ホワイト企業は確かにあって、そこで働く人々は素晴らしい労働環境を確約されている。一方で、あくせく毎日頑張って働いても、ただただ酷使され、搾取されるだけで終わってしまうようなブラック企業は世間に数多い。
僕はのんびり暮らしているけど、それでも理不尽を目の当たりにするとやっぱり舌打ちしまくってしまう。特に目に余るのが、元々は人様に迷惑をかけるような奴だったのに、更正して以降はギャップのおかげでやけに厚遇され、尊敬されてる奴だ。そんなもん、昔っから悪さ一つせず、地道に、誰にも迷惑をかけずに生きてきた奴のが偉いに決まっている!
世の中は、どうしてこうも理不尽にまみれているんだろうか。(文:松本ミゾレ)
「親が金持ちって時点で勝ち組」という人も
先日、おーぷん2ちゃんねるに「ガチで人生を左右する理不尽な要素」というスレッドが登場した。スレ主はこの要素の例として、3月生まれ、一人っ子を挙げている。
なるほど、3月生まれは確かに子ども時代は同学年の中で体格面等で不利になりがちだ。一人っ子の僕は、一人っ子が理不尽という感覚はよく分からないが、家業を継ぐだとか、介護問題とかで不遇な面が表面化することはあるかもしれない。
世の中には理不尽な事例って山のようにある。たとえば母子・父子世帯は、子どもの進学で経済的なハードルが高くなりがちだ。それからちょっとオカルトっぽい話になるが、やたら運が良い奴と、もう本当に何をやっても報われないレベルで運がない奴もいる。この両者を見知っていると、他人事ながら「理不尽極まりないな」という気にもなる。
今回紹介したスレッドにも、様々な"理不尽"についての意見が寄せられている。
「親が金持ちって時点で勝ち組」
「持病」
「親の性格」
「貧乏3人兄弟親DQN。不細工に生まれたら青春時代は詰んでるし努力では一般人に追いつけない。以降は負け組人生確定。結局運が全て」
「家庭環境と周囲の人間ちゃうか」
「親が金持ち」という意見、僕もこれは、理不尽な部分だと思う。お金が全てではないんだけど、ないよりあった方が確実に人生が楽であるのは確か。お金の余裕は心の余裕である。
持病の有無もそうだ。自分の不摂生による病気でもなんでもない持病がある場合は、どうしても健康な人々と自分を比べてしまうものかもしれない。
いつ自分に理不尽が襲いかかってくるか、予測が立てられないのも理不尽
世間には理不尽が多いと散々書いてきたけど、やっぱり何度書いても足りないもんだ。先日もネットウォッチャーが逆恨みされ、男に刺殺される事件が起きた。あれもまさに典型的な理不尽の一例だろう。
高速道路に入り込んだ自転車を轢いてしまい、逮捕された運転手のニュースも最近流れたばかりである。高速道路に自転車に乗った人間がいるなんて前提で運転しているドライバーはいないのに、そんな迷惑な人間を轢いたら実名を公表されて逮捕される。理不尽だ。どう考えても納得できない。
それから、理不尽にも大なり小なりあるけども、いずれもあらかじめ予測して回避すらできないのが辛い。私たちの日常はこうした理不尽に溢れていて、いつどこでそこに陥るか、分かったもんじゃないのだ。