2010年代後半の今、日本の音楽シーンのエッジはどういうところにあるのか。そういうことをテーマに、音楽雑誌『MUSICA』編集長の有泉智子と語り合った。1つのキーとなるのは、yahyelやD.A.N.やDATSなど、ここ数年で頭角を現しつつある先鋭的なスタンスを持ったバンドたち。彼らは、海外のビートミュージックと同時代的な音楽性を追求しつつ、単なるトレンドの追随ではなく、確固たる意志とビジョンを持って音楽を表現している。
以下の記事中でも語っているが、今の時代の世界的な潮流として、突出した才能同士が「個」として点と点で結びつき、有機的にコラボレーションしていくことで生まれるクリエイティブが音楽シーンを牽引している現状がある。では、そういう時代に、「バンド」という方法論や「ロック」というマインドは、どんな有効性を持ち得るのか。話はそんなところに広がっていった。
■洋楽という言葉の裏には憧れとコンプレックスがあったけど、今はそういう感覚自体がない。(有泉)
柴:まずはこの話からしたいと思ってるんですけれど、ここ最近、若い世代の日本のアーティストを「洋楽っぽい」とか「洋楽的な」という言葉で紹介してるのを見ると、ちょっと違和感を覚えるんですよ。
特にyahyelやD.A.N.、DATS、PAELLASのようなバンドが脚光を浴びるようになってから、そう感じていて。「洋楽」という言葉のイメージって1990年代まではちゃんと共有されていたと思うんだけれど、こういうアーティストたちの音楽性を形容するのに安易にその言葉を使うのって、今の時代に起こっていることが見えてないんじゃないかと。まずはそのあたり、有泉さんとしてはどうですか?
有泉:そもそもなぜ「洋楽」と言われるかというと、単純にロックにしてもダンスミュージックにしても、そもそも輸入されてきた音楽だったからですよね。カルチャーとしてもそうだし、物理的にも昔は海を越えて輸入されるCDやアナログレコードを入手しなければいけなかった。かつては「洋楽コンプレックス」っていう言葉もよく使われてましたけど、洋楽という言葉の裏には、海の向こうの音楽、カルチャーであるという憧れとコンプレックスがあったし、地理的・時間的にも、日本でそれを手にするまでには距離があった。でも、今の時代はそうじゃない。オンラインで時差なく音楽が届くし、今の若い子たちは情報や感覚もユニバーサルになってきているから、もはや「輸入」という感覚自体がない。
つまり、世界全体のミュージックシーンのなかにアメリカのシーンがあり、イギリスがあり、ヨーロッパがあり、アジアがあり、日本も同じようにそのひとつである。そういう肌感覚は、まさにyahyelやD.A.N.の世代が当たり前に持っているものですよね。そのなかで自分たちが何をやるのかという視点がある。
柴:まさにそうなんです。だから今になって彼らのような世代が出てきている文化的背景を語るためには、1990年代、2000年代、そして2010年代がどういう時代だったのかを、まずはざっくりと振り返らなければいけない。
1990年代までは有泉さんがおっしゃったように、輸入盤によって育まれた音楽カルチャーがあった。そこで「洋楽」という言葉は、基本的にはアメリカとイギリスの音楽シーンの動向を示していた。で、2000年代は、これはいろんな理由があるんですけれど、特に音楽カルチャーが内向きになった時代だったと思うんです。ガラパゴス化というか、江戸時代に浮世絵が生まれたように、日本独自の音楽がユースカルチャーとして発展した。その象徴がボーカロイド、アニソン、アイドルで、2000年代の後半に種が蒔かれたものが、2010年代前半に花開いたと考えている。
柴:じゃあ、今の2018年がどういう時代かというと、3~4年前くらいから海外と日本がそもそもシームレスであるということを前提にした世代が新しい種を蒔きはじめている。そこには当然2010年代前半の反動もある。このあたりの時代感覚って有泉さんはどう捉えてますか?
