いきなりだけど、僕は常々、オタクには複数種類いると思っている。1つが、社交的で、プレーンな人間関係を構築できるオタク。もう1つが、内向的ではあるが、オタク趣味に満足できるオタク。
そしてもう1つが、内向的かつ、1人では受け身の活動しかできないオタク。僕は個人的に、この手のオタクを「残念オタク」と呼んでいる。今日はちょっと、この残念オタクの話をしていきたい。(文:松本ミゾレ)
「ネットが友達だけど、ノリについていけない」
先日、おーぷん2ちゃんねるに「独身オタクの末路www」というスレッドが立った。「w」をつけてはいるが、結構深刻な状況にあるのがスレ主だ。
「趣味も飽きてきて、30近いのに萌えアニメをニコニコで見るだけの日々。友人も付き合い悪かった。ネットが友達だけど、ノリについていけない……」
幸せそうには思えない。こう言っては悪いが、「こういう人生を歩んでみるか?」と問われれば「絶対に嫌っすね」と言いたくなる状況である。友人たちは仕事に邁進し、家庭を持っている中、遊びに誘っても相手にしてもらえないスレ主は、可哀想にも思える。
だけどなんというか、今のような状況は本人次第で防げた気がする。この人がこのままオタクを続けたいのか、結婚を優先したいのかは知らないけど、オタクを続けたいならもっとちゃんとコンテンツを楽しむべきだ。たとえばブログに、観賞作品の感想を書き殴ってもいいし、キャラクターのフィギュアを作ってみるのもいい。
生産せず、人と関わるきっかけを作ることもせずに「友達が遊んでくれない」とか「アニメ観るだけの日々」みたいなこと言っても、そりゃそうだろうとしか感想が出ない。
残念オタクを抜け出したいなら主体性を身に着けよう
ついでに、このスレッドに見られる、スレ主と似た状況の人々の書き込みもいくつか紹介しておこう。
「女児アニメ見るとワイにも娘がいた可能性とか考えてしまって昔のように楽しめない時がある」
「ワイの会社、高齢独身オタクだらけで草も生えないわ」
「(スレ主の発言を見て)オタク趣味も飽きてきて、それでも離れられないというのがリアルで俺に効く」
このように、スレ主以外にも、独身オタクであり続けることに微妙な気持ちになっている人はザラにいる。
オタクも最初は無知識だから、友達なりネットの流行なりに乗っかって面白いとされる作品を追いかけて、「俺の嫁」だとか「○○は○○の着ぐるみの改造品」とか言いながら右往左往をする。ただ、その過程で目に留まった作品をしっかり考察したり、演出に元ネタがあれば、元になった作品やジャンルに手を伸ばしたりしていたら、オタクとしての日々はとても楽しく忙しい。
社会人としてもオタクとしても、大切なのは主体性だ。主体性がないと社内でイジられるし、オタクとしても半端になるし、ネットにもリアルにも居場所がなくなる。居場所を探そうにも、主体性がなければ何を足場に探せばいいかわからなくなり、結局迷子になってしまう。
今回のスレ主みたいな人は、もう少し我を強く意識した方がいい。興味があるものを「観て終わり」では、いずれ何も面白くなく感じる瞬間がやってくる。そこで投げ出すのではなく、主体性を発揮して、コンテンツを掘り下げるのだ。残念オタクにも、ルート選択のチャンスはまだ残っている。