2018年07月15日 10:02 弁護士ドットコム
「覚えていません」ーー。証人の中国人男性Aさんは、法廷通訳人を介して、何度も繰り返した。
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6月から司法取引と同時に始まった「刑事免責」。自身の裁判で不利益な証拠にならないことを条件に、証言を強制させられるという仕組みだ。違反すれば、罪に問われる可能性もある。
しかし、適用第1号となったAさんは核心的な部分について、一貫して記憶にないと発言した。検察は繰り返し、詳細を引き出そうとしたが回答は変わらない。
予定時間を10分以上超過し、裁判長は「『覚えていない』と言っているんですから、その質問はもうやめてください」と強い口調で言い放った。
これは東京地裁で6月19日にあった麻薬密輸事件の裁判員裁判の一幕だ。
発生当時は、さして注目されなかったこの事件は、2017年4月、関西国際空港に届いた中国発の荷物から覚醒剤が見つかったことにさかのぼる。二重になったダンボールの間に、覚醒剤が隠されていたのだ。
警察が中身を無害なものと入れ換え、泳がせ捜査(CCD:クリーン・コントロールド・デリバリー)をしたところ、届け先に現れたのがAさんだった。警察はAさんと、Aさんに荷物を取りに行くよう指示した被告人の中国人男性を逮捕した。
被告人は、荷物は中国の先輩が送ったもので、覚醒剤が入っていたことは知らなかったと否認。共犯者として起訴されたAさん(7月に初公判)も刑事免責適用のうえで、「荷物の中身は洋服だと聞いていた」など、被告人に同調する発言をした。
検察は、被告人が荷物の中身を知っていた証拠として、Aさんの携帯電話に残されていた、受け取り時の注意と見られるメモを提示。しかし、検察官が何度尋ねても、Aさんは「記憶にない」を繰り返した。
6月22日の判決で、裁判長はAさんの発言を「およそ信用できない」として、被告人男性に懲役8年、罰金300万円を言い渡した。
「初の刑事免責裁判」として、注目を集めていただけに、「記憶にない」を連発したAさんの態度に、メディア関係者や傍聴人からはいささか拍子抜けさせられた、という感想も聞かれた。
毎日新聞(6月23日)によると、判決後の記者会見で「新しい証言が出るかと期待したが、そうではなく残念だった」と述べた裁判員もいたそうだ。一方、検察幹部は同紙に「立証を補強した」と一定の成果はあったとの認識を示している。
刑事弁護にくわしい清水伸賢弁護士は「制度の想定内ではないか」と述べ、制度に対する過度な期待に警鐘を鳴らす。清水弁護士に刑事免責制度について、見解を聞いた。
――報道の内容から、刑事免責の実際の運用について、どんな印象を持ちましたか?
証言は、自身の裁判では証拠として利用されないことになっていますが、証言に基づいて補充捜査して得られた証拠などが不利に影響する可能性はあります。また、証言内容が報道等された場合の事実上の影響も懸念されます。
証言する者の犯罪自体を免責するものではないため、積極的に協力して証言したいと考える動機はあまりないでしょうね。
――初回は検察の期待通りの結果にはならなかったように見えました
刑事免責制度は、証言拒絶権を行使できなくするものなので、検察官は証人から、証人自身が刑事訴追を受け、または有罪判決を受けるおそれのある内容についても、何らかの証言を得ることができます。それによって、検察官の立証に寄与する効果があります。
ただ、同制度の導入は、証人がすべてを余すところなく述べ、すべてが明らかになる、ということまで期待されているものではないと思われます。
報道された事件の証人がどのような意思で証言したかは分かりませんが、制度の想定外ということではないと思われます。「記憶にない」という証言以外でも、事実認定に利用された部分はあるはずです。
まともな検察官であれば、同制度が導入されたからといって、法廷でどのような証言をするか分からない証人の証言のみに基づいて立証を行うことはないはずです。同制度はあくまでも補充的な手段とされていると考えられます。
また、事案によって、あるいは検察官の尋問技術によっては、同制度の利用によって積極的に証言が引き出せる場合も考えられます。そのため、この件だけで同制度自体の是非を云々するのは難しいと思います。
――「記憶にない」という証言はどう考えたら良いでしょう。ウソとは断言できないように思いますが…
同制度が施行される前のケースでも、証人が証言を拒絶しないで「記憶にない」と証言する例はありました。
同制度が適用された場合、本当は覚えているのに、「覚えていない」と言うことは偽証罪となりますので、この場合は問題とはいえます。しかし、本当に覚えていないのかどうかは、外部的に判断することは難しく、また明確に区別できない場合もあります。
最終的には、証人の証言が信用できるかどうかは、他の証拠との整合性や、事実経緯等から裁判所が判断することになります。今までであれば供述を拒否できた証人ですので、「覚えていない」と証言することによって、裁判自体に著しい支障が新たに出るケースはあまりないと思われます。
――報道の中で、証言内容や裁判官の心証が伝えられることもあります。これらが本人の裁判に影響する可能性はないでしょうか?
建前上は影響しないとはされるでしょうが、報道の内容によっては、事実上の先入観は生まれると思います。
また、報道によって、あるいは証言の内容から直接、捜査機関が事実上の補充捜査を行うなどした場合、証言したことで自分にとって不利益な証拠が新たに生じる可能性もあります。
――刑事免責を運用するに当たって、どんな課題があると考えますか?
同制度の建前上は、証言は対象者自身の裁判の証拠とはできないとされていますが、上記のような報道の影響や、事実上の補充捜査等によって、対象者が不利益を被ることになれば、憲法38条1項で規定された不利益供述強要の禁止の規定に反するといえます。
また、共犯者間などの場合には、証言が拒絶できないのであれば、むしろ積極的に虚偽の証言をして他の共犯者に責任を負わせようとするケースも考えられ、冤罪が生じる危険性も否定できません。
同制度の適用対象は全ての事件であり、対象者の同意は必要なく、一方的に適用されます。また、対象者が証人として証言する法廷に、対象者の弁護人が立ち会えるような規定もありません。
今後、同制度の適用は増えていくことが予想されますが、憲法上の不利益供述強要の禁止を潜脱するような運用が行われないように注視する必要があります。また得られた証言の信用性判断は慎重に行うべきであって、同制度が新たな冤罪の温床とならないようにしなければなりません。
(弁護士ドットコムニュース)
【取材協力弁護士】
清水 伸賢(しみず・のぶかた)弁護士
企業法務から交通事故などの一般民事事件、遺産分割などの家事事件まで幅広く取り扱うとともに、裁判員裁判を中心とした刑事弁護にも精力的に取り組む。日弁連刑事弁護センター委員、大阪弁護士会刑事弁護委員会担当副委員長(裁判員部会)。
事務所名:WILL法律事務所
事務所URL:http://www.will-law.com