有泉:ざっくりは同意なんですけど、そもそもなぜ2000年代にガラパゴス化が起こったかというと、その分岐の起点は1997~1998年にあったと思うんですね。その時期に何が起こったかというと、たとえばDragon Ash、くるり、スーパーカー、あるいは椎名林檎や中村一義のような、新しい世代のアーティストたちによって、海外の音楽の動向や文脈を自分たちなりに咀嚼したオルタナティヴなロックやポップミュージックが生まれていったんですよね。
で、そうやって海外との同時代性を持ったものが生まれていったことも含めて、結果的にこの国の音楽シーンはそれ以前に比べてバラエティー豊かなものになった。だから極端な言い方をすれば、2000年代って、音楽を好きになった子たちが国内の音楽を消費していくだけでもある程度の興味は満たされることができるような、そういう状況だったとも言えると思うんです。
有泉:そういう時代に思春期を過ごした子たちがバンドや創作をはじめるようになったときに、必然的に自分たちが好きで聴いてきた日本国内の音楽をベースに音楽を作っていく時代がやってきた。それが割と極端な形で出たのが2000年代末から2010年代前半だと思うんです。でも、それがいい加減に袋小路になっていったり、柴さんが言うようなガラパゴス化が進んだ結果、当然ながらそこに対して物足りなさや反発を覚えるような反動も出てくるし、かつ、YouTubeやSoundCloudを通じてリアルタイムに海外の音楽を聴けることが当たり前になった時代に思春期を過ごした人、その面白さを知っている人たちが音楽を作りはじめるタームがやってくる。
柴:バンドシーンの流れはまさにそうですね。
■特にアメリカにおいては、ロックバンドをやるという発想がすでに懐古趣味的なものになっている。(柴)
有泉:それに加えて、もう1つ大事なことがあって。2000年代が終わったあたりで明らかになったのは、いわゆるオーセンティックなギター、ベース、ドラム、ボーカルというスタイルの音楽が、方法論としてやり尽くされてしまったということだと思うんです。その形態での新しい、かつ大きなムーブメントって、The StrokesやThe White Stripesが出てきた2000年代前半のガレージロック・リバイバル、ポストパンク・リバイバルあたりが最後ですよね。
有泉:わかりやすいのは、yahyelのメンバーであるMONJOE(杉本亘)も篠田ミルも、もともとはいわゆるギターロックの系統にあるインディーロックバンドをやってたんですよね。けれど、そこではもうやはり新しいことをできる可能性が少ないことを実感して、yahyelを組むに至った。もちろんオーセンティックなロックバンド・スタイルで新しくて面白いものを生み出せる可能性は一切ない、なんていうわけではないんですが、今その可能性を追うのって、針穴に糸を通すようなことに近いと思うんですよね。
これは日本に限ったことではなくて、海外でも同様、というかむしろ海外で顕著なことで。実際、もはやオーセンティックな形態でロックバンドをやっている若い子って非常に少なくて、シンセも打ち込みもバンドの表現に当たり前に入っている。ビートミュージックやエレクトロニカの要素をどう取り込んでいくかっていうことは、今の時代にバンドをやる上では切り離せないことで。もちろん、それをやらないという選択肢を取るというのもひとつですけど、それも含めて、そこを考えずにはできないというか。
柴:そうですね。特にアメリカにおいては、ロックバンドをやるという発想がすでに懐古趣味的なものになってしまっているという現状がある。そしてその一方では、フランク・オーシャンやケンドリック・ラマー、Chance the Rapper、Childish Gambinoのようなブラックミュージックが社会に強いインパクトを与えている。じゃあ、それを踏まえてどういうことをやろう、という。
有泉:今のこの状況を理解するにあたっての起点はもう少し前で、2010年前後、Flying Lotusによる新しいビートミュージックの登場と、ジェイムス・ブレイクに代表されるようなポストダブステップをベースにした、のちにインディーR&BとかオルタナティヴR&Bとか言われる現代的なR&Bの登場が、やっぱり大きかったと思うんです。Flying Lotusがジャズに接近して、ヒップホップとジャズを融合させた新しいビートミュージックのスタイルが生まれてきたのがちょうど2010年くらいのことで、彼を筆頭にしたLAのビートミュージックシーンがすごく面白くなった。で、ロバート・グラスバーがジャズの文脈からヒップホップを取り込むアプローチをはじめたのもほぼ同時期なんですよね。
有泉:一方で、2000年代におけるほぼ唯一のジャンル的な発明はダブステップだって言われてたこともありましたけど、その文脈やアンビエントを編集したジェイムス・ブレイクやFKA twigsみたいなR&Bが一世を風靡していくのも同じ時期で。そうなると、「今から自分たちが作り得る本当に刺激的で面白い音楽って何だろう」「先鋭的なポップミュージックって何だろう」ってことを考えて音楽を作りはじめる子たち、アンテナを張っている10代の子たちは、そこに気づくわけです。一方で、インディーロックは新しい発明が生まれずシーンが停滞している状況があった。そういう状況にある以上、いざ音楽をはじめるってなったときに、自分たちの表現に意欲的であればあるほどオーセンティックなインディーロックとは違う選択肢を選ぶのって当然の流れではありますよね。
