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冒頭からイメージを払拭 映画『恋は雨上がりのように』から感じた原作&アニメ版との大きな違い

2018年05月31日 10:02  リアルサウンド

リアルサウンド

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 45歳の中年男性に想いを寄せる17歳・女子高生の恋模様を描いた、眉月じゅんの人気コミック『恋は雨上がりのように』。年明けのアニメ放送に続き、小松菜奈と大泉洋らによる実写映画の上映もスタートした。主人公・橘あきらのイメージが小松菜奈にぴったりだったこともあり、「これは楽しみだ」と思って鑑賞したところ、原作やアニメとの大きな違いを感じられたので、それについて言及したい。


参考:女子高生役の小松菜奈はこれで見納め?【写真】


 原作の『恋雨』といえば、流行の絵柄とは一線を画した独特のキャラクターデザインが特徴的だ。作者の眉月じゅん自身、80~90年代の『りぼん』に連載されていた少女漫画をイメージして描いたとインタビュー(引用:T-SITE LIFESTYLE|漫画『恋は雨上がりのように』眉月じゅんインタビュー)で語っており、作品全体にどこかノスタルジックな風が吹いている。本作には、店長・近藤正己と同世代の男性ファンも多いそうだが、自分と同年代の男性が描かれているからというだけでなく、どこか懐かしい絵柄にも親しみやすさが感じられるのだろう。


 原作ファンからすれば、作品の世界観が独特であればあるほど、アニメ化の際には期待以上に不安が大きくなるものだ。だが、アニメ版『恋雨』は特にラストなどは原作と違っていたが、その点も含めて、多くの原作ファンにも受け入れられるような納得の仕上がりであった。そんな、比較的原作に忠実だったアニメ版と比べると、実写版は少し賭けに出ていたように感じられる。演出の違いを顕著に感じたのは、“力強さ”を表現している部分だ。


 まず、オープニングテーマを見ても、アニメ版のCHiCO with HoneyWorks「ノスタルジックレインフォール」はラブコメらしいキラキラしたポップチューンだが、実写版のポルカドットスティングレイ「テレキャスター・ストライプ」は、それとは真逆のパワフルなロックナンバーだ。さらに、その音楽に合わせて、冒頭で小松菜奈が猛ダッシュする。『恋雨』といえば“繊細さ”や“儚さ”といったイメージが強かったため、開始早々この演出には驚かされた。


 オープニングに限らず、エンディングテーマも神聖かまってちゃんの名曲カバー「フロントメモリー」のほか、音楽にはの子/mono(神聖かまってちゃん)、柴田隆浩(忘れらんねえよ)、澤部渡(スカート)ら、ロックバンドの面々が多数参加している。そうした音楽の効果もあってか、作品全体を通して、透明感というよりもしっかりと色味のある、地に足のついた方向性が感じられた。


 また、原作・アニメ版では頬を赤らめる以外には表情の変化に乏しかったあきらだが、生身の小松菜奈が演じることで少なからず表情にバリエーションが生まれ、まさに血の通ったキャラクターになっていた点も大きい。そうした意味でも、原作やアニメで抱いた印象とはやや違いがありつつも、人物が生