運動神経の良し悪しには個人差がある。でもそんなの関係なく、学校では跳び箱だの運動会だのをとりあえずやらされる。
僕は決して運動神経が良い子供ではなかったので、体育の授業は本当に嫌いだった。唯一夏の水泳だけは冷たくて気持ちいいので大好きだったが、進学した高校にはプールがなく、夏場に持久走なんかやらされて、余計に体育が嫌いになった。(文:松本ミゾレ)
「反復横跳びがマジでできない。下手くそとかじゃなくてできない」
先日5ちゃんねるを見ていて「ガチで運動神経が悪い奴にしか分からないこと」というスレッドを見つけた。スレ主は例として「体力測定の日が苦痛すぎてあの手この手で休もうと画策する」を挙げている。
体力測定。あったあった。あれは数字で生徒たちの運動神経の優劣が分かるので、結構残酷な時間だった。
スレッドには、他にも様々な意見が寄せられているので、そちらもいくつか紹介しておきたい。
「バスケでシュートを入れた事がない 」
「スキップができない」
「反復横跳びがマジでできない。下手くそとかじゃなくてできない」
子どもには個性がある。運動も勉強も出来る子どもがいれば、その逆もいる。勉強も出来ず、運動でも成績がふるわない子どもというのは、本当にこれは本人にしてみれば、自尊心を大きく損なうものだ。実際これに悩む子って僕の子どもの頃にもいたし、今だって大勢いるだろう。
「ライブとかコンサートでリズムに合わせて手振るやつがだんだん周りとずれてくる」
他にも、
「ドッジボールでボールのキャッチの仕方がわからないから回避専門」
「走り方がキモいって言われる」
「ライブとかコンサートでリズムに合わせて手振るやつがだんだん周りとずれてくる」
などの意見が出ていた。どれも、当人にとってはなんとも深刻だ。みんなが出来ることが出来ない。当たり前に出来る人から「キモい」と言われたり、不思議なものを見るような目で見られたりする経験は、一発で運動嫌いの原因になることだろう。
そう考えると例えば、跳び箱が跳べなくてみんなに失笑される経験や、運動会の徒競走でビリになった子どもを大勢が応援するのは、当人にとって本当に励みになるのか、難しいところだ。