2018年大会のPPIHCパイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライムで、セバスチャン・ローブとプジョースポールの持つレコードタイムを約16秒も短縮したフォルクスワーゲンと、そのドライバーを務めたロマン・デュマは、驚異的な新記録より「さらに10秒速く走れたはず」だと大会を振り返った。
2013年にローブがドライブした『プジョー208T16パイクスピーク』が樹立した8分13秒878というコースレコードを約16秒も短縮し、全長12.42マイル(19.99km)、156のコーナーを7分57秒148で駆け抜けた『フォルクスワーゲンI.D. Rパイクスピーク』だが、そのフルEVモンスターマシンをドライブした40歳の元ル・マン勝者は、先の週末を振り返り「さらに速いタイムを出すことも可能だった」と語った。
「もちろん、タイムが良いことは(走行中に)分かっていたよ」とデュマ。
「セクタータイムは知らされていなかったけど、ドライバーだから各セクターの感触でどの程度のタイムかは想像がつくものだ」
「セクター1は良いコンディションだったけど、セクター2では湿度が高く霧も発生していた。でもここまではなんのリスクもなかった。その先で4~5秒はタイムロスを喫したと思う。詳細はまだ確認していないけど、ターマック路面は霧のために温度が低く、グリップもあまり良くなかったんだ」
続けて「考えられる好条件を組み合わせた場合、レコードタイムはあとどれだけ縮められたか?」と問われたデュマは「最低でも10秒。でも、完璧なコンディションの1日なんて誰かが保証できるものでもないからね」と回答した。
このチームのテクニカルディレクターを担当したフォルクスワーゲン・モータースポーツGmbHの“FX”ことフランソワ-クサビエ・ドゥメゾンも、彼らのシミュレーションに基づき「7分55秒を記録できる可能性はあった」と控えめながらタイム短縮の見積もりを語っている。
スタート時点でデュマは先行車のアクシデントにより走行がディレイとなり、新記録樹立後の数時間のうちにはセクター3で雪が降り始め、その後のエントラントはオフィシャルの判断によりコースを短縮しての競技続行となっていた。
「僕がスタートする前の時点で、雲が入ったり来たりするのが見えていた」と続けたデュマ。
「それでもコクピットに留まることを決めていたけど、いつ走行可能かは確信が持てなかった。(エンジニアの)ドゥメゾンの顔にもストレスが浮かんでいるのが分かったよ。僕は『ああ、あの雲を見てみろ。これは困ったことになったぞ』なんて考えていた。もうこれ以上スタート時間を遅らせるわけにはいかない状況だったね」
「セクター2を抜けて霧が晴れてからは、グリップが戻ってきた。それは良い感触だったね。でも最終ヘアピンでもブレーキングを早めにし、リスクを犯さないように務めたよ」
昨年9月に承認されたこのプロジェクトに関して、フォルクスワーゲン・モータースポーツ代表のスヴェン・スミーツは、もう2ヶ月ほど開発期間があれば、さらなるタイム短縮も可能だっただろうとの考えを明かす。
フォルクスワーゲンは、このパイクスピークの開発テストに最適なフランス・アルプスの山岳路、モン・ヴァントゥでのテスト機会を天候条件により失っており、ここは『プジョー208T16パイクスピーク』が開発段階で重要な役割を果たした場所ともなっていた。
「我々は重要な開発テストの機会を失っていたんだ」と説明するスミーツ。
「車両の設計と製造が終わり、マシンを走らせようという段階になったとき、5月のヨーロッパは雪と悪天候に見舞われていたんだ」
その走行テストを前に、フォルクスワーゲンは『I.D. Rパイクスピーク』のセットアップと、バッテリーの最適化に苦心していた。
「イベント1週間前のテストでも小さな問題が見つかっていた」と振り返るデュマ。
「最後のプラクティスセッションで、最終コーナーのバンプを避ける新しいラインとドライビング方法を発見した。これでさらに速く走ることができた」
この最後の1週間で、フォルクスワーゲンはリース・ミレンの持つ8分57秒118のEVレコードだけでなく、ローブの最速記録にチャレンジする環境がようやく整った。