■失われていたエクスペリメンタルな挑戦を取り戻そうとしているのがこの世代。(有泉)
柴:yahyelやD.A.N.やDATSって、基本的にはロックバンドの音楽を聴いて育ってきているんですよね。たしか、DATSはインタビューで自分たちのルーツをNirvanaとOasisとELLEGARDENだと言っていました。
有泉:そうですね。D.A.N.や、あるいはThe fin.なんかも、中学時代にASIAN KUNG-FU GENERATIONを聴いたのが最初の音楽体験だっていうような話もしてましたね。
柴:つまり、2000年代の日本のロックバンドを聴いて育った世代なんですよね。でもそれを直接的に継承するような音楽性にはならなかった。
有泉:彼らからしたら、そこから分岐していった2000年代後期以降の日本のロックシーンが非常に国内的なものになってしまったとことへのフラストレーションもあったんじゃないかな。特に2010年代前半の日本のバンドシーンって均一化が進んでましたしね。その背景にはフェスの現場でどれだけ盛り上げられるかってことが若手バンドの登竜門になった影響もあったし、そのなかで4つ打ちソングが大ブームになったというのもそうですけど。で、そういう動きに対してつまらなさを覚えるようなところがあったんじゃないかと。当然、人と同じことをやっても仕方ないって気持ちもあるでしょうし。
柴:そうですね。僕がさっき話したアイドルの話もそこにつながる話で。たとえば、ももいろクローバーZやでんぱ組.incのようなアイドルが頭角を現したというのも、結局のところ、アイドルというものが新しい音楽を発明するアートフォームとして機能したということだったと思います。
有泉:yahyelやD.A.N.の現場を見ていると、クラブミュージックの流れも大きいと思うんです。日本のクラブシーンというか、テクノを主体とするダンスミュージックのシーンって、1990年代に石野卓球、Ken Ishii、田中フミヤが作り上げたシーンから、それほど更新されてこなかったと思うんですよ。そのあとに出てきた世界にも通じる力を持ったDJはDJ Nobuくらいだし、『WIRE』や『METAMORPHOSE』といったレイヴが近年開催されていないことや、あるいは風営法の問題もあってオールナイトのクラブ文化が難しくなっていったりもしたし。もちろん、そこには世界のダンスミュージックの動向の移り変わりも関係してるんですけど。
柴:2010年代に入って広まったのはEDMのカルチャーですよね。それ以前にあったイギリスやヨーロッパのクラブミュージックとは違う文脈のものがアメリカのマイアミから世界中に広がっていった。
有泉:EDMはポップスとして成立したことが素晴らしいけど、先鋭的な新しい音楽を生み出すアートフォームではないですよね。クラブミュージックの現場って、新しい音楽の実験の場所でもあったと思うんですよ。新しいリズム、新しい音、新しいアプローチ、新しい構造を持った刺激的な音楽を作り上げていくような。
わかりやすい例を出すとRadioheadが『Kid A』(2000年)を生み出した背景にはAutechreの存在があったというのもそうですけど、前衛的で先端的な、エクスペリメンタルで創造的な場として機能がクラブカルチャーにはあり続けていたと思うんです。で、その実験の成果をポップミュージックのアーティストが取り込むことで、ポップミュージックが更新されていくという有機的な循環があった。
有泉:もちろん、さっき例に挙げたジェイムス・ブレイクだったり、2000年代以降にもあり続けてはいるんですけどね。で、国内に目を向けると、そういう文脈でのクラブシーン、エレクトロニック・ダンスミュージックで新世代が刺激的な現場を作ることって長らくなかったと思うんですけど、yahyelやD.A.N.のような世代からは、また出てきているんですよね。たとえばseihoやMadeggといったアーティスト、あるいはLicaxxxみたいな新世代のDJが活発な活動をしていることもそう。
有泉:だからちょっと大げさな言い方になるかもしれないけど、ロックにしてもクラブミュージックにしても、しばらくこの国で失われていたエクスペリメンタルな挑戦を取り戻そうとしているのがこの世代だと思う。
■yahyelって自分たちのことを「バンド」とは言ってないですよね?(柴)
柴:VJを含んだ特殊な編成というのが一番象徴的ですけど、yahyelはスタンスとしても、音楽性的にも、かなり意識的にエクスペリメンタルな志向を打ち出していますよね。そういう点で、彼らは日本の音楽シーンの今後を占う存在だと思うんです。有泉さんは、yahyelに対してどういう第一印象を抱きましたか?
