7月12日、2018年シーズン限りでのMotoGP現役生活に終止符を打つと明かしたダニ・ペドロサ(レプソル・ホンダ・チーム)。12年におよぶMotoGP最高峰でのキャリアから印象的な10の出来事をふり返る。
現在32歳のペドロサは、これまで通算206戦のMotoGPレースに出走。このうち112戦で表彰台を獲得し、31回の優勝を遂げている。
そのペドロサは12日、第9戦ドイツGPの開催地であるザクセンリンクで記者会見を実施。この場で現役引退を明らかにした。
「このスポーツを愛しているからこそ難しい決断だった。レースを戦ういい機会に恵まれているけれど、これまでと同じ強い気持ちでレースに臨めていない気がしていた」
「自分が思っていた以上のことを成し遂げることができ、このスポーツでの功績を心の底から誇りに思う。レーサーになるという夢は満たされたよ」
ペドロサを長年サポートしてきたレッドブルは、彼のキャリアを象徴するレースを10戦紹介している。
●2006年 スペインGP
ペドロサは12年前にMotoGP最高峰クラスデビューを飾ったが、当時は5フィート2インチ(約157センチ)という小柄な身長や51kgという体重、そして20歳という若さはMotoGPに不向きだとの批判があった。しかし、ペドロサは昇格2戦目のスペインGPで表彰台を獲得し、こういった批判に反撃してみせた。
●2006年 中国GP
デビューイヤーの2006年、ペドロサは参戦4戦目の中国GPでポールポジションを獲得。決勝ではスタートでポジションを落としたものの、そこから意地の走りでポジションを挽回し初優勝。フレディ・スペンサーに続く史上2番目の若さでの勝利となった。
●2009年 アメリカGP
2008年の第7戦以来、1年以上勝利から遠のいていたペドロサはラグナセカ・レースウェイで行われた第8戦アメリカGPで、先行するケーシー・ストーナーをスタートで抜き1周目からトップへ浮上。終盤にはバレンティーノ・ロッシからの猛攻を受けたが0.3秒差でトップチェッカーを受けた。
●2010年 サンマリノGP
シーズン第12戦として開催されたサンマリノGP、MotoGPクラスの決勝前に行われたMoto2クラス決勝では日本人ライダーの富沢祥也が亡くなる事故が起きた。このレースを制したペドロサや2位のホルヘ・ロレンソ、3位のロッシたちは表彰式後に哀悼のコメントを残している。
●2011年 ドイツGP
このころからペドロサは身体に痛みを抱えながらのレースを戦うことがおおくなった。このドイツGPは鎖骨骨折の手術を終えた直後の戦いで3レースを欠場したあとの復帰戦。しかしペドロサはロレンソとストーナーとの争いを制して独走優勝を飾ってみせた。
●2012年 チェコGP
ペドロサのキャリアのなかでも最高のバトルのひとつ。ペドロサは、ブルノの最終ラップ、最終コーナーで同郷のロレンソがラインを外したところを交わしてトップを奪い、レースに勝利した。
●2012年 マレーシアGP
レースは最初からウエットレースが宣言され、ペドロサはライバルたちがウエットレースによる様々な恐怖に苦しんでいるなか、ロレンソとトップ争いを展開。中盤でロレンソを交わしてトップに浮上するとそのままトップをキープする。最後は赤旗により終了し、ペドロサが優勝。ロレンソとのタイトル争いは次戦のオーストラリアGPに持ち越しとなった。アラゴンGP、日本GP、マレーシアGPと三連勝したペドロサだが、オーストラリアGPでは転倒を喫しリタイア。ロレンソのタイトルを認めただけだった。
●2015年 日本GP
雨が降るなか行われた日本GP決勝、ペドロサは6番手からのスタートとなった。フロントタイヤのグリップに期待が持てなかったペドロサは、タイヤの熱を奪うことに苦労していた。しかし、ヤマハとの戦いを意図していたペドロサは、我慢のレースを続ける。そして残り9周、2番手のロッシを交わし、その2周目には前を走っていたロレンソも抜いて大逆転でトップに浮上。そのまま優勝した。
●2017年 スペインGP
このスペインGPで優勝を挙げたペドロサは、キャリア53回目の勝利をもたらした。ペドロサは16年連続で少なくとも1回はグランプリで優勝を挙げていた。その優勝が4年ぶりのホームレースということもあり、シーズン最終戦のバレンシアGPでの優勝よりも格別だっただろう。