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二つの世界を描いた二つの演出 『リディバイダー』は崩壊しつつある現実社会を映し出す

2018年06月02日 12:11  リアルサウンド

リアルサウンド

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 ガン・シューティングなどのアクションを楽しむTVゲームのなかで根強い人気を誇るのが、ゲームのキャラクター本人の視点でプレイできる、「FPS(ファーストパーソン・シューター)」というジャンルだ。まるで自分自身がゲームの世界に入り込んだように、敵を倒していく臨場感が味わえる。本作『リディバイダー』は、そんなゲームの演出手法が楽しめるSF映画だ。


 本作の基になったのは、2009年にYouTubeにアップされ話題となったショートムービー、”What’s in the Box?”(箱の中身は何?)である。日常が不穏な雰囲気に満たされ、崩壊を始める世界を、主観映像で描いた作品だった。本作は、この内容を大幅にふくらませ、新たに生まれ代わった映画なのだ。


 ここでは、そんな『リディバイダー』の魅力や、作品が示している現実世界の問題について、できる限り深く考察していきたい。


●二つの世界、二つの演出


 舞台は、エネルギーが枯渇した近未来の地球。人類は科学の力を駆使して、地球をコピーしたもう一つの世界「エコーワールド」を生み出す。そこには人や動物は住んでおらず、エネルギーを採り放題なのだという。


 この夢のような話が、あまりにも“うま過ぎる”ために、なんだか嫌な予感がしてくるが、案の定、地球とエコーワールドをつないでいる巨大なタワーが暴走を始め、二つの世界は崩壊の危機に陥ってしまう。


 原因を探るため、誰もいないはずのエコーワールドへと送り込まれるのが、かつてNASAでパイロットを務めていた男性・ウィルだ。崩壊を始めたエコーワールドに飛び込んだ彼を待っていたのは、想像もしていなかった、あまりにも過酷な事実だった。


 誰もいないはずの場所に現れる人物たち。空中を飛び回る武装ドローン。そして、刻一刻と崩壊していく世界。さらに、”What’s in the Box?”でも登場したミステリアスな箱の意味とは…?いくつもの謎が散りばめられた環境で、ウィルは命を懸けた激しい戦闘を繰り広げることになる。


 地球とエコーワールド。本作は、この二つの世界をそれぞれ二つの手法でハイブリッドに表現している。人類が生きる地球は、従来の映画作品によく見られる「客観視点」で。エコーワールドは、観客が主人公・ウィルの視点を共有する、FPSを意識した「主観視点」で描かれていく。


●もう一つのFPS映画『ハードコア』とはどう違う?


 本作の以前に、FPS視点を本格的に映画作品に持ち込んだのが、ロシアのイリヤ・ナイシュラー監督だ。全編にわたって主観映像が続く『ハードコア』(2015年)は、高い娯楽性を持ちながらも、映像表現の新しい扉を開く実験的な作品だった。その基になったのは、やはりYouTubeで注目を集めたショートムービーである。作品の長編映画化は『ハードコア』の方が先だが、主観映像を利用した動画をYouTubeにアップしたのは、”What’s in the Box?”の方が先であった。


 この主観映像を利用した手法は、娯楽映画としては弱点があることが発見されたのも確かだった。ゲームなら自分自身が視点を操作できるが、映画はあくまでも決められたカメラワークに視点を支配されるため、長時間の鑑賞では疲れを感じる場合がある。


 映画化作品としては後発となる、本作『リディバイダー』は、この手法をより娯楽表現に馴染ませるため、二つの工夫を用意している。一つは、カメラのせわしない動きを極力避け、スムーズさを心がけていること。もう一つは、地球とエコーワールドそれぞれのシーンを交互に見せることによって、観客に長時間の負担を要求しないということだ。これによって本作は、実験性が薄まった代わりに、飛躍的な見やすさを獲得しているといえるだろう。


