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『あなたには帰る家がある』タイトルに込められたメッセージ 中谷美紀たちがたどり着いた“愛”

2018年06月23日 16:01  リアルサウンド

リアルサウンド

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「相手が誰でも同じなんだろう。じゃ、俺にしろ。お前のために変わるから。もしいつか一瞬でも、お前が俺を愛してくれたら、それで俺の人生は満点なんだ。綾子、帰ってこい。一緒にうちに帰ろう」


 ついに迎えた金曜ドラマ『あなたには帰る家がある』(TBS系)の最終回。このドラマの真の主人公は茄子田太郎(ユースケ・ サンタマリア)だったのかもしれない、そう思わせるほど太郎の愛情深さが印象的なラストだった。相手を受け入れるというのは、相手のために自分を変えるということ。愛ゆえに変わるが、愛そのものはブレない。私たちにとって“家”とは、そんな絶対的な味方がいる空間なのだろう。


 姉の夫の子を身ごもったり、不倫相手の家に乗り込んだりと、何かとトラブルメーカーな綾子(木村多江)を、「世間を知らない女が純粋に男を好きになった。それだけの話だろ。 なんでわかってやれないんだよ。なんで受け止めてやれないんだよ」と守った太郎。誰よりも綾子の行動に傷ついてきたにも関わらずそんな言葉が出るのは、きっと太郎自身も世間を知らない男で、純粋に女(綾子)を好きになったのだと自覚したからなのかもしれない。


 昭和の香りが残る“家”で両親と暮らしてきた太郎は、女性との交際経験もなく綾子と見合い結婚をした。相手が何を考えているのかを察し、どんなふうに接すれば喜んでくれるのか、相手のために何ができるのか……恋愛とは、そんな相手を受け入れる試練の連続だ。そういう意味では太郎も、パートナーの愛し方を学ばずにきた世間知らず。太郎にとって、いちばん身近な女性は昭和の時代を生きてきた母親になる。結果的に、綾子への接し方も昭和的で、現代では“モラハラ夫”と映るものになっていった。


 ところが、綾子の不倫をきっかけに現代的な女性の真弓(中谷美紀)と出会い、世の中には様々なタイプの女性がいることを知る。さらには、自分とは全然違うタイプの男性・秀明(玉木宏)との接点も生まれた。人は人と接した分だけ、想像する力が生まれる。相手と自分が最も尊重し合える距離をイメージする。真弓のような嘘のない女性がパートナーとなる生活も楽しいかもしれない。それは、真弓と真正面から向き合ったからこそできた想像だ。それでも、太郎にとって“やっぱりこの人だ”と思える人は綾子だった。その理由は、初めて結ばれた人という特別感からかもしれない。一度誓った結婚の契りを守り続けたいという断固とした覚悟かもしれない。はたまた、一緒に過ごした長い時間が誰にも更新できない思い出となり、唯一無二の存在にしたのかもしれない。どうしてその人なのかという理由をひとことでは片付けられないからこそ、人はそれを愛と呼ぶのだろう。


 「いいの?」と聞く綾子の頭をなでながら、太郎は「いいんだ。俺が悪かったんだ」と答える。それは、まるで小さな女の子のわがままを聞き入れる父親のように。太郎は、綾子が決して母親のような女性ではなく、ずっと精神的に幼くて自分のわがままをとことん受け止めてくれることに愛を感じるのだと気づいたのだ。そして以前の「誰のおかげで飯が食えてるんだ?」「あなたのおかげです」から「美味しい料理が食べられるのは誰のおかげ?」「 綾子のおかげです」とやりとりが変化しているのも、精神年齢が逆転していることを理解したふたりの愛の確認方法。太郎が小言をいう母親に「うるさいんだよ、母さんは」と制する姿に、改めて茄子田家の家長が親から太郎へと世代交代できたようにも見えた。


 だが、ここでひとつ疑問が。綾子に一瞬でも愛されたら自分の人生は満点だ……と尽くす太郎を、そしてこの先も続くであろう綾子のわがままを許す茄子田家を、はたから見ていると“これが幸せなのか?”と、ついつい考えてしまう。あまりにも太郎ばかりが綾子を受け入れ、変化しようと努力していくように見えるからだ。惚れた弱みだとしても、あまりの変わりように“無理していないかな”などと邪推してしまう。


 おそらく「何が幸せかなんて他人が決めることではない」というのが、このドラマのメッセージなのだろう。どの家だって客観的に見れば、“それが本当の幸せ?”という疑問は出てくる。真弓と秀明も別々に暮らすという結論が、真弓の「戻りたくない」壊れた夫婦時代ではなく、幸せだった恋人時代まで遡り、2人なりの心地いい距離感となった。この関係が、今後どのように変化するかはわからない。人生のうねりの中で、弱ったときにふと寄りかかりたくなる相手に愛を感じることもある 。近づいては「ない、ない!」となったり、離れては「やっぱり……」となったり。日々、相手と心地いい距離を確かめ合い、それぞれの幸せが見いだせれば、昭和の時代にもそして現代にもない形だとしても、自分にとって“帰りたい家”になるのだから。(佐藤結衣)