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DEAN FUJIOKAが語る、『モンテ・クリスト伯』主題歌への想い「絶望や答えのない問いを描いた」

2018年06月14日 08:02  リアルサウンド

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 国際派俳優として活躍する一方、ミュージシャンとしても自ら作詞作曲を手掛ける楽曲を通して、多岐にわたる自身の興味を表現してきたDEAN FUJIOKA。彼が2ndシングル『Echo』を完成させた。タイトル曲の「Echo」は、自身が俳優としても出演しているアレクサンドル・デュマ・ペールの小説をもとにしたテレビドラマ『モンテ・クリスト伯—華麗なる復讐—』(フジテレビ系)の主題歌。劇中でDEANが演じる主人公・柴門暖/モンテ・クリスト・真海の苦悩や激情が、ロンドンを筆頭にヨーロッパのアンダーグランドなクラブシーンなどで注目されつつあるベースミュージックの一種“ウェーブ”にも通じる強烈なシンセサウンドで表現されている。楽曲の制作過程やテーマについて、DEAN FUJIOKAに聞いた。(杉山仁)


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■「週に6回ぐらい、クラブに足を運んでいました」
ーー音源を聴かせてもらっても、ライブを観ても思うのですが、DEANさんの音楽にはオルタナティブロック、ポップ、ヒップホップ、R&B、クラブミュージック、ジャズなど、本当に様々な要素を感じます。DEANさんの音楽的なルーツはどういうものなんですか?


DEAN FUJIOKA(以下、DEAN):もともと親がピアノの先生だったので、音楽は小さい頃から近くにあったものでした。でも、自分の意思で音楽を聴くようになった、“明らかにここから変わったな”と思うきっかけは、メタルとの出会いですね。小さい頃はピアノをやっていましたけど、親から無理やりやらされているのがちょっと嫌だったんですよ。でも、音楽は好きだったから、そこからギターを弾くようになりました。そのギターを通してメタルやオルタナティブロックに出会ったのが、プレイする楽しさとの最初の出会いだと思います。当時はMetallicaばかり弾いていました(笑)。あとはNirvanaのようなグランジ/オルタナティブロックですね。


ーーそこからどんな風に、ヒップホップやR&B、エレクトロニック・ミュージック、ジャズなど、リスナーとしての興味を広げていったんでしょう?


DEAN:MetallicaやNirvanaのような音楽と並行して、色々な音楽も聴いていたんですよ。親の影響でクラシックも聴いていたし、ポップスも好きで聴いていて。その延長線上で色んな音楽を聴きはじめました。ポップスのいいところって、色んな要素が混ざっていても、それが“全部ポップスになる”ということですよね。だから僕もそういうものを通じて、こういう音はボサノヴァなんだなとか、色んな音楽を見つけていきました。そういう意味で大きかったのは、USトップ40を集めた、当時よく出ていたコンピレーションですね。そこでR&Bを知りましたし、特にアメリカに行ってからは、そういう音楽が生活に密接したものになりました。ジャズにしてもヒップホップにしても、レゲエにしてもR&Bにしても、学生時代にUS西海岸で生活したことは、自分にとっては大きなことだったと思います。特にあのときアメリカで学生生活をしていると、ヒップホップは通らないわけにはいかなかった。音楽は人種的なものや生き様、コミュニティとの繋がりが大きく関わってくるものでもあると思うんですが、僕の場合もライフスタイルとして、呼吸したりご飯を食べたりするのと同じように、好きで音楽を聴いていたという感じでした。


ーーDEANさんはこれまで、日本やアメリカ以外にも様々な場所で暮らしてきたと思いますが、そうした経験によって、聴く音楽が広がった部分もあるかもしれません。


DEAN:それもあると思います。僕はその後中華圏に拠点を移して、俳優の仕事をはじめるんですが、そこでもあの地域の素晴らしい音楽にたくさん出会いました。それは東南アジアで生活しはじめたときも同じで、ジャカルタでは、今度はインド洋を感じて生活するようなライフスタイルになっていて。そうやって色々な土地で生活しながら音楽を聴いていたことが、いい音楽を追求したいと思うようになった原点なのかもしれないですね。


ーーまた、最近の楽曲にはトラップやフューチャーベースの要素が取り入れられているように、DEANさんの活動からは「新しいものに触れたい」という気持ちも強く感じるのですが、この辺りはどうでしょう?


