなアイドル衣装にとどまらず、リアルな男性に近い衣装を着こなしてきたSMAPの姿に通じるような気がしてならない。


 また、ベートーヴェンは、頑固で気難しい人だったと表現されることが多い。ピアノをオーケストラの縮図として捉えてきたベートーヴェンは、1音でも音域を広げるようにと要求し、技術者を困らせたという。“どうして、もっとこうならないのか”そのポリシーの強さと向上心は、変化を求めない人からは理解されにくく、ともすれば厄介だと感じられてしまう。


 もっと良いものを届けたいという美学。それは稲垣にも通じるものがあるように思う。毎月第1日曜日に放送している『7.2 新しい別の窓』(ななにー)の生配信でも、段取りの悪い進行にイラチ(イライラする)姿を披露したり、髪型が崩れるのを嫌がったりと、稲垣の中にはブレない芯の部分がある。昨年よりスタートさせたブログに関しても「ファンが見たがっているものを見せていきたい」と語っていた稲垣。ファンが求める美しいものを届けていきたい、そのスタイルは大衆に向けて美しい音楽を届けようとしたベートーヴェンとシンクロする。


 ご存知の通り、晩年のベートーヴェンは聴覚を失い、絶望の中で制作活動を続けていく。その心の内を書き綴った“遺書”と捉えられている文書を前に、稲垣は「これは我々が見ちゃいけないものだったんだね」とベートーヴェンの心境を察する。そして、「自分を鼓舞するためのものだったんだ」とも。その寄り添う姿に、稲垣自身も弱さや悲しみや苦悩は自分の中に留め、人々を熱狂させる表現物を届けたいという、自分のモットーを重ねたのではないだろうか。


 番組は最後に、ピアニスト清塚信也と指揮者・佐渡裕が「歓喜の歌」(交響曲第9番)に、歌声が入る理由について語り合うシーンが収められていた。オーケストラを指揮する佐渡は「最高の楽器は声」だと考えているという。一人ずつ持っていて、高い音が出なかったり、音程が不確かだったり、リズムが不安定だったり……それこそ人間臭い楽器だ、と。自由と平等を綴った詩を歌う、その時代を生きる人々の声が加わることで完成する「歓喜の歌」(交響曲第9番)。「自由と平和を愛し、武器は、アイデアと愛嬌」と掲げる稲垣が、この時代にベートーヴェンを演じるのは、もはや必然のようにも思えてくる。


 稲垣吾郎にピアノが似合う理由。それは、白と黒の鍵盤を前に稲垣の憂いを含んだ表情から、いつの時代においてもグレーな日々に迷い絶望する私たちに、それでも「友よ、歓喜に満ちた歌をうたおう」と鼓舞する、ベートーヴェンを感じるからかもしれない。(文=佐藤結衣)