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ハリウッドだけの問題ではないことが浮き彫りに カンヌ映画祭に見る、映画業界が直面している課題

2018年06月19日 10:01  リアルサウンド

リアルサウンド

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 2018年4月13日、アメリカの映画サイトIndieWireにて、カナダ人映画監督グザヴィエ・ドランが最新作『The Death and Life of John F. Donovan』をカンヌ国際映画祭に出品しないと決めたことが報じられた。2009年、自身初の長編監督作品となる『マイ・マザー』によって鮮烈なデビューを果たして以来、これまで公開された長編映画6本のうち5本をカンヌで上映し、2年前の2016年には『たかが世界の終わり』がグランプリを受賞するなど、カンヌの舞台でキャリアを大きく花開かせてきたドランのこの決定は大きな驚きであり、カンヌにとっては、期待されていた今年の見どころの一つを失ったようにも見えた。


参考:『万引き家族』は、なぜカンヌ最高賞を受賞したのか? 誇り高い“内部告発”を見逃してはならない


 そんな前置きがあって開催された第71回カンヌ国際映画祭は、5月8日~19日(現地時間)の期間で行われた。是枝裕和監督による『万引き家族』のパルムドール受賞というめでたいニュースが大きく報じられる中、今回のカンヌでは、ハリウッドのみならず業界を越えて全世界へと波及したセクシャルハラスメントや様々なマイノリティーの不平等な待遇といった社会的な問題、そしてNetflix作品の上映可否をめぐっての公開ウィンドウに関する議論など、ここ数年で映画業界が直面している様々な課題が今もって継続中であること、そしてそれらはもはやハリウッドだけの問題ではないということが浮き彫りになった。


 ここ近年、名のある映画祭や授賞式のセレモニーは、そこに出されている作品や人々の功績を純粋に祝うだけでなく、業界における問題提起の場として使われることが多い。例えば、サンダンス映画祭で2年続けて行われた女性たちによる行進、今年1月のゴールデングローブ授賞式での黒いドレスによる抗議表明、数々のスピーチなど、業界のトッププレイヤーが一堂に会するそれらの場所は、変革を求める声を直接コミュニティーへ届けるのに最適な場なのである。今年のカンヌ国際映画祭でもその流れに乗って、多くのアクションがとられた。審査委員長で女優のケイト・ブランシェットは、82人の女性フィルムメーカーたちを率いて、男女間の格差是正を訴える力強いスピーチを行った。また映画祭側は、映画祭の会期中のセクシャルハラスメント被害者のための電話ホットラインを開設し、未だに起こり続けているハラスメントへの対応を見せた。


 そんな映画祭のメインとなるコンペティション部門には21本の映画が出品され、ヨーロッパ各国を中心に、イランやレバノン、そして日本からも2本の作品が名を連ねたが、今回の映画祭を批判的に報じるメディアもあった。アメリカの大手業界紙Variety、そしてLos Angeles Timesは、カンヌ国際映画祭の、映画業界に起こる変革を拒むとも取れるその姿勢を批判し、カンヌの世界の映画マーケットにおけるプレゼンスの低下、そしてその存在意義までも危惧した記事を出した。


「カンヌ国際映画祭に未来はあるのか」
「カンヌが直面する存在危機:進化か衰退か」(ともにVariety)
「頑さ、傲慢、それとも時代遅れ? 嵐に耐える2018年のカンヌ国際映画祭」(Los Angeles Times)


 上のように題された3本の記事の中では、昨年カンヌとNetflixのビジネスモデルとの間で起きた議論を受けて、カンヌ側が「コンペティション部門に選ばれる作品はフランスでの劇場配給にかからなくてはならない」というルールを今年新たに設け、Netflixのオリジナル作品は基本的に締め出すという道を選んだこと、また上記コンペティション部門出品の21本の中で、女性監督による作品はわずか3本のみであったことを批判し、併せて、アメリカでの賞レースのシーズンが秋から始まることから、8月~9月に開催されるヴェネチアやトロント、テルライドなどの映画祭に比べて、5月開催のカンヌにアカデミー賞の有力候補となる作品をあてることの魅力が以前よりも小さくなっていると書いた。さらには「映画祭自身を定義づける要素である出品作品の『Relevance』が低下している」(Variety)と指摘した上で、「カンヌ映画祭は、メジャースタジオ、独立系関係なく、アメリカの映画業界との強い関係を築くことを怠っている」とまで述べている。