有泉:第一印象は、Flying Lotus以降のビートミュージックやジェイムス・ブレイク以降のポップミュージック、つまり2010年代の新しい海外の音楽と明確な同時代性を持った、かつ、ただ流されるのではなく、それをちゃんと自分たちの解釈で自分たちの表現として音楽にしていく日本のアーティストが遂に出てきたな、という印象でした。
柴:yahyelって自分たちのことを「バンド」とは言ってないですよね?
有泉:言ってないですね。「音楽集団」と言ってますけど、彼らが自分たちをバンドと呼ばないのは意識的なことですね。たぶん、バンドという言葉に付随する既成のイメージに絡め取られたくない、という意図があるんだと思いますし、自分たち自身も、バンドであると言ったところから生まれてしまう馴れ合い的な感覚を排除したいんだと思います。
とはいえ、私は彼らをロックバンドとして捉えているし、今年出た2ndアルバム『Human』に至る過程で、彼らのなかに非常にバンド的な価値観の共有が行われていると思ってますけどね。ロックバンドっていう言い方をすると、「ロックって何だ?」って話にもなっちゃうんですけど、実際ロックバンドが鳴らす音楽って時代や世代によって変わってきたものだと思うし、別にオーセンティックなロックンロールをベースにしていなくてもいいと思ってるので。こういう言い方をすると非難もされるでしょうけど(笑)。でも要は、そのときに自分たちが一番カッコよくてエキサイティングだと思う音楽をバンドで鳴らしてるってことが重要だと思うし、そこからロックバンドの新しい可能性が生まれ、更新されていくものだと思う。
柴:yahyelとDATSに関してはメンバーも重なっているので(杉本亘と大井一彌が両バンドに在籍)、ロックバンドというものに対しての意識は明確に差別化されてると思いますね。端的に言うと、DATSはyahyelとまったく同じ時代認識を踏まえたうえで、それでも堂々とロックバンドをやろうとしている。1990年代にOasisが、2000年代にKasabianが出てきたのと同じように、実験的で先鋭的なものというよりも、1つの新しい王道を作ろうとしている。
有泉:そうですね。DATSのほうがわかりやすいですけど、彼らは前提として、かつて自分が好きだったロックバンドと同じサウンドフォーマットでやっても、今の時代のロックにはならないんじゃないかという考え方を持ってますよね。もちろん憧れているし大好きだと思うけど、それが今の時代、今の若い世代の感覚としてリアリティーを持った音楽、ロックとして響くかといえば、そうではない。
だからかつてのロックバンドが持っていたメンタリティーを鳴らすためには、サウンドにしてもスタイルにしても、今の自分たちの価値観を反映して発信していかなければいけない。過去の焼き直しをやりたいわけではないですから。そういう意識は、若い世代はもちろん、上の世代のバンドでも今はみんな多かれ少なかれ持っているし、試行錯誤してますよね。
■「集団としての1つの価値観や思想が育っていく」というのも、バンドの面白さだと思うんです。(有泉)
柴:これも世界中で同時代的に起こっている潮流ですけれど、今は「バンドというものが何であるか」が問い直されている時代とも言えるんですよね。特に先鋭的なクリエイターにとっては、どんどん個人の時代になっている。才能のある人が点と点で結びついてプロジェクト的に作品を作るようなあり方がモダンな音楽シーンでは当たり前になっていて。
DrakeとかKanye WestみたいなR&Bやヒップホップのシーンはもちろんだけど、Maroon 5みたいにバンドだってそういう発想になっているんですよね。かつてはバンドに一蓮托生の仲間みたいなイメージがあったんだけれど、どんどんそうじゃなくなっている。そう考えると、yahyelのあり方はすごく現代的だと思うんです。映像作家としていろんな仕事をしている山田健人(dutch_tokyo)がメンバーにいたり、yahyelとDATSとメンバーが重なっていることも含めて。
