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『空飛ぶタイヤ』に見る、池井戸潤実写化作品の変化 『半沢直樹』以降のアプローチを読む

2018年06月29日 06:02  リアルサウンド

リアルサウンド

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 現在公開中の映画『空飛ぶタイヤ』は池井戸潤の原作小説を映像化したものだ。トラックのタイヤ脱落事故を起こした赤松運送会社の社長・赤松徳郎(長瀬智也)は、自社の整備不良という調査結果が出たことで窮地に追い込まれる。しかし、整備士が精密に記録していた整備手帳の点検シートをみた赤松は原因は整備不良ではなく、車両自体にあるのではないかと疑問を抱くようになる。しかし、製造元のホープ自動車は赤松の意見を取り合おうとしない。事故の影響で会社の信用が落ちて仕事が激減し、メインバンクからの融資も取りやめになりそうな危機的状況の中、赤松は過去にトラックのタイヤ脱落事故のあった運送会社に直接出向き、独自の調査を始める。


【画像】『空飛ぶタイヤ』でクールな鋭い表情を見せるディーン・フジオカ


 『空飛ぶタイヤ』は2006年に実業之日本社から刊行され、09年にWOWOWで全5話のドラマとなっている。原稿用紙にして1200枚を超える長編小説のため、どちらも映像化に向けたアレンジが加えられているのだが、ドラマと映画の印象はだいぶ違う。


 一言で言うと映画版はヒロイックだ。主人公の赤松を長瀬智也、敵対するホープ自動車・カスタマー戦略部長の沢田悠太をディーン・フジオカ、そして第3の主人公とも言える銀行マンの井崎一亮を高橋一生、という人気俳優が3人揃っており、この3人がそれぞれの立場で事件に立ち向かう姿を勇ましく描いている。


 対してドラマ版の赤松を演じたのは仲村トオル、沢田を演じたのは田辺誠一、井崎を演じたのが萩原聖人と、当時としては渋いキャスティングだ。物語は群像劇的で、それぞれの立場の人々が自分の会社や家族を守るために行動することで物語が動き、その結果として企業社会という日本人を縛るしがらみの恐ろしさが浮き上がる構造となっていた。


 もっとも違うのは家族の描かれ方だろう。映画版では赤松の息子がいじめに合う場面こそあるものの、ドラマ版に比べるとエピソードの多くは省略されている。ドラマ版では、ホープ自動車の融資の査定をする井崎がリコール隠しを企てるホープ自動車・常務の狩野威の姪と付き合っており、そのしがらみゆえに苦しむというオリジナルエピソードが加えられていたが、自分の信念を貫こうとすることで家族や恋人に迷惑をかけてしまうのではないかという葛藤は、映画版では淡白なものとなっている。


 2時間の映画に納めるための取捨選択と言ってしまえばそれまでだが、その結果、ドラマ版と映画版の印象はだいぶ違うものとなっている。これは池井戸作品に求められる役割が時代とともに変化していることの現れのように感じた。


 現在、池井戸の小説はテレビドラマで引っ張りだこの人気コンテンツだ。転機となったのはメガバンクを舞台にした小説『俺たちバブル入行組』(文藝春秋)をベースにドラマ化した『半沢直樹』の大ヒットだろう。放送されたのはTBSの日曜劇場。チーフ演出は『砂の器』や『華麗なる一族』(ともにTBS系)などを手がけた福澤克雄。福澤の演出は、大企業や銀行のエリートを徹底的に悪く描き、中小企業で働く庶民は善良な存在として見せる。そして、大企業に虐げられた人々が耐えに耐えて、最後に大逆転する姿が物語のカタルシスとなっていた。


 昭和史を背景に重厚な人間ドラマを描いてきた池井戸と、企業犯罪を通して衰退していく平成の日本を描いてきた福澤は相性が抜群に良く、その後も『ルーズヴェルト・ゲーム』、『下町ロケット』、『陸王』(全てTBS系)といった作品が同じスタッフで製作。今や日曜劇場といえば“池井戸潤”というイメージは完全に定着している。


 他のテレビ局でも池井戸原作小説のドラマ化が行われるようになっていくのだが、『半沢直樹』以前は『空飛ぶタイヤ』のようにWOWOWやNHKの土曜ドラマといった通好みの枠で放送される大人向けのドラマという位置付けだった。それが『半沢直樹』的なアプローチへと変わっていくのは視聴者のニーズに合わせた変化だろう。


 それは映画版『空飛ぶタイヤ』にも同じことが言える。ドラマ版『空飛ぶタイヤ』で描かれていた企業のしがらみでズブズブの日本社会の醜悪な姿にはリアリティはあるものの、現実は変えられないという諦念の方が強く感じられた。対して映画版『空飛ぶタイヤ』は、小説やドラマに比べると淡白に感じるところもあるが、巨大な企業の汚職に立ち向かう赤松の姿にはヒーロー性があり、現実を打ち破ろうという意思を感じる。


 『半沢直樹』が放送された時、これは時代劇だという意見が多数あったが、現在、映像化される池井戸作品は、企業の闇に翻弄される個人の無力感を描いた経済小説から、大企業に立ち向かう庶民を描いた娯楽活劇へと変化している。


 来年には池井戸作品の『七つの会議』の映画化が決定している。この作品は『半沢直樹』と同時期にNHKの土曜ドラマ枠で映像化されているが、組織に翻弄される個人の無力感が際立った内容だったため、あまり話題にならなかった。改めて映画化される際に、どのようなアプローチとなるのか?


 史実を元に書かれた歌舞伎の演目『仮名手本忠臣蔵』は、時代を超えて様々なジャンルで再演されてきたが、おそらく池井戸作品もそういう作品として後世に残り、映像化された時代の空気を反映するものとなっていくのではないかと思う。


(成馬零一)