スーパーGTは、まもなくタイ戦を迎えようとしている。シーズン唯一となる国外ラウンド、チャン・インターナショナル・サーキットでは、これまで幾度となく名勝負が演じられてきた。そのなかでも、いまだ多くの人の記憶に残るのは2016年だ。
事前の練習もテストもなく、レースウイークの限られた、わずかな走行だけで本番に臨んだ牧野任祐は、予選でいきなり2番手につけ、決勝も2位でチェッカーを受けた。
当時、牧野が乗ったマシンは相対的にウエイトが軽く、たしかに他車よりアドバンテージがあった。しかし、牧野にとってはクルマも未体験なら、コースも未知のサーキットで手に入れたリザルト。19歳がぶっつけ本番で見せたその走りは、いまだ国内レース関係者のあいだでも語り草となっている。
そんな牧野は、いま、ヨーロッパで2年目のシーズンを送っている。昨年の欧州F3(FIAヨーロピアンF3選手権)から、今年はF1直下のF2(FIA-F2)に戦いの舞台を移した。
牧野が所属するロシアンタイムは、昨年のF2でチームタイトルを獲得した強豪だ。福住仁嶺を走らせているアーデンが同ランキング7位だったことと比べると、そのチーム力の高さがよく分かる。しかし、そんなロシアンタイムでさえ、今年から導入された新型車両に手を焼いている状況だ。
「開幕前にポールリカールで3日間の公式テストがあったのですが、僕もチームメイトの(アルテム)マルケロフもエンジンがブローして……。自分に至ってはミッションにもトラブルが出て1日しか走れませんでした」
F2は今年からメカクローム製3.4リッターV6ターボを積むが、そのエンジンまわりにトラブルが頻発している。開幕前のテストでは全20台のマシンのうち、10基のエンジンに信頼性の問題が発生した。その災難に巻き込まれた牧野は、テストを通してわずか60周しか走れなかったのに対し、カーリンのランド・ノリスは2倍以上の135周を走破している。
「エンジンもそうですが、僕のクルマはミッションも何かしっくりこない。シフトアップ時の振動が大きくて、いかにもスムーズにいっていない感じ。この症状は、ずっと出たままです」
第4戦までの牧野のレースを評価する際には、少なからずこうした背景を踏まえておく必要があるだろう。
F2と“マキノ・スタイル”
F2はルーキーに厳しいカテゴリーだ。予選前に許されているプラクティスはわずかに45分間。その間にコースへの習熟を行ない、マシンのセットアップも進めなければならない。F2との併催が多いGP3を経験してきたドライバーならまだしも、欧州F3から飛び級のステップアップでは未知のコースの割合が圧倒的に多くなる。
こうした状況にも関わらず牧野は4戦中3戦で予選トップ10に入るスピードを見せている。昨年、シャルル・ルクレールに次いでランキング2位につけたチームメイトを凌駕する速さだ。
「予選は、まだ完璧ではないけれど、少しずつ“見えてきた”感じ。バルセロナ(第3戦)の予選だってARTのジャック(エイトキン=ルノーF1リザーブドライバー)に邪魔されなければ、3、4番手はいけていたはず」
牧野自身もある程度の手応えを感じているようだが、疑問を感じる部分もある。昨年の欧州F3では一発のスピードにやや手こずっていた印象があるからだ。なぜ今年の牧野はこれほど速さを見せられているのか。その理由は、今季、ピエトロ・フィッティパルディの代役としてスーパーフォーミュラ(SF)に出場しているトム・ディルマンが明かした。
「マキノとはサーキットで時間をともにしたことがある。昨年、僕がハイテックのドライバー(ニキータ・マゼピン=今季GP3開幕戦レース1で優勝)のドライビングコーチをしていたときだ。欧州F3で苦戦していたマキノは『なぜ、ダメなのか?』という理由を求めに来ていたんだと思う。若いドライバーには、誰もがそうした時期があるからね。ところが、その日、コーチングのために用意されていたフォーミュラV8 3・5で実際に走ってみると、彼は充分に速かった」
ディルマンは2016年にフォーミュラV8 3・5でチャンピオンに輝いている。そのディルマンに対して、牧野はいきなり同等以上のラップタイムを刻んだ。しかも、牧野の走行時はDRSにトラブルを抱え、最高速が伸びないなかで出したタイムだった。
「僕が思うには……」とディルマンは語り出した。
「マキノの走りは“Vスタイル”だ。ブレーキを奥まで我慢して、一気に減速。エイペックス付近でクルッと姿勢を変えて、そこから直線的に立ち上がる走りだ。ハンコックタイヤの特性とF3のダウンフォースレベルでは、その走らせ方だとタイムが出づらい。つまり現在の欧州F3は“V”ではなく“Uスタイル”のほうがいいということ。だけど、ピレリタイヤになると話は変わる。逆に“U”ではなく“Vスタイル”のほうが適しているんだ」
