第86回ル・マン24時間耐久レースで総合優勝を飾り、通算20回目のル・マン挑戦で悲願を成し遂げたトヨタ。チームの24時間に渡る戦いは順風満帆に見えたが、その裏には、さまざまな試練があった。
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「正直、何かが起こる気しかしませんね」
月曜日の車検に姿を現した中嶋一貴はレースに対する展望を聞かれ、達観したような表情で、そう述べた。そのすぐ近くでは、F1カナダGPを終えてすぐ車検に駆けつけたフェルナンド・アロンソが、うれしそうに次から次へとファンとの記念撮影に応じている。
同じ8号車のステアリングを握るふたりだが、初出場の“ルーキー”と、数々の辛酸をなめ続けてきた男では、レースに対する想いは、やはり大きく異なる。
ポルシェの撤退により、トヨタは唯一のマニュファクチャラーとなった。LMP1のライバルは、みなプライベーターで、マシンはノンハイブリッド。トヨタTS050ハイブリッドとの性能差を埋めるべく、EoT(技術の均衡化)により車両重量や、燃料流量などノンハイブリッドマシンの相対的な性能は引き上げられた。
しかし、WEC開幕戦スパでの圧勝劇や、テストデイでのタイム差を見る限りTS050には大きなアドバンテージがあり、トヨタの優位性は変わらない。退屈なレース展開を予想する者も少なくはなかった。
しかし、2年前に残り3分の悲劇を経験した一貴にとって「絶対」はない。いかにライバルとの力の差があろうとも、チェッカーを受けなければ、すべてが無になるという現実を誰よりも良く知る。だからこそ、万全とも言える状態でレースウイークに臨みながらも一貴は正直に不安の言葉を口にしたのだろう。
■7号車のセットをコピー
水曜日から始まったフリー走行では、総じて小林可夢偉らがステアリングを握る7号車のほうが良い仕上がりだった。一貴は8号車のセットアップになかなか満足できず、それはチームメイトであるアロンソや、セバスチャン・ブエミも同様だった。
策を尽くした上で一貴らが選んだのは、7号車のセッティングを取り入れること。その結果8号車はスピードアップに成功し、クリアラップに恵まれた一貴は予選Q3で3分15秒377という最速ラップを記録した。
昨年、可夢偉が刻んだ3分14秒791のレコードタイムには及ばなかったが、それでも14年以来二度目となるポールポジション獲得となった。
「もちろんうれしいですが、予選は100%のうち1%にも満たないもの。見てもらえば分かると思いますが、アタマはもうレースに向けて切り替わっています」
一貴の顔に、心からの笑顔は見られなかった。
■チーム内のライバル心
6月16日土曜日午後3時、第86回ル・マン24時間はローリングスタートで始まった。8号車のブエミが上々のダッシュを決めたが、7号車マイク・コンウェイがフォードシケインで前に出る。しかし5周目にはブエミが抜き返して首位を奪還するなど、トヨタの2台による激しい戦いが序盤レースの緊張感を一気に高めた。
昨年まではポルシェやアウディという直接的なライバルがいたからこそ、トヨタはチームとして結束しやすかった。しかし今年マニュファクチャラーのライバルはなく、プライベーターとのタイム差も明確であるがゆえに、逆にチーム内の内圧が高まった。
開幕戦スパでの8号車と7号車の大接戦は、F1でのチームメイトバトルを連想させた。トヨタのチーム関係者数人からの証言によれば、スパのあと、それぞれのクルマを支えるスタッフたちのライバル心は例年以上に高くなっていたようだ。
そのためか、決勝を前に村田久武チーム代表はスタッフを集め、あらためて「ワン・フォー・オール、オール・フォー・ワン」の意識を徹底した。
ただし、レーサーから野生の牙を抜きとることはしなかった。「優勝するために小細工をするのではなく、スタートから自分たちの持っているパフォーマンスをすべて出し、24時間フルアタックする」と村田は決め、オウンリスクでの自由な戦いを容認したのだ。
レースは序盤からハイペースで進み、開始1時間でプライベーターとの差は約60秒に拡大。トヨタの2台による戦いの構図が、より明確となった。
ブエミ対コンウェイのバトルは、その後ホセ‐マリア・ロペス対アロンソに移行。前を走っていた7号車ロペスをアロンソは激しく追い、トラフィックのなかでは切れ味鋭いオーバーテイクショーを披露。まるでWEC歴戦のベテランのような、堂々たる走りで周回を重ねた。「レースがうまいドライバーは、トラフィックの処理もうまいから心配していません」という一貴のアロンソ評は、まったくもって正しかったと言える。
午後8時過ぎ、トップを走る8号車のバトンはアロンソから一貴へと手渡され、その直後に7号車は可夢偉がシートに収まった。日本人ふたりによるル・マンの首位争いは非常にハイレベルで、両者ともまったくミスをすることなく速いラップタイムを刻み続けた。ただしペースは可夢偉のほうがわずかに良く、102周目アルナージュの手前で可夢偉が一貴をパス。
