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“ドラえもん”から離れた律、“しずかちゃん”になれなかった鈴愛 『半分、青い。』2人に訪れた別れ

2018年06月15日 06:02  リアルサウンド

リアルサウンド

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 鈴愛(永野芽郁)と律(佐藤健)の生誕から始まり、2人で作った糸電話、鈴愛の片耳の失聴、高校時代の鈴愛の初デート、進路を巡っての母親との対立、そして家族の期待を一身に背負っての上京。NHKの連続テレビ小説『半分、青い。』では、4月のスタートから60話にわたって、鈴愛と律の周りで起こった、笑いあり、涙ありの20余年の軌跡を見せられてきた。それにも関わらず、第61話のたった15分を境に、2人が積み上げてきたかけがえのないものの多くが一気に失われてしまった。多くの視聴者はあの朝、そんな虚無感に襲われたのではないか。一体、何が2人の間に距離をもたらしたのか。


参考:『半分、青い。』佐藤健が明かす、永野芽郁との関係「“仲のいい人”と“好きな人”の中間くらい」


 正人(中村倫也)にフられて以降、清(古畑星夏)が律とくっつき始めたことを急速に意識し始めてしまう鈴愛。自分にとって本当に大切な存在、それは律だ。奪われてたまるものか。そんな気持ちに駆り立てられて、思わず清に言ってしまった言葉、「律は私のものだ!」。この台詞が決定的に2人を引き裂くことになるなんて思いもよらなかっただろう。


 律いわく、鈴愛は律にとってのドラえもん。今の律にとって、しずかちゃんは清であって、鈴愛ではない。恋人同士の関係性を超えた特別な関係で結ばれているのだと。この関係性はある意味、一般的な男女の関係なんかよりずっと貴重な関係性であって、むしろありがたく思わなくてはいけない。それゆえに、あんな形で突然、男女の関係になりたいと望まれても律にはついていけない。鈴愛は事実を見誤っている。どうして、こんな贅沢な“ドラえもんとのび太”の関係を自ら放棄したがるのか。それに、たとえ清と付き合っても、律が言うように律は「誰のものでもない」。和子(原田知世)さんのものでさえないと言い切ったのだ。だから、いつだって慰め合ったり、支え合ったりしてきた、「ふくろう会」の絆も思い出も消えたりなんかしない、永遠なのだと。


 加えて、鈴愛はなんだかんだドラえもんに似て、鈴愛の持つパワフルさをもってすれば、どんな困難に遭遇しても最後は乗り越えられる。どこかでそう信じているとともに、そうなってほしい、そうならなくてはならないという律の願いもあったはずだ。律は喫茶おもかげでの別れ話のとき、清のことを傷つけたくないと言った。「じゃあ、鈴愛は傷ついていいのか?」というツッコミを入れたくなってしまうが、それは適切ではない。当然のことながら律だって、鈴愛に傷を残したいなんて思っていない。鈴愛がピンチに直面すれば、もちろん助ける。でも、律は一度、鈴愛に自分と向き合ってほしかったのではないか。秋風(豊川悦司)がいみじくも指南するように、今の鈴愛には漫画を描くことを通して、本当の自分と向き合い、成長しなくてはならない。


 フられた後の鈴愛に向かって秋風はこう言う。「描け。泣いてないで、いや、泣いてもいいから描け。漫画にしてみろ。物語にしてみろ。楽になる。救われるぞ」、「物語を作ることは自身を救うんだ」。フィクションを作ることは、単にその中の登場人物に自分自身を仮託して追体験するだけではない。今の自分の状況を俯瞰できるようになって、見落としていたものに気づけるようになる。そういう知的な営みであるということを誰よりも知っている秋風ならではの言葉だ。


 とはいえ、これでもう一生2人が結ばれることはないと決めつけるのは、ひょっとしたら早計かもしれない。正人がはじめから、律が最も愛するべき存在は鈴愛であるということを指摘していたように、律もまた鈴愛と同様に何かを見失っている可能性もある。自分に向き合うべきは実は律も同じだったりして……。今後、2人がどのような恋に直面していくのかとともに、2人の中で思いがどう移ろいでいくのかに刮目したい。(國重駿平)