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公開本数の激増は映画館にとって福音か? デジタル上映の長短を考える

2018年06月30日 12:02  リアルサウンド

リアルサウンド

 東京は立川にある独立系シネコン、【極上爆音上映】等で知られる“シネマシティ”の企画担当遠山がシネコンの仕事を紹介したり、映画館の未来を提案するこのコラム、第29回は“公開本数の激増は映画館にとって福音か?”というテーマで。


参考:シネコンの“上映スケジュール”はなぜギリギリの発表になるのか?


 ここ数年、まあまあ映画観ている友だちと話しても、同じ作品を観ている確率が下がってません? それも公開規模の小さい作品というだけでなく、かなり広く宣伝されているものとか、大ヒットシリーズの続編とか、そういうクラスの作品でもです。それは、気のせいなんかじゃありません。


 2011年頃から、映画の年間公開本数が激増しています。2017年に洋邦併せて公開された本数は1,187本。仮にあなたが相当の映画オタで、年に100本観たとしても、全体の10%も観られていない、ということになります。人付き合いというものを一切断ち、人生のすべてを映画鑑賞に捧げる映画求道者になっても年600本観るのは至難の荒行ですが、それでもやっと半分観たに過ぎません。


 しかもこの総数には過去作のリバイバル上映や、ライブビューイングや生の舞台やなんかを収録したもの(ODSと呼ばれています。Other Digital Stuff)は含まれていません。つまり、とにかく映画館で上映されたもの、という括りにすればさらに100本くらいは増える可能性があるわけです。いやはや。


 一般社団法人日本映画製作者連盟のサイトで発表されている「日本映画産業統計」→「過去データ」をご覧ください。ここでは1955年からの公開本数やスクリーン数、平均客単価なんかが見られます。


一般社団法人日本映画製作者連盟サイト


 このデータによると、先述の通り、公開本数の激増が始まったのは2011年頃で、この統計データを取り始めた約50年間は、多少のブレはあるものの、おおよそ550本~700本の間で推移してきたのです。


 いったい2011年に何があったのか? これの答えはシンプルです。この年、映画館での上映形態がほぼ完全に35mmフィルムからDCP、つまりデジタル上映に切り替わったのです。2012年にスクリーン数が少し減っているでしょう? これはデジタル上映のための設備投資ができなかった劇場がやむなく閉館したという理由が大きいのです。東日本大震災を経て建物の耐震基準の見直しが行われた、というもう一つの理由もありますが。


 現在映画館には、ハードディスクで映画のデータが送られてきます。35mmフィルムと違ってずいぶんコンパクトになり、当然現像の手間もないので、制作費も、上映媒体の送料なども大きくコストダウンもできたわけです。それが製作本数の増加の一番の理由ですね。コスト面において、映画を作るハードル、映画を配給するハードルが下がったことは、それをやりたいと思う人にとってはチャンスが増えて喜ばしいことでしょう。


 スクリーン数がシネコン化のために増加したのも大きいです。加えて1スクリーンで1作品を上映する、というのではなく、大抵どこでもスクリーン数の1.5倍~2倍の作品数を上映するようになりました。タマゴが先か、ニワトリが先か、みたいなところもありますが。


 これ、映画館としては、ありがたい側面もあるんですよ。情報の消費スピードがとてつもなく加速している時代に合わせ、次から次に新作を放って、上映期間を短くすれば座席稼働率は上がります。日に300名集められる見込みの作品を5回上映するより、日に70名は集められる作品を5本上映したほうが映画館は稼げるわけです。また製作側も、制作費の大きな1本に賭けるよりも、複数本に分割したほうがリスクが低いでしょう。


 映画ファンにとってももちろんメリットはあります。選択肢は多いに越したことはないじゃないか、ということですね。もっとインド映画たくさんやってくれとか、『ヒックとドラゴン』の2と3を上映しろ、なんで『マザー!』日本でやんないんだよ、『ピッチ・パーフェクト3』公開見送られそうってウソだと言って、とかいう声はたくさんあります。とにかく何でもかんでも上映してほしいというのも、映画ファンの望みでしょう。


 しかし、このことを踏まえた上で、僕はこの製作、公開本数の激増を少なくとも映画館にとっては自らの首を絞めるものになる可能性があるのではないか、と危惧しています。


 まず、公開本数の増加によって、始まって終わるサイクルが早くなるのも、上映回数が絞られるのも、そのことで映画館の座席稼働率は上がるかも知れませんが、当然お客様にとってはスケジュール的にキツくなってきます。そのため、「まあ映画館で観なくてもいいか率」も併せて上昇する可能性があります。


 また、これが一番大きな危惧なのですが、公開本数が激増することで、映画ファンそれぞれが観ている作品が分散されるため、同じ作品について語り合える可能性が低くなります。


 とりわけ物語がある娯楽は、他者と共感しあったり、反発しあったりというのを強く要請してくる、と感じます。音楽やアートは、おそらくは概ね言語を介さないために、個人で楽しみ切れる部分が多いと思うのですが、小説、演劇、映画等は、心の内だけでは十分にその楽しみを味わい切れないのではないか、と感じています。もちろん1人では観に行けない、寂しいというような意味ではないですよ。むしろ1人でしか観ない人であっても、という話です。


 他者との共感が、その魅力を上げるとか、観ようという動機の重要な要素のひとつであるエンタテイメントにとって、公開作品数が増加することは、良いことばかりではないということです。とりわけその場に行くというコストを要求する映画館や芝居小屋などにとっては長期的に見れば、集客のマイナスになるのではないかと感じています。映画館にわざわざ足を運ぶ理由に、周囲の人が観ているからというのは小さくないからです。特に熱心な映画ファン以外の方にとっては。


 ただこの公開本数増加は誰かの統合的なコントロールによるものではなく、それぞれの自由な経済活動の結果としてあるものなので、解決の方法というものが存在するとは思えないというのも難しい点ですね。現状を受け入れて楽しむ(楽しんでいただく)方法を探るべきなのかも知れません。


 SNSもなんとなく底が知れてきた近頃、1,200本公開時代の新しい映画感動共有文化は生まれるのか? You ain’t heard nothin’ yet !(お楽しみはこれからだ)(遠山武志)