カナダGPでチェッカーフラッグに関するミスが起きた問題について、レース後、レースディレクターのチャーリー・ホワイティングが会見を行なったのに続いて、F1のモータースポーツ担当マネージングディレクターであるロス・ブラウンも誤った批判を受けたウィニー・ハーロウに対し謝罪を行った。
しかし、どちらも謝罪する相手とミスが起きた問題の本質を取り違えているように思える。
まず、謝罪する相手だ。FIA側のホワイティングは「チェッカーフラッグが1周早く振られたのはスタッフ間にコミュニケーションに誤解があったからで、フラッグを振ったウィニーに責任はない」とし、F1側のブラウンは「ウィニーは与えられた指示に従っただけで、何も悪くない。彼女が辛い思いを味わったことに対し謝罪したい」と語っている。
だが、彼らが本当に謝罪しなければならないのは、生死をかけて戦っていたドライバーやレース関係者であり、それを熱心に観戦していたすべてのファンではないか。
次に問題が起きた本質だ。ホワイティングは「人はミスをする。しかも、国が違えば言葉も違う。完全にパーフェクトとはいかない」と言い、ブラウンは「グランプリにセレブが来ることによって、新たな観客を開拓することに役立つ」という主旨のコメントを行なっている。
両者とも「問題の再発を防ぐための対策を行う」とは言っているものの、チェッカーフラッグをハーロウに振らせたことを問題視していない。つまり、今回のように再びセレブがチェッカーフラッグを握る可能性があるということだ。
われわれが今回の一件で理解に苦しむのは、“なぜ、ウィニー・ハーロウだったのか?”だ。
ハーロウは地元カナダの著名なモデルだが、ただのスーパーモデルではない。4歳のころから尋常性白斑(じんじょうせいはくはん)という、肌の一部が色素を失ってしまう慢性的な皮膚疾患を患い、幼少期には「シマウマ」や「牛」と呼ばれるなど壮絶ないじめに合いながらも、自身の病気と正面から向き合い、それを個性として活かして、幼い頃からの夢であったモデルという道への切符を手にした最強のスーパーモデルである。
そういう彼女がF1に来ることで、勇気付けられる人たちが少しでもいたら、それは素晴らしいこと。
だが、その彼女がチェッカーフラッグを振るとなると話は別だ。F1はスポーツであると同時にエンターテイメントでもあることは否定しない。だが、F1のエンターテイメント性はスタート前のセレモニーで行うべきであって、ブラックアウトの瞬間からチェッカーフラッグまでの約2時間はスポーツであるべき。したがって、レースに携わる人物はルールに精通したプロのスタッフでなければならない。
例えば、サッカーで試合終了のホイッスルをセレブが吹くことは、絶対にあり得ないはずだ。
F1のスポーティングレギュレーション第43条2項にはこう書かれている。
「いかなる理由にせよ先頭車両が所定の周回数を完走する前、または規定の時間が経過する前にレース終了の合図が出された場合は、その合図が出される前に先頭車両がラインを最後に横切った時点でレースは終了したものとみなされる」
これにより、69周終了時点でチェッカーフラッグが出された今年のカナダGPのレースは68周終了時点での順位で成立となった。幸い優勝争いに変動はなく、観客がコースに乱入する不測の事態も起きなかったから良かったが、今回の一件は、重大なインシデントに繋がる可能性があった。
いますぐスポーティングレギュレーション第43条2項に「チェッカーフラッグを振る者は、レースに精通した関係者」という一文を追記してもらいたい。