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リドリー・スコットがアメリカ映画を退廃させた? 荻野洋一の『ゲティ家の身代金』評

2018年06月01日 11:52  リアルサウンド

リアルサウンド

 監督デビュー前のゴダールは、批評家として週刊誌『アール』に次のように書いた。「イギリス映画についてなにか言うべきことを見つけ出すためには、まさに頭をひねらなければならない」。このゴダールの当惑(と、おそらくは不信感)は今日でも有効であるように思える。辛辣なゴダールはなおも続ける。「なぜなのかはわからない。しかし、事実そうなのだ。しかもこの規則には、この規則の正当性を証明するはずの例外さえもないのである」。多くの賛否両論に晒されてきた北東イングランド出身の映画作家リドリー・スコットを、讃嘆といささかの当惑をもって眺めてきた者からすると、最新作『ゲティ家の身代金』においてもなお、スクリーン上にただよう違和感の斑点がちらちらと視界をよぎってきて、映画でありながら映画から離反していく何かとしか言いようのない齟齬となっていく。


参考:『ゲティ家の身代金』マーク・ウォールバーグ、リドリー・スコットの偉大さを語る


 じつのところスコットが純粋にイギリスの作家であったのは、カンヌ国際映画祭で新人監督賞を受賞した1977年のデビュー作『デュエリスト/決闘者』の時だけだ。この作品の日本公開はアメリカに進出した第2作『エイリアン』(1977)と第3作『ブレードランナー』(1982)の中間にずれこんだのだが、今はなき新宿歌舞伎町の「シネマスクエアとうきゅう」での単館公開だった。奇しくもリドリーの弟トニー・スコットの監督デビュー作『ハンガー』(1983)も兄を追いかけるようにして、同じく「シネマスクエアとうきゅう」で公開されている。スコット兄弟がCM業界から卒業して映画界に進出したこのころ、イギリス映画はジョン・ブアマンとニコラス・ローグの時代だった。一方、スコットは『デュエリスト』のあとすぐにアメリカ映画界に活動の場を移す。『エイリアン』『ブレードランナー』はもちろん、『ブラックレイン』『テルマ&ルイーズ』『グラディエーター』といったたくさんの代表作、さらには近年の『エクソダス:神と王』『オデッセイ』『エイリアン:コヴェナント』あたりまで改めて概観してみると、今年81歳を迎えるリドリー・スコットの長期の活躍に目を見張る。


 ところで、アメリカ映画はいつからストーリーテリングをおろそかにし、スマートに効率的にエキサイティングに物語を語ることをやめて、パビリオン効果の品評会に堕するようになったのか? マイケル・ベイのあのだらだらとした『トランスフォーマー』シリーズなどは現代アメリカ映画の退廃だと思うが、筆者はこのトレンドの真犯人がほかでもないリドリー・スコットだったのではと長期にわたり疑ってきたのだ。多くの識者は「それを言うなら弟のトニー・スコットの方だろう」と笑いながら訂正しようとするかもしれないが、正解は逆だと思う。いや、真犯人というのはさすがに言い過ぎとはいえ、重要なプレーヤーであることは間違いない。このあたりの結論はもう少し引き延ばしたいところだが、事情がスピルバーグと異なるのは、スピルバーグが進取の精神と共に、より濃厚に古典的アメリカ映画のストーリーテリング的遺風を残しているためである。そして、中東におけるイスラエルの特権性をこれでもかと視覚効果で囃し立てるスコットの近作『エクソダス』を見るにつけ、これが映画のストーリーテリングとはまったく異質な政治的スペクタクルとしか思えないのである。


 本作はアメリカの石油王ゲティ氏の孫ポールが1973年、イタリアのマフィアに誘拐されるところから始まる。真夜中のローマ市街をロングヘアの美少年がそぞろ歩く横移動のショットは生彩を帯び、街の売春婦たちと軽口をかわした彼がワゴン車に拉致されるまでの一連のショットは大いに期待させる。ポールの母親(ミシェル・ウィリアムズ)はゲティ家の跡取り息子とは数年前に離婚しており、ポールの身代金$1700万(約50億円)を支払えない。彼女は金策のために、イギリスに移住したゲティの城館まで通いつめるが、ポールの祖父ゲティ氏はなんと「身代金なんて払いたくない」と冷たく言い放つ。石油王の言い分はこうだ。「前例を作ったら、他の14人の孫たちも誘拐の標的になる」。ポールの母は物語を通じてひたすら自分の無力を思い知らされ続ける。彼女は誘拐犯と対峙し、マスコミ報道と対峙し、イタリア警察と対峙するばかりでなく、極度のけちん坊である義父とも対峙しなければならない。世界一の金持ちを描いているにもかかわらず、この映画における金銭の不在はブラックユーモアの域にさえ達しているのではないか。少年の切断された片耳の写真が一面を飾る新聞の束がゲティ邸に届けられたことによってようやく、その紙の夥しい量に免じて、申し訳程度に紙幣に取って代わるのみだ。


 主演のミシェル・ウィリアムズと誘拐犯グループの攻防は、さしたるスリルも映画的興奮も喚起しない。交渉人として雇われた元CIAエージェントの男をマーク・ウォールバーグが演じていたりするものだから、てっきりこの男が本領を発揮して犯人グループを一網打尽、ポールの身柄をみごとに奪い返すばかりか、母親のハートまで奪ってみせてハッピーエンドを迎えると想像するのがスジだろう。普通のアメリカ映画ならそうだ。ところが何もかもうまく事が運ばない。まずマーク・ウォールバーグが演じる元エージェントからして、まったくやる気が感じられない。イタリア警察の捜査も停滞し、中年マフィアのまっ黒こげな焼死体をろくな検証もせずに「息子さんの遺体を確認してくれ」などとミシェル・ウィリアムズに見せびらかしたりする。この映画ははたして、ミシェル・ウィリアムズの骨折り損を嗤うブラックコメディなのか?