DEAN:新しいものには、あくまで“自分の中での新しいもの”と、技術の進歩などによって生まれる“世の中にとって新しいもの”があると思いますが、僕はその両方が好きなんですよ。たとえば、技術の進歩で生まれる新しい音楽だと、2000年代初頭にアメリカでラップトップバトルを観たことは衝撃的でした。ミュージシャンがラップトップだけを持ってきて、その場で音をひとつずつアサインさせて鳴らすというのは、当時のラップトップの性能を考えるとすごいことでした。その頃僕が住んでいたシアトルは、マイクロソフトの本社やアメリカの任天堂、Adobeのような企業が拠点を置く街で、自分も学校でITを勉強していたため、“技術を追求するために生まれたラップトップに、アートとしての側面があるんだ”ということにも衝撃を受けました。同時に、当時の僕はジャズのパーティーに行ったり、オルタナティブロックのバンドのライブに行ったり、Squarepusherのようなドラムンベース/ドリルンベース、トリップホップといった音楽、<ニンジャ・チューン><モ・ワックス>の音楽もしょっちゅう聴きに行っていました。つまり、かなり真面目にクラブ活動をしていたんです(笑)。週に6回ぐらい、クラブに足を運んでいましたね。


ーーそれはすごいですね(笑)。しかも、今話していただいた色々な音楽がすべてDEANさんの現在の音楽活動に反映されているというところがとても面白いです。


DEAN:音楽だけに限らず、やっぱり自分が通ってきた道って、何かをアウトプットするときに自然に出て来るものですよね。僕はほかにも、Burialの『Untrue』にも本当に衝撃を受けたのを覚えています。あと、トラップのヤオヤ(ローランドTR-808の俗称)の音もそうですが、音楽が好きで色々と聴いていると、その時代ごとの音色があったり、昔使われていた要素を違う角度から再解釈するような表現方法に出会ったりしますよね。だから、本当に冒険は尽きないと思います(笑)。最近自分の曲にトラップやフューチャーベースを取り入れているのも、そういう単純な好奇心からなんですよ。でも、その音が世の中的に新しいから取り入れているというわけではないんです。むしろ、曲を作るときに自分が立てたコンセプトに必要な音を選ぶと、たとえば今回の「Echo」ではウェーブのようなサウンドになった、という話で。“こういうコンセプトでこういう歌詞なら、トラックはこの方がいい”とか、曲の物語を伝えるために必要な音を選んだ結果、新しい要素が加わった感じでした。


ーー「Echo」に入っているウェーブの要素は、そういう意味で加えられたものなんですね。


DEAN:今回は『モンテ・クリスト伯—華麗なる復讐—』の物語が持っている雰囲気にはめていくような感覚で曲作りをはじめました。まず最初に、“絶望の嘆き”というコンセプトが出てきたので、そのコンセプトがどういう音を求めているかを、SoundCloudやストリーミングサービスなどで色々と探っていって。自分の頭の中にある漠然としたイメージを音にするために、これは違うな、これは近いなと、色々な音楽を聴いていきました。その中で、イメージに近いものとして、SoundCloudで「#wave」「#darkwave」というハッシュタグがつけられている音楽が増えていったんですよ。この辺りのアーティストには、どう発音したらいいのか分からない人たちも大勢いますが……僕が明らかにウェーブに通じるような音を意識しはじめたきっかけのアーティストは、gravesだったような気がします。この人の音楽を、僕は2~3年ほど前から好きで聴いていたんですよ。


ーーgravesはまさにそうですが、ベースミュージックとしてのトラップの中から、様々なアーティストがインターネット上で人気を集めはじめていた時期ですね。


DEAN:その頃から、オルタナティブなR&Bのインスト版のような楽曲が増えましたよね。あと、グライムが持っている本当の不良のような、本当に荒んでいるような雰囲気も、僕が想像していたイメージに近いものでした。そこで、ビートはトラップで、上モノはグライムやウィッチハウスの雰囲気、ボーカルは“絶望の嘆き”というイメージーー。そういう音を探した結果、ウェーブがぴったりとハマったんです。YUME Collectiveのようなインターネット・コレクティブもそうですし、ほかにもMISOGI(禊)のように色々なプロデューサーがいますよね。しかも、その中で、僕は次第に東欧のプロデューサーに惹かれるようになってーー。東欧は元共産圏の国ということもあって、宗教戦争をはじめとするとても暗い歴史を抱えています。そういう人間の業の深さが宿っているような、不気味で不穏な音が、『モンテ・クリスト伯—華麗なる復讐—』にも合うんじゃないかと思ったんですよ。


