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小松菜奈が『恋は雨上がりのように』で証明した女優としての“走り” 映画に愛される素質を読む

2018年06月08日 10:02  リアルサウンド

リアルサウンド

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 「ビュンビュンビュンビュン、風を切るってああいうことかな」と、吉澤タカシ(葉山奨之)は口にする。公開中の『恋は雨上がりのように』で、ファミレスでバイトする女子高生・橘あきら(小松菜奈)が、ケータイを置き忘れた客を走って追いかける場面でのことだ。彼の言葉と重なるように、あきら役を演じる小松は背筋をぴんと張り、まっすぐに前を見据え、先へ先へと長い脚をくり出してスクリーン内を駆け抜けていくーー。本作は小松菜奈が、つくづく映画が似合う女優であると再確認させられる作品となった。


びしょ濡れの小松菜奈に傘を差し出す大泉洋の姿が【動画】


 この全力疾走する場面だが、彼女の顔に注目してみると、そこには青春映画らしい爽快感が浮かび上がってくる余地はなく、ただ一面にシリアスな色合いが広がっているだけなのである。彼女は夢中であった陸上競技を大きな怪我のために断念しているのにもかかわらず、この止むに止まれぬ状況下に力強くアスファルトを蹴り出したのだ。そんな彼女の現在の心の拠り所が、ファミレスの店長・近藤正己(大泉洋)へ抱く恋心なのである。


 『渇き。』(2014)での本格的な女優デビューから早4年。その軽やかな身のこなしと得意の微笑で、まさに“風を切るように”映画界を走ってきた小松なだけに、冒頭の葉山のセリフは小松本人を評した言葉のように思えてくる。『近キョリ恋愛』(2014)や『溺れるナイフ』(2016)、『バクマン。』(2015)に映画『ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章』(2017)と、少女マンガから少年マンガの実写化作品まで、さらには気鋭の監督によるオリジナル映画『ディストラクション・ベイビーズ』(2016)や、マーティン・スコセッシ監督作『沈黙ーサイレンスー』(2016)にまで主要なポジションで出演し、自身の存在が特定のジャンルや“日本映画”という枠にとどまることなく、映画そのものに愛されているのだと、スクリーンの中でこそ証明してきた。事実、彼女のキャリアを見れば、映画に愛されているという見方は間違いではないはずだ。小松への作り手たちのラブコールが絶えないというのはよく聞くところである。作り手たちに愛されるということは、すなわち映画に愛されるということと同義ではないだろうか。


 モデルでもある小松は、やはりフォトジェニックな女優だ。ただ立っているだけで絵になる。スクリーン内にスラリと佇む彼女を見つけた瞬間に心を奪われた経験は誰もがあるだろう。彼女の特徴といえばやはり多くの人が、あのどことなく無機質な顔について言葉を紡ごうとする。“ミステリアス”、“アンニュイ”……たしかに言葉はいくつも浮かぶが、なかなか彼女のその心のうちを覗き込むことはできない。この顔は、『渇き。』で演じた藤島加奈子の“得体の知れなさ”とシンクロし、『近キョリ恋愛』で演じた枢木ゆには、内心さまざまな感情が渦巻いているのにもかかわらず、周囲の人々からは「クールだ」と誤解されるものであった。


 何を考えているか掴めないというのは、次に何をするのか分からない、先が読めないということでもある。映し出される彼女の顔は、ときに見る者に感動を与え、ときに緊張を強いてきた。だからこそ特定のイメージに陥ることなく、さまざまなタイプの作品やキャラクターに、彼女はハマってきた。しかし惑わされてはいけない。彼女は女優である。当たり前のことだが、動いて、セリフを喋ってこそ、彼女の真価が発揮される。


 『恋は雨上がりのように』でも、彼女の想い人である店長は、その熱いまなざしを「睨んでいる」と誤解し、果ては「ゴミでも見るような目」とまで勘違いを重ねる。彼は、自身を前にした彼女の細かな変化をことごとく見逃し、彼女が意を決して「好きです」と言ったところでも、それを社交辞令的なものとしか受け取らない、なんとも鈍感な男。しかし私たちは、彼女がべつだん不機嫌なわけではなく、演じる小松自身が懸命に橘あきらというキャラクターを表現しようとし、そしてこの“恋心”を表現しようとしていることを見逃しはしないだろう。そのまなざしの強度や、微細な声の変化、そこにこそ女優・小松菜奈の目を向けるべき瞬間がある。見た目や雰囲気で役にマッチするだけでなく、積極的に役を表現しているのだ。もちろんこれは彼女だけでなく、私たちをいつも楽しませてくれる俳優たち(特に若手の)すべてに言えることだ。彼/彼女らの演技者としての一挙一動にこそ、言葉を紡いでいく必要があると思うのだ。


 たしかに本作でも小松菜奈は女優として素晴らしい“走り”を見せた。しかし女優である以上、スピードダウンすることや、橘あきらのように“雨宿り”することがあるかもしれない。しかしそんなとき、本作の店長のように彼女の背を押したい。つまりはファンとして一生ついていくと思いを新たにさせられる、そんな好演であった。


(折田侑駿)