ピレリが採用されているF2で、経験豊富なチームメイトを上回るスピードを見せるルーキー牧野。とくに予選一発でその傾向が顕著に見られることは、ディルマンの話で納得がいく。
ピレリタイヤをめぐる証言
予選におけるパフォーマンスに比べると、決勝のそれは明らかに苦しい。マルケロフが8レース中2勝、完走した6レースのすべてでシングルフィニッシュしているのに対し、牧野は最高位が9位にとどまっている。
第4戦終了時点の獲得ポイントはマルケロフの71点(ランキング2位)に対して、牧野はわずかに4点(ランキング18位)。決勝になると、予選で見せる輝きは一気に失われてしまう。
「いまの課題はレースペースです」
これまでのレースでは、オプションタイヤのペースは上位勢とも遜色ないが、プライムタイヤになるとラップタイムが引き離される傾向にあった。
「オプションに関しては、そんなに悪くないんですよ。ただ、オプションとプライムでは、クルマのバランスが大きく変わってしまう。『どっちに合わせるか?』となったら、プライムで走る時間のほうが長いから、当然そっちに合わせないといけないわけですが。そうしたところの見極めが難しい」
クルマのバランスに加えて、牧野はピレリタイヤのマネージメントに関しても頭を悩ませている。
「プライムタイヤは、スクラブのやり方で性格が大きく変わる。たとえばスクラブが丁寧すぎると、いざレースで履いたときになかなか熱が入らなかったりするんです。あとは僕自身の課題として最初の数周、タイヤに優しすぎる傾向があります。どれくらいまでペースを上げてスクラブするべきか、いろいろ試して、やっとつかみかけてきた感じがします」
牧野を悩ませるピレリタイヤは、たしかに扱いが難しい。2016年以前に採用されていたF1用タイヤと同様にワーキングレンジ(適正作動温度領域)は極端に狭く、デグラデーションも進みやすい。その特性を知る松下信治と福住、そしてディルマンまでもが、「SFのタイヤマネジメントは容易」と異口同音に語る。
「向こう(欧州)から日本に来て適応させるのはラク。だけど、こっち(日本)からヨーロッパのタイヤに合わせるのは、かなり難しい」(松下信治)
SFは世界的にも見てもレベルの高いカテゴリーで、そのシビアさの象徴はサードダンパーをはじめとしたマシンセッティングにある。これに対してF2は、その難しさの多くがタイヤに凝縮されているということだ。
津川氏が評価する“戦い方”
昨年の欧州F3ではレース中のバトルも課題だった。シーズン終盤になって“戦う牧野”が帰ってきたものの、それ以前のレースでは、物足りなさが感じられたのは事実だ。
「バトルに関しては欧州F3のほうがシビアでしたね。DRSがないぶん抜くほうも、おさえるほうもお互いにリスクを取っていかないと勝負できないですから。僕は今年のF2で初めてDRSを使いました。後ろのクルマにDRSを使われたときの距離の縮められ方が自分の感覚とは合わず『どのタイミングで動こうかな(ディフェンスラインを取ろうかな)』と戸惑ったときはありましたが、いまはずいぶんと慣れてきました」
そう語る牧野は国内外の関係者から「バトル時の空間認識能力が高い」と評価されているドライバーでもある。元F1メカニック、現在はジャーナリストとしてグランプリの現場に足を運ぶ津川哲夫氏もそのひとりだ。
「僕は最近の日本のレースのことをよく知らない(笑)。今年のスペインで初めて彼のレースを見たけど、あの子(牧野)はいいね。(バルセロナでの)レース1、結果は9位だったけど、スタート直後の1コーナーにしても、最終周のチームメイトとの8番手争いにしても、これまで何年もヨーロッパで揉まれてきた連中と互角に戦えている。とてもF2の1年目だなんて思えない戦い方だった。正直、久しぶりに将来が楽しみな日本人ドライバーが出てきたと思った」
今季のF2で上位を争っているのはノリス(マクラーレンF1リザーブドライバー)を除けば、そのほとんどがF2参戦2年目以上か、GP3経験者。「そうした連中のすぐ後ろを走れていれば今年の牧野くんは合格だと思う」と津川氏は言う。
まもなく中盤戦に突入する今季のF2。注目したいのは、ずばり“マキノ・スタイル”がマッチするレッドブルリンクの第6戦だ。奇しくも同じ週末にはタイでスーパーGTが行なわれている。2016年、日本の関係者に見せた衝撃を、今度はオーストリアから世界に示すことができるのか。