有泉:まさにそうですね。もちろん、固定されたメンバーで音楽を作っていくということには、すごく有用な側面もあるんですよ。長い期間を同じメンバーで同じ時間を過ごすなかで深まっていくものは必ずあるし、だからこそ生まれる物語もある。でも、メンバーが固定されればどうしたって制約も出てくるわけで、音楽的選択肢が絞られていく側面もありますよね。
柴さんが言った「現代が個の時代である」っていうのはまさにそうなんですけど、そもそもなんでそうなったかというと大きな要因は2つあって、その1つには、DTMを使って1人で音楽が作れるようになったということがありますよね。ギター、ベース、ドラムといったプレイヤーを集めなくても、コンピューターを使って全部の音を1人で構築することが可能になった。だから音楽を作る上で必ずしも他者を必要としない。
有泉:でも、それはそれで限界もあって。たとえば他者とコミュニケートすることで1人では思いもよらなかった発想が生まれて、100が120にも200にもなったりする。そういうことってクリエイティヴにおいてはとても重要なことで。で、そこにもう1つの要因である、ネットでコンタクトを取りやすくなり、かつ物理的に集まらなくてもデータのやり取りによって音楽を共作していくことが可能になった今という時代性が重なって、今は個と個が結びついてコラボレーションする時代になっている。
柴:そうですね。yahyelのメンバーそれぞれにもその時代認識はきっとあったはずだと思うんですけれど。
有泉:そう。だからこそ、彼らは自分たちのことを「バンド」とは呼ばないんですよね。5人の独立したクリエイターのコラボレーション=yahyelである、という認識を大切にしている。その意識は今も持ってると思いますが、でもyahyelのあり方も、初期と今とでは変わってきてると思いますね。1stアルバムから2ndアルバム『Human』に至るまでの間にライブや制作を重ねていくうちに、お互いに対する理解も進み、5人のなかで共有される価値観や思想が深まっていったと思うんですよ。
たとえば『Human』の重要な起点となった“Iron”という曲は、映像作家である山田健人のアイデアから完成に至った曲なんですが、それって彼がメンバーとして他の4人と共にyahyelという思想を培ってきたからこそ起こったことで。だからこの曲のMVから、映像自体にもyahyelとしてのメッセージがより明確かつ踏み込んだ形で現れるようになりましたし、今年の春のツアーでのVJの進化にも同じことが言える。
有泉:単なるコラボレーションの結果じゃなくて、「集団としての1つの価値観や思想が育っていく」というのも、バンドの面白さだと思うんです。たとえばBOOM BOOM SATELLITESの中野(雅之)さんが「20年やってきたなかで、それぞれの人格とは別にBOOM BOOM SATELLITESという人格ができあがっていった」って言っていて。それはどのバンドにもあることで、そういう意味で今のyahyelは、「よりバンド的になっている」という言い方ができると思います。
■僕はyahyelを怒りの音楽、苛立ちの音楽だと捉えている。(柴)
柴:今、BOOM BOOM SATELLITESの名前を挙がったのでこの話もしたいんですけれど、yahyelには海外との同時代性という横の文脈と同時に、縦の文脈も当然あると思うんです。つまり日本で彼らのようなマインドと価値観を持った音楽をやっていた先人もいるはずだと。その1つにBOOM BOOM SATELLITESを位置づけることができると思っていて。そのあたりはどうですか?