 開催時期の件はともかく、他の論点を端的にまとめると、技術的、社会的両方の文脈において映画業界が曲がり角にきているにもかかわらず、カンヌ国際映画祭は基本的に変化を拒む態度であり、それによって映画祭が「Relevance」を失いつつあるということである。「Relevance」とは、ここでは、最近の社会・コミュニティーの中での重要性、というような意味をもつが、興味深いのはこれらの批判の出どころは、基本的にハリウッドのメディアであるということだ。


 これらの批判をめぐっては、アメリカで往々にして映画に期待される姿、すなわち社会を映すメディア作品としての社会的責任と、フランスで考えられている映画のあるべき姿との間に、大きな隔たりが存在しているのが見える。VarietyやLos Angeles Timesは、それぞれハリウッドの業界紙とロサンゼルスの主要紙であり、当然のことながら、その記事にはハリウッドの価値観が強く反映されている。現在のハリウッドでは、テクノロジーの変化やマイノリティーへの待遇改善などに敏感に対応していく態度が企業、個人ともに求められており、その中で変化を受け入れずに拒み続ける態度は、映画の中心地であるはずのハリウッドとの関係を蔑ろにしているというように映ってしまうだろう。ハリウッドから見ると、その姿勢は時代遅れであり、カンヌの映画業界における地位と権威を自らリスクに晒しているようなものである。


 アメリカでは、ここ何年か叫ばれ続けているマイノリティーへの待遇の向上と機会均等の議論について、かつてないほどにその声が強まっている。今年の3月、アカデミー賞で主演女優賞を受賞したフランシス・マクドーマンドは、授賞式後の記者会見で「『女性』や、『アフリカンアメリカン』はトレンドではない」と述べ、問題の根本的な解決を求めた。一方、カンヌをかかえるフランスの映画業界は、ハリウッド映画とは一線を画したアート・文化の作り手として、国内外からの尊敬を集めてきた。しかしエンターテインメントのグローバルマーケットにおけるハリウッドの影響力を考えると、カンヌといえども、それを無視することはできない。カンヌ国際映画祭期間中には、上で述べた82人の女性フィルムメーカーたちのメッセージが#MeTooのムーブメントと合わせて報じられたが、続く5月16日には16人の黒人女性フィルムメーカーたちが同じ場所で人種差別と性差別に対する声をあげた。このことはあまり多く報じられてはいないが、17日、彼女らは記者会見の中で、フランス映画界にも存在する人種と性別におけるバイアスについて話し、人種や性別の不平等性はアメリカだけの問題ではないことを明らかにした。


 またカンヌがNetflix締め出す方針を打ち出したことで、アルフォンソ・キュアロンやポール・グリーングラスといったベテランたちの最新作が今年のコンペティション部門出品のリストから消えることになった。これによって、カンヌのその保守的な姿勢を国内外に曝け出しただけでなく、「映画祭自身を定義づける作品」という意味でも、映画祭の価値をあげることに貢献するタイトルを失ったのである。これによってNetflixと映画祭、どちらが損をしたのかは明らだろう。


 映画祭という場所を使ってメッセージを力強く発信し、議論を巻き起こしながらも変化を生み出すハリウッドと、あくまでも大きなスクリーンで伝統的な鑑賞方法を守るという決定に見られるように、保守的な態度を示したカンヌ。テクノロジーと社会の双方向から、否が応でも急速に変革を求める映画業界に対して、カンヌがこの先どのように向き合っていくのか、誰もが納得のいく答えは、来年以降に持ち越された格好だ。(神野徹)