こだわりはある程度大事だが、世間にはどうでもいいようなこだわりに囚われている人もいる。それがどんなに、馬鹿げていたり、客観的に考えると答えが出ていることだとしてもだ。逃れられない人のなんと多いことだろう。
先日、5ちゃんねるで「昔はこだわってたけど年取ってどうでもよくなったこと」というスレッドを見つけた。スレ主が挙げる一例は「能力。性格の方が遥かに大事」だ。(文:松本ミゾレ)
「食べ物。腹膨れればどうでも良くなってきた」
うん、確かにその通りだ。能力的に優れているのは素晴らしいことだけど、性格が悪いと後々周囲に嫌われ、損をしてしまう。このスレッドには、こういった"こだわっていた時期はあったけど、今はどうでもいい"ことの書き込みが実に多く目に付いた。
「学歴」「他人の目」
「食べ物。腹膨れればどうでも良くなってきた」
「服とかバッグとか身に付けるもののブランド。使いやすければそれでいいよ」
こんな感じで色々とあるんだけど、中でも「こだわり」そのものがどうでもよくなったとする意見には、思わず唸ってしまった。
こだわること自体がどうでもよくなってしまう時期って、確かにおっさんになるとやって来る。他人の目がどうでもよくなる瞬間も、確かに増える。僕自身、20代の頃は抵抗があった「部屋着にサンダルつっかけてコンビニに行く」ことを、今では平気になっている。
こだわりがなくなると生きやすくなる?だったら年を取るのも悪くないよね
今回のこのコラムで僕が伝えたいことって、実はそんなに大した話じゃない。単純に、「年齢を重ねるごとに、余計なこだわりを捨てる機会がどんどん増えていき、年々生きやすくなるよね」という話がしたいだけだ。
ブランド物への興味が薄れたり、自分のステータスに負い目を感じることもなくなったり。人間関係の悩みだって、年齢を経るごとに減ってきた。もちろん人によっては加齢に伴って悩みが増えることもあるかもしれないが、少なくとも僕はこのスレッドの趣旨通り、余計なこだわりはなくなっている。
「そんなことにこだわっても意味ないよ」と言いたくなるようなこだわり方をする人も、世の中には大勢いる。でもそういう人が歳を取って、毒気が抜けるようにこだわりを捨てる瞬間があったりする。そうすると、幾分か付き合いやすくなる。
こだわりから出るバイアスがかった発言をしていた人が、そういう発言をしなくなるとやっぱり周囲も安堵するし、仲良くやっていける気にもなる。背筋を伸ばしてこだわりを声高に主張するのも気合いを感じるけど、そんなことばかりだとやっぱり体が持たない。
年齢と共にこだわりがどうでもよくなるというのは、もしかすると余計なプレッシャーを取り除いて生きるための、自然な変化なのかもしれないね。