 今年のアカデミー賞授賞式シーズンに日本でも大きく取り上げられたことだが、孫の身代金支払いを拒否するけちん坊な石油王ゲティ氏を演じ、最年長記録でアカデミー助演男優賞候補にノミネートされたクリストファー・プラマーは、じつは代役に過ぎない。本当はケヴィン・スペイシーが老けメイクを施して演じ、同作の撮影はすでに終了していた。仕上げの真っ最中である昨年10月末、ケヴィン・スペイシーの同性に対するセクハラが被害者から告発され、スペイシーは降板。12月の全米公開まであと2ヶ月というところで、リドリー・スコットは代役にプラマーを立てて撮り直しを決断する。ローマのハドリアヌス帝の別荘跡地を孫のポールといっしょに散策する回想シーンは、現地でロケする時間がなく、スペイシーで撮った元のロケ素材と、スタジオで単独撮影したプラマーの歩きの合成だそうだが、たった9日間でクリストファー・プラマー分の撮り直しをやり遂げ、プレミア試写こそ中止せざるを得なかったものの、クリスマスの全米公開初日には間に合わせたとのこと。80歳リドリー・スコットの行動力と決断力の健在ぶりが証明されたとはいえ、なんともハリウッドらしからぬドタバタ事件ではある。


 ここで第2の事件が発生したことも記憶に新しい。再招集されたミシェル・ウィリアムズの撮り直し分のギャラが$1000弱(約10万円強)だったのに対し、マーク・ウォールバーグのギャラは独自に値上げ交渉した甲斐あって$150万(約1億6千万)に達したらしい。公開日が間近に迫りあせっていたプロデューサー側は、ウォールバーグの要求をすぐに呑んでしまったのだ。ところがこの1500倍ものギャラ格差が明るみに出て、ウォールバーグは非難され、全米映画俳優組合は報酬協定違反を調査すると発表した。あわてたウォールバーグはこの$150万をTime’s Upの運営組織に寄付する。それでも収まりつかぬミシェル・ウィリアムズは、ゴールデングローブ賞授賞式に「#Me Too」の発起人タラナ・バークをつれて出席し、全出席者によるブラックドレス・デモンストレーションを巻き起こした。


 なにやら映画本篇からどんどん話題がそれていくが、それが『ゲティ家の身代金』という作品の運命なのかもしれない。決してつまらないわけではなく、興味深い細部を持ってはいても、心ここにあらずというか、誘拐のサスペンスが空洞化し、そのまま穴の中へ停滞していくような本作の感触は、公開前に起きたセクハラ告発による降板事件、さらにはギャラ格差がそのまま男女格差問題へとスライドしていった事件によって粉飾された。ケヴィン・スペイシーのセクハラ事件が明るみになったとき、ミシェル・ウィリアムズは「もうこの映画は、永遠に葬り去らなければならない」と考えていた(引用:BuzzFeed NEWS|「この映画はもう、葬り去られなければいけないと思った」 ある女優の思い)とさえ述べている。


 本作は、リドリー・スコットの代表的なSF映画や史劇スペクタクルを満たしてきた視覚効果による豪華な装飾性に欠ける。犯人グループはイタリア南部マフィアの貧相な末端に過ぎず、むしろ彼らこそ最も人間的ですらある。最もサスペンスを呼ぶ部分は言うまでもなく、孫の命よりも蓄財を優先した石油王ゲティの謎めいた吝嗇家ぶりではあるが、真のサスペンスは映画を取り巻く尾ひれの方にあった。この騒音の渦中でリドリー・スコットという映画作家をめぐる総括を続行すべきではあるまいが、これも本作に似つかわしい騒がしさだろう。これまでその実力に見合った存在感を示せていたとはいえないミシェル・ウィリアムズだが、ここ1~2年ほどの彼女の活躍はめざましい。『マンチェスター・バイ・ザ・シー』『ワンダーストラック』『グレイテスト・ショーマン』と、いずれも主人公の目立たない妻役だったり、少ない出番だったりもするが、日本では未公開に終わった女性監督ケリー・ライヒャルトの『ライフ・ゴーズ・オン 彼女たちの選択』(DVDスルー)の助演もあり、これなどは必見である。


 ジョン・ポール・ゲティ3世の誘拐という1973年に実際に起きた事件の映画化ではあるが、奇しくもこの事件にインスパイアされて書かれた小説を元に、弟のトニー・スコットが映画を1本作っている。デンゼル・ワシントン主演の『マイ・ボディ・ガード』(2004)で、これはじつに素晴らしい作品だった。ちなみに現実のジョン・ポール・ゲティ3世は誘拐事件後、アルコール依存と薬物依存にさいなまれつつ、映画史の片隅をさらりと(あたかも本作冒頭、誘拐前にローマ市街を歩く少年のように)そぞろ歩いた。ラウール・ルイス監督『The Territory』(1982)および、同作と一部同じキャストとスタッフを共用したヴィム・ヴェンダース監督『ことの次第』(1982)という2本のポルトガルロケの映画に、事件から9年後、26歳のジョン・ポール・ゲティ3世が映っている。(荻野洋一)