その後、一貴は何度か可夢偉の背後に迫ったが、結局抜き返すことができないままスティントを終えた。クルマから降りた一貴は「トラフィックにひっかかった」と、怒りの気持ちを隠さず、メディアのインタビューを珍しく拒否。それだけ気持ちが入っていたのだろう。
鮮やかな走りで首位に立ち、リードを拡げた可夢偉だが「クルマのバランスはあまり良くない」とタイムには満足していない様子だった。レース終了後、可夢偉はその理由を「レース開始後3周目くらいでデフのセッティングを変えることができなくなり、コンディション変化にクルマを合わせることが不可能になった。他の部分で補い、クルマに合わせて走るしかなかったので、かなりつらいレースになることは覚悟していました」と明かした。
■アロンソの夜間走行
8号車は、夜間ブエミのスローゾーン速度違反による60秒のストップ&ゴーや、スローゾーンのバッドタイミングにより遅れをとり、7号車との差は一時2分10秒以上に広がった。7号車がかなり優勢となったが、その遅れを「夜のアロンソ」が驚異的なペースで挽回した。
デイトナ24時間で夜間走行の経験があるとはいえ、夜のサルト・サーキットでのロングスティントは初めて。しかしアロンソは暗闇のなか臆することなくハイペースで走行を続け、トラフィックも最小限のタイムロスで次々と処理。クルマの問題もあってペースが思うように上がらないロペスとの差を1周2~3秒詰めていき、最終的には42秒差までギャップを縮め、明け方に一貴と交代した。
「夜の間に流れが変わり、フェルナンドから良い流れを引き継ぐことができた」という一貴は、ハイペースでロペスとの差を詰め、早朝、可夢偉と二度目の対決に臨んだ。
そして、しばらく続いた接近戦のあと、254周目ミュルサンヌの進入で可夢偉をパス。以降はスローゾーンのタイミングなど、レースの流れは全体的に8号車が有利な状態で推移し、正午を過ぎた時点で、2台のギャップは1分30秒程度に開いていた。
「オレら安心してもいい?」
その後、一貴と可夢偉が、ピットボックスでチームの首脳陣と話す姿が映像に映し出された。村田が「いつ出すかは決めていない」と語っていたチームオーダーがついに発令されたのかと思われたが、そうではなかった。
「最後に乗る彼らを呼んで『オレたちは、やはりワンツーを獲りたい。事故が起きるようならチームオーダーを決めるけど、オレら安心してもいい?』って聞いたら『まかせてくれ』って、ふたりが言ったんです。だから今回はいわゆるチームオーダーは最後まで出さなかった」と村田はレース終了後にそのときの状況を説明した。
最後のスティントを担当した一貴は、周回遅れとなった可夢偉を従えてランデブー走行を続ける。そして「魔の3分前」も何事もなくクリアし、午後3時にチェッカー。ポール・トゥ・フィニッシュで、日本車に乗る日本人初のル・マン・ウイナーとなった。6回目の挑戦で、数々の挫折を乗り越えついに一貴は優勝をその手でつかんだのだ。
「最後は安全第一でした。ホントそれだけでしたね。乗る前は無線で冗談を言おうかな……とか思っていましたけど(笑)、そういうことも飛んでいました。良い意味でやることに集中できていたと思います。チェッカーを受けられてホッとしましたし『やっと勝てたな』という気持ちもありました」
感動の号泣という我々メディアの浅はかな期待は裏切られ、一貴はル・マンで勝っても、いつもの一貴だった。しかし、ポディウムでの心の底からの晴れやかな笑顔を見て、みんながとても幸せな気持ちになった。また、勝利を逃した可夢偉の表情にも、すべてをやりきった男のさわやかさがあった。
マニュファクチャラーのライバルはおらず、トヨタとしては楽勝だったとも言える。しかし、そこに至るまでの努力や流した涙の回数、そしてレースの内容を考えれば、トヨタと一貴は、やはりル・マン・ウイナーにふさわしい。事実、表彰式での観客の盛り上がりや声援は、アウディやポルシェが頂点に立ったときと何ら変わらなかった。
■まだパーフェクトではない
ただし、完璧なレースとは言えない部分があったのも事実だ。スローゾーン中の速度超過による60秒のストップ&ゴーは計3回あり、ピット作業中にクルマのプッシュバックが充分ではなくタイムをロスするシーンも見られた。
レース終盤、可夢偉はピットインのタイミングを間違えて燃料不足の危機に直面した。省燃費走行モードに切り替えて、なんとか難を逃れたが、もし僅差の優勝争いをしていたら、それがアダとなっていた可能性もある。
「それ以外にも24時間、小さなトラブルは山ほどあって、昨年までのオレらだったら破綻していたかもしれない。でも、それらをきちんとコントロールしてゴールまで持っていくことができた」と、村田チーム代表。
何度も打ちのめされながらも、そのたびにあきらめることなく立ち上がり、苦難を糧として戦い続けたチームの執念がつかんだル・マン初優勝である。