■「<Tell me why>というサビで“答えの出ない問いかけ”を表現」
ーー実際の制作作業は、どのように進んでいったんですか?


DEAN:まずは作年末インドネシアにいたときに、サビはこういうメロディがいいなと思いつきました。そのあと報道の仕事でスイスにいって、チューリッヒに滞在しながら、ラップトップでデモを作りはじめたんですが、そのタイミングで、“答えの出ない問いかけ”を表現するために<Tell me why>とサビを考えはじめて。それから、ドラマのテーマでもある“赦す”ことの意味や、“何を赦すのか”を表現するために、滞在しているホテルで、窓の外の景色を眺めながらさらに作業を進めました。そのとき、スイスがどういう成り立ちでできた国かを知ったことも、自分にとって大きかったと思います。色々な言語を喋る人々が、それぞれの母語の国ではなく、スイスという連邦のような国を作って暮らしはじめた背景や、なぜスイスに時計や製薬の産業が集まったのか、なぜプライベートバンキングや保険が発達したか、なぜシェルターが人口の120パーセント近く普及しているのか、なぜスイスの傭兵が恐れられるのかーー。そういうことを知っていくと、背景にある暗い歴史が見えてくる、というか。


ーースイスが永世中立国であることの意味とも繋がる、複雑な話ですね。


DEAN:現地の美術館や博物館でも、そういった歴史に触れる瞬間がありました。そして、そういうことを考えているうちに、音がどんどん今回の「Echo」のようなものになっていった、ということなんです。とにかくBPMを遅くして、迫りくる不安や、凶暴な雰囲気が同時に感じられるようなものを表現していきました。


ーーつまり、メタルのギターをシンセに置き換えたようなインダストリアルな質感のあるウェーブのサウンドが、その雰囲気にぴったりとハマったということなんですね。


DEAN:まさにその通りです。そもそも、僕はベースミュージックって現代のメタルだと思っているんですよ(笑)。30~40年前にデスメタルをやっていた人と同じメンタリティを持った人たちが、たまたまEDMのサブジャンルをやっているだけなのかもしれないな、と。


ーー今回の「Echo」はとても静かなピアノの弾き語りからはじまって、そこに突如ウェーブ特有のシンセが割り込んでくる構成になっています。これは『モンテ・クリスト伯—華麗なる復讐—』で描かれる柴門暖/モンテ・クリスト・真海の二面性を表現したものですか?


DEAN:一度人間が生きて、その後悪魔に転生するというイメージですね。『モンテ・クリスト伯—華麗なる復讐—』では、ひとりの人間が冤罪にかけられて、復讐の悪魔や怨念の塊になっていく様子が描かれています。それの切り替えを表現するために色んなアプローチを考える中で、この構成なら、その変化を上手く表現できると思ったんですよ。それに、曲としてライブでやったときにも、ピアノの弾き語りではじまって、いきなり曲が豹変するようにシンセの音の壁やベースがやってきて――。まるで嵐や濁流が自分をめちゃくちゃにして過ぎ去っていくような、そして自分はその場に取り残されてしまうような、そんな雰囲気が生まれるんじゃないかとも思っていました。


ーーなるほど! その感覚は、『モンテ・クリスト伯—華麗なる復讐—』を観終わった直後の視聴者の感覚にも、限りなく近いものかもしれません。


DEAN:はい。僕としても、そういうことをイメージしていました。また、今回は全編英語詞になっていますが、これはフジテレビさんからの提案でした。僕は最初、日本のドラマなので「日本語詞の方がいいんじゃないですか?」と言ったんです。でも、「英語詞でいいですよ」というお話で、「これはすごく勇気があるな」と。それに、実際に曲を作って行く中で、僕自身もこの曲には英語詞が自然に乗っていたので、自分としてもすごく助かりました。