有泉:yahyelがBOOM BOOM SATELLITESから直接的に影響を受けているとは思わないですけど、立ち位置だったり、何を志しているのかっていうことだったりで考えると、その系譜に位置づけることはできるとは思います。
柴:あと、『Human』を聴いたときの印象が、『UMBRA』(2001年)~『PHOTON』(2002年)あたりのBOOM BOOM SATELLITESにどこか近いんですよね。ビートミュージックでありつつ、グランジの要素がある。特にアルバムの最後の“Lover”という曲にそれを感じるんですけれど。
有泉:『Human』と『UMBRA』の相似点を考えると、どちらも1人の人間がもがき苦しみながら答えを探り出していく、そのドキュメントが割とダイレクトに楽曲に反映されているという点もあると思います。『Human』の場合は池貝峻、『UMBRA』の場合は川島道行の苦悩と葛藤ですね。柴さんがグランジ的であると感じた要因は、そういう背景も関係してるのかなと思います。
ただ、BOOM BOOM SATELLITESは、テクノやダンスミュージックとロックバンドを融合させること、それによって「ロックバンド」のあり方とアウトプットを更新することにとても意識的だった。BOOM BOOM SATELLITESは「自分たちはロックバンドである」と常に自覚していたと思うんですよ。それに対してyahyelにはそういう意識は希薄というか、そこにはまったく囚われていない。
柴:グランジの要素って言ったけれど、それはジャンルとか1990年代感ということではなくて。苛立ちと閉塞感なんですよね。僕はyahyelを怒りの音楽、苛立ちの音楽だと捉えている。そこが、僕がyahyelを評価し、支持している理由の1つなんですけれど。
有泉:わかります。怒りの音楽であるというのは同意です。
柴:今の時代、特にエレクトロニックミュージックを作ろうとするときに、心地よく洗練された音楽を作ることは、より容易になっているんです。それはさっき言った、個の時代というのもリンクしている。もっと言うと、音楽だけじゃなく、社会全体がそうなっている。コミュニケーションのあり方が変わってきていると思うんです。今、社会全体が他人との摩擦を避ける傾向になっている。
卑近な例で言うと、みんなどんどん仕事の電話をしなくなってますよね。メールになり、Slackになっている。コミュニケーションがどんどんスマートになっている。だけど、怒りを表現した音楽というのは、あってしかるべきだと思うんです。
柴:居場所のなさだったり、あてどのなさだったり、自分たちが暮らしている日常や社会に対しての違和感だったり、そういうものを持っている人ならば、当然アウトプットに怒りは含まれるべきで。そのうえで、yahyelはスタイリッシュな音楽性と怒りや苛立ちを同居させている。そういうことができる人ってなかなかいないし、僕がyahyelを好きな理由はそこなんですよね。
有泉:そうですね。yahyelって社会に対する問題提起を含んだメッセージ性を強く持っているバンドだし、基本的に歌っているメッセージはずっと変わってないんですよ。
柴:有泉さんはyahyelのメッセージ性をどう捉えていますか?
有泉:根幹にあるのは「人はどう生きるのか」という哲学的な問いと個の存在意義や意思の尊重、そしてディストピアな現代社会への問題提起だと捉えていますけど、その背景の1つとして、差別に対するアゲインストがあって。それは池貝が海外に住んでいるときに経験した、個としての自分よりも日本人というステレオタイプなイメージに当てはめて判断される、という実体験がベースになってると聞いたんです。
有泉:彼らはデビュー当初、匿名性を前面に打ち出そうとしてましたけど、その理由は、国籍とかエスニシティー、性別といった、個々に付帯する情報とそこに纏わりつく既存のイメージを排除してフラットにすることによって、逆説的に個そのものの価値観とメッセージを強く浮かび上がらせようとしていたからなんです。
ただ、それはコンセプトが先走ってしまってわかりにくかった(笑)。今話したような、彼らがなぜ匿名性にこだわるのかっていう本当の意図は伝わらなかったんですよね。だから『Human』では、どんな人間がこの音楽をやっているのか、ということを出すようになった。それでアーティスト写真も顔がクリアに出る形になったわけですけど。で、楽曲的にも、池貝峻という人が持っている人間性や感情を一人称で音楽に素直に出すようになった。だからこそ『Human』はより人間味が増した、エモーショナルな表現になっているんですよね。
■yahyelには、この現状を打破したい、そのために音楽をやっているというメッセージがある。(有泉)