 マシンガンを撃ったり、手りゅう弾を投げ込んだり、主観映像のなかで武装集団と戦闘を繰り広げるシーンもある。主人公の視覚には自分の体調や状況など、ステータスが表示され、深刻なダメージを追うと、視界がぼやけて、自分の心臓の鼓動が聞こえてくる。まさにゲームをプレイしているような演出によって、アクションが表現されていく。


●緊迫感は人間ドラマによってもたらされる


 主人公ウィルを演じているのは、カルト映画『ザ・ゲスト』で注目を集め、大ヒットした実写版『美女と野獣』でブレイク、幅広い人気を得た、「ハンサム」という言葉を具象化したような、少し危うい雰囲気を持ったダン・スティーヴンスである。前述したように、FPSは主人公の視点で描かれるため、基本的に主役の顔を見ることはできない。しかし本作は、地球のシーンではたっぷりと客観視点によってダン・スティーヴンスの演技を楽しめる。


 ダン・スティーヴンスが演じるウィルは、シングルマザーである妹と、その息子と一緒に暮らしている。何よりも大切な彼女たちの生活を守るため、ウィルは大企業の求めに応じて、エコーワールドを行き来するという危険な役割を引き受ける。その葛藤のドラマが存在することで、FPSシーンのアクションにも緊迫感が与えられている。こんな部分にも本作をハイブリッドにした意味がある。


 二つの世界をつなぐタワーには、無尽蔵なほど純粋なエネルギーが絶え間なく充填されていく。「タワーがエネルギーを吸収し、国中に電力が供給されるんだ」自宅からその様子を見て、妹やその息子にタワーの価値を説明するウィル。ウィルの妹は、そこに一つの疑問を持つ。「でも、どこから…?」


●崩壊する世界が意味するものとは


 本作における、枯渇した未来のSF世界というのは、欧州やアメリカなど西洋が中心となってきた世界の歴史が重ねられているように思える。そもそも西洋の歴史は、他国や他民族、あるいは自国の人々から資源を奪ってきた歴史だともいえる。


 世界各国に植民地を作った大航海時代を経て、イギリス人は、18世紀後半に「産業革命」を成し遂げたが、その燃料となる石炭を確保するために、小さな子どもたちが炭鉱に駆り出され、狭い坑道で石炭を運ばされていた。


 また、ヨーロッパからのアメリカ入植者が「開拓」と称して、先住民から土地を奪うと、動物、植物、石油など、あらゆる天然資源を手にするだけでは足りず、さらにアフリカ大陸に住んでいた人々を奴隷とすることで、膨大な生産活動を支える労働力を安価に確保し、圧倒的な経済成長を成し遂げたといえるだろう。


 中東における石油利権に深く食い込むのは西洋諸国の企業であり、さらに近年では、アメリカ国内で天然ガスを採掘する計画によって、土地の汚染や、地域住民の健康被害が問題となっている。


 これらが示している歴史の側面は、ひたすら便利な生活や利益を追求するということであり、そのためには他者を、ときには同胞すらも犠牲にしてきたということである。現在ではこの悲劇のいくつかは過去のものだとされているが、本作に登場するエネルギー企業が「クリーン」だとか「安全」をことさらうたっていたように、法的・倫理的な面で批判されないよう、より巧妙に隠されるようになっただけで、その利己主義としての本質に大きな変化はないように思える。


 そのように、一部の人間の幸福のため犠牲を強いる社会は、世界の経済格差問題が深刻になるにしたがって、さらに極端な様相を呈してきている。そんな社会が持続可能なのだろうか。そして、一部の民族、ほんの一部の階層しか満たされない発展に、果たして意味があるのだろうか。


 崩壊する世界のなか、一方的に消耗品として命がけの仕事に派遣される男。この構図が示しているのは、もはや近未来ではなく、崩壊しつつある現実の社会そのものであるように感じられる。われわれは、そんな世界で戦う悲壮さを主観映像で追体験することで、現実に起きていることを圧縮した、濃密な感覚を味わうことになるだろう。(小野寺系(k.onodera))