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中村雅俊はなぜ“歌い続ける”のか? 『半分、青い。』仙吉が抱えていた深い傷と濃い闇

2018年07月06日 06:02  リアルサウンド

リアルサウンド

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 今週放送された連続テレビ小説『半分、青い。』(NHK総合)の第80話では、再び仙吉(中村雅俊)による「あの素晴らしい愛をもう一度」の弾き語りを耳にすることができ、朝から胸を震わせた視聴者も多かったことだろう。仙吉は孫の鈴愛(永野芽郁)に対して、わずかではあるものの、自身の戦争体験を話した。6月1日に放送された第53話の、同じく孫である小学生の頃の草太(志水透哉)との回想シーンでは、戦争については語りたがらない仙吉が描かれていた。どうして、今回自分から鈴愛に戦争の話を口にしたのか。仙吉がラブソングをこよなく愛する背景とともに探っていきたい。


参考:『半分、青い。』第83話では、鈴愛(永野芽郁)が美しい青年(間宮祥太朗)に一瞬キュンとする


 第53話で、小学生の草太に戦争の話を拒む理由として、「草太の頭の中で、幸せなおじいちゃんのままでいたい」と言う仙吉。当時は年端もいかない草太に対する彼なりの優しさだったのだろう。とはいえ廉子(風吹ジュン)のナレーションにあったように、草太はそのとき、「おじいちゃんの戦争の深い傷と濃い闇」を感じてしまうのだが。


 第80話では、鈴愛は自分の漫画家としての腕の足らなさを電話で仙吉に吐露した。「思ったほど、才能なかった」とか「あかんかもしれない」と胸の内を明かす鈴愛。漫画家をやめたらどうしようか迷う鈴愛に対して、仙吉は「このご時世、どうやったって生きてけるぞ」と励ます。ここで、仙吉は戦争の話を口にするのだった。


 第53話で仙吉は満州での経験を話していたことからも、今回の話も恐らく満州でのエピソードなのだろう。敵に見つかって捕虜になることを恐れ、仙吉は現地の人にかくまってもらったという。そこで、10日から2週間近く暗い穴倉の中で生きながらえた。そんな生活での仙吉の生きがいは、1日に15分ばかり差し込む陽の光だった。「15分、光が差すだけで人はそれを楽しみに生きていけるんやって思ったんや」と仙吉は語る。既にSNSなどで指摘されていることではあるが、村上春樹の小説『ねじまき鳥クロニクル』での間宮中尉の井戸のエピソードに少しだけ似ている(かくまってもらうのと、覚悟を決めて井戸に飛び込むのでは、置かれた状況設定が違うが)。間宮も深い井戸の中で1日の僅かな時間の日光に感慨を覚える。ただ、間宮はその経験以降の人生で、生きる情熱を失ってしまっていたという点では仙吉とは異なるかもしれない。


 もちろん、鈴愛がもう28歳になったという年齢的な理由もあるかもしれないが、仙吉がこのタイミングで鈴愛に戦争体験を聞かせたのは、その話を通じてでしか響かせることのできないメッセージを鈴愛に伝えたかったからなのではないか。鈴愛に訴えたかったことは、苦境に立たされた人間が持つエネルギーの強さだったのだろう。「要はな、鈴愛。どうにでもなるぞ。大丈夫やってことや。人間はな、強いぞ」という言葉は、仙吉の強烈な過去の経験に裏打ちされた、渾身のメッセージなのだ。たとえどんなに辛い状況にあっても、必ず生きるための光明は鈴愛の前に差し込んでいる。だからこそ、鈴愛が「あかんかもしれない」と呟いても、あっさりと、「そうかあ。漫画家、まぁ~あかんか」と前を向くことができるのだ。


 それに加えて、まだ28歳の鈴愛ならまだまだ人生の選択肢は無数にある、心配するな、という思いがひしひしと伝わってくる。そう、今の時代なら、食べたいものを食べ、遊びたいときに遊び、観たい映画を観て、読みたい本を読み、熱中したい趣味に打ち込み、そして何より、歌いたい歌を歌うことができるのだ。第53話で、草太(上村海成)に仙吉の青春時代の歌を歌ってくれとせがまれるのだが、「おじいちゃんの青春時代の歌はろくなもんなかった。あんまり好きやなかった。軍歌とか」と言って、仙吉は結局サザンオールスターズの「真夏の果実」を弾き語る。そして、歌い終えると、「こんな歌がおじいちゃんの青春時代にあったらよかった。そしたらじいちゃん、廉子さんに、おばあちゃんに歌ってやった」と呟く。ご存知のように、「真夏の果実」のようなラブソングは軍歌と対極にある現代の歌であろう。自分の好きなように生きられるのだから、しっかりとそれを謳歌しろということを、仙吉は身をもって示してくれる。


 これまでも晴(松雪泰子)と比べると、宇太郎(滝藤賢一)同様にどちらかというと鈴愛の側に立ってあげることが多かった仙吉。ただ、それは単に楽観的で能天気ということではまったくなく、過去の経験によるものが大きかったことが伺い知れる。今後も鈴愛が困難に見舞われたときには、仙吉は確かなアドバイスをしてくれることであろう。(國重駿平)