柴:有泉さんは、yahyelとD.A.N.を比較してどう思います? まったく別の文脈と方向性を持った2組だけれど、同じように括られることが多いですよね。
有泉:音楽的には全然異なるものですよね。音楽性として共通点があるとしたら、お互いにテクノやエレクトロニックなダンスミュージックを参照しているということくらいで。音像としてもそのスタイルを体現しているyahyelに対して、D.A.N.はミニマルなテクノやハウスを人力でやることの面白さを追求している。
たとえば、海外にMoritz von Oswald Trioという、ミニマルダブの巨匠を軸にしたテクノトリオがいるんですけど。彼らは生楽器をフィーチャーしていて、かつ、ある時期からアフロビートの生きるレジェンド、トニー・アレンをドラマーに迎えてるんですよね。つまり、均一的なマシンビートによるテクノに即興性や生のグルーヴを大胆に持ち込むことで、新しいエレクトロニックミュージックを開拓してる。
有泉:で、D.A.N.は彼らの影響を受けていると思うんですけど、ロックバンドの文脈からそれをやろうとしているというか。D.A.N.は3人の人間が肉体的に奏でる音楽であるという意識は強い。音源でもD.A.N.のミニマルなビートって、長尺の曲でもループではなく、マルッと叩いてるんですよね。
柴:それに歌っている内容も違いますよね。
有泉:ディストピア観は通底してると思いますけど、アウトプットのやり方が違いますよね。というか、やっぱりyahyelって痛烈なメッセージ性があるんですよね。この現状を打破したい、そのために音楽というアートフォームを通して社会に対してメッセージを訴えかけるんだという、レベルミュージックとしてのアティチュードが明確にある。対してD.A.N.はそういうことを掲げてやっているバンドではない。
柴:D.A.N.に関しては、そこですごく思うことがあって。さっきyahyelとBOOM BOOM SATELLITESをつなげたように彼らを日本のロックのヒストリーのなかに位置づけるならば、フィッシュマンズ、ゆらゆら帝国、OGRE YOU ASSHOLE、そしてD.A.N.という1本の線を引くことができる。それは「ミニマルメロウ」というキーワードとか、バンドサウンドの方法論もそうなんですけれど、実は言葉の側面が大きいと思うんです。
フィッシュマンズの佐藤伸治さん、ゆらゆら帝国の坂本慎太郎さんの詩人としての才能って、世界を変革するメッセージ性というよりは、聴いた人の現実認識に作用する力にあると思っていて。つまり「今、あなたが目の前に見えている現実は、見えているとおりのものではなく、別の何かである」ということをすごく研ぎ澄まされた形で表現している。OGRE YOU ASSHOLEも『ペーパークラフト』(2014年)あたりからそうなっている(参考記事:消費社会にフェティシズムを取り戻す、OGRE YOU ASSHOLE)。
柴:最近だったらceroがダントツですよね。『POLY LIFE MULTI SOUL』(2018年)の音楽的な試みは称賛されるべきだと思うけれど、“魚の骨 鳥の羽”とか、高城さんの詩人としての冴え渡り方も半端じゃないレベルに達している。D.A.Nの櫻木さんはキリンジの堀込泰行さんを影響元に挙げているけれど、たとえば“エイリアンズ”(2000年)もそういう曲である(参考記事:堀込泰行×D.A.N.櫻木対談 影響し合う二人による「歌詞」談義)。
僕としては、櫻木さんにもそういった才能の片鱗を感じるんですけれど、正直に言ってしまうと、まだ覚醒はしてないと思うんですよね。スムースに聴けちゃうんじゃなくて、日常のふりをしながら隣に何気なく異世界があるような、ある種の怖さと快楽性を持つ言葉を歌ってほしいと。
有泉:なるほど。そうやって音楽的にも歌詞の面でも異なるyahyelとD.A.N.が同じように括られて語られるのは、どちらもビートミュージック、エレクトロニックなダンスミュージックの文脈を取り込んでいて、かつ、最初のほうで話したような、この世代ならではのユニバーサルな感覚とエクスペリメンタルな挑戦心を持って音楽をやっている、というところが大きいでしょうね。そこには2010年代という今の時代性があると言えますよね。私は今が日本の音楽シーンの転換期であるのは間違いないと思っていて。今この国の20代半ば世代が生み出している音楽はとても面白いし、この流れはしばらく続くと思っているんです。
柴:そこは同意ですね。
有泉:みんな感覚や姿勢に共通するものはあるけど、でもそれぞれがやっている音楽はそれぞれにオリジナリティーがあって、多様性がある。多岐にわたる参照点を持ちながら、ちゃんと自分自身の音楽を開拓するという点で挑戦をしている。新しい可能性がいろんなところで生まれていて、本当にワクワクしてますね。