ーー一方でカップリングの「Hope」は、希望が感じられる雰囲気になっていますね。


DEAN:1曲目の「Echo」が絶望や答えのない問いを描いた曲だったので、2曲目は希望が感じられるようなものでないと、本当に救いようがなくなってしまうな、と思ったんですよ(笑)。最初は「ハレルヤ」というタイトルで、希望のファンファーレ的なイメージで作りはじめました。「Echo」のシンセが濁流に飲まれていくようなものだったので、この「Hope」はもっと“この音はここにある”ということが分かるような曲にしたいと思っていましたね。“色々あるけれど、希望はあるから明日も頑張りましょう”という曲です。僕の曲の中で言うなら「Speechless」のネクストレベルのようなものを作ろうというイメージでしたね。自分としてはライブの終盤に似合うような曲にしようと思って作った曲です。


ーーこれは今年開催された『DEAN FUJIOKA 1st Japan Tour “History In The Making 2018”』の公演を観たときにも感じたのですが、DEANさんの音楽活動は、ここ2年間の日本での活動の間にも、ますます大きな広がりを見せていますよね。この数年間は、ミュージシャンとしてのDEANさんにとって、どんな期間だったと思っていますか?


DEAN:1stアルバムはインドネシアのジャカルタで作ったこともあって、2017年の「History Maker」以降の楽曲は、僕の中では東京シリーズという位置づけになっています。今回の「Echo」と「Hope」で、その楽曲も8~9曲目になると思うんですが、「History Maker」をリリースするまでは、自分の中ではジャカルタに音楽のベースがあって、でも自分の体は日本で俳優業をやっている、というイメージが強かったんですね。だから、東京で音楽をやっていても、その活動はどこかインドネシアの延長線上にあるような感覚でした。


 でも、次第に東京にいる時間が増えて、その中で色んなクリエイターとの出会いがあって、そこで出会うことのできたすべての人とのかかわりの中で、新しい気づきや学びが生まれてーー。それは僕にとって、とても大きなものだったと思います。これまでまったく気が付かなかった視点や、東京で出会ったほかのクリエイターの方たちの制作方法に触れて、それをひとつずつインストールしてきたような感覚で。


 それに、音楽の発信の仕方もここ数年で多様化していて、すごく面白い時代になってきていると思うんですよ。自分の得意な技を、得意な形で出せるようになってきているというか。だからこれからも、自分が好きな音楽を作って、それをひとりでも多くの人に聴いてもらえるように頑張りたいですね。どんな仕事でも、精一杯やるからにはひとりでも多くの人に見てもらいたいし、触れてもらいたいし、どの作品でも、自分に関係のあるものだって思ってもらいたい。僕はこれまで、飛行機に乗って日々色々な場所に拠点を移すような人生を過ごしてきて、ここ2~3年は日本にいることが増えましたけど、そういう大きな環境の変化は、思っている以上に人の在り方を変えますよね。


■「やっと自分の中で納得できるようになりました」
ーーDEANさんにとっては、この数年間も非常に大切な期間だったんですね。


DEAN:以前は、自分のベースはどこなんだろう? とか、自分はどこに属する人間なんだろう? ということについて、悩んだこともありました。国籍は日本のままだけど、まったく日本と縁がない人間だなとか、台湾の芸能人ということになっているけど、自分自身は日本人で、これって何だろうとか、ひとつの曲を作るのに3つの言語が混ざってしまったりとか……。どこか混沌とした感覚があって。でも、結局はそれをネガティブに捉えるかポジティブに捉えるかの違いなんだなということが、1stアルバム『Cycle』を作って、その後東京シリーズをはじめていく中で、やっと自分の中で納得できるようになりました。あの混沌とした時期があってよかったなと、やっと思えるようになった。今はその延長線上で好きな音楽を作れているので、まだ届けられていない人も含めて、僕が大切に作った音楽が、より多くの人に届くようになってくれたらいいな、と思っています。(取材・文=杉山仁/撮影=三橋優美子/スタイリスト=ISON KAWADA(IMPANNATORE)/衣装協力=ALLSAINTS(オールセインツ))