世間にはさまざまなオタクがいる。そしてどんなオタクも、大抵自分の好きなジャンルについては、心のどこかで「自分ほど詳しい人間はいない」と思い込んでいる節がある。
オタクという生き物はおかしなもので、新しいものよりも古典を崇拝しがちだ。初代ガンダムが至高と唱え、最新作を批判するガンオタ。昭和第1期作品こそ神秘的だったと訴え、2期ファミリー路線のウルトラシリーズを罵倒する特撮オタ。どのジャンルにも、「古い=偉い」と考えているオタクというのは非常に多い。今日はそんなオタクのめんどくさい部分について書いていきたい。(文:松本ミゾレ)
「知らないよりは知ってる人の方が上になるのは仕方ない」?
先日、2ちゃんねるに「こう、古いもの知ってる方がより偉いみたいなオタク界隈の法則があるじゃん?」なるスレッドが立った。スレ主は、オタクの中に一定層いる、古典的なコンテンツを知らないと馬鹿にしてくる人たちに違和感を覚えているという。その上で、「コンテンツは時代と共に磨かれていく」ため、現代のほうが、古典的作品より良い作品が多いのではないかと疑問を投げかけていた。
古典こそ至高と考えるオタクが見たら、顔を真っ赤にするような主張であるが、賛同の声は多かった。
「超有名どころのクラシックロックだけ詳しくて新しいバンドとかは知らないのに音楽通ぶってるミーハーな奴らは正直馬鹿にしてる」
「有名コピペを知らない新参を馬鹿にする風潮のやつな」
「言いたいことは分かるぞ。懐古主義のオタクは作品の悪いところ語るようになるから嫌い」
一方で反論の意見も当然ある。
「作品が何に影響受けたのかとかを掘り下げてくの楽しくない? 」
「知らないよりは知ってる人の方が上になるのは仕方ない」
「時代とともに磨かれてくという視点は、時代が下ると劣化するという視点と同等に奢りだと思うわ。時代に合わせて変化してるだけだろ」
まあ、こんな風に主張は様々だった。
「古参ほど偉い」なんて誰が決めた 自分のためにオタクをやれ
忘れてならないのは、古いものが好きなオタクも、最近の作品が好きなオタクも、みんな他所からすれば同じ存在という視点だ。「古典を知らないとかニワカだろ」だの「古い作品より今の方がコンテンツは洗練されてるだろ」なんて言い合いしても意味がない。オタク喧嘩するべからずだ。
オタクって作品の制作者でもないのに、制作者側の代弁者たらんとするきらいが強い。その延長線上で、嫌いな作品を叩くオタクも大勢見てきたが、作品を世に送り出した当事者からすれば、あれはいい迷惑以外の何者でもないだろう。
……というこの僕の見解すらもまた、代弁者たらんとするオタクの意志が働いて生まれたものだ。つまり古今の作品についてオタクが争っても何一つ意味がなく、正解も見出せない。
オタクに偉いも偉くないもない。古い作品を知っていたって、それはただ古い作品が好きなオタクというだけ。当然逆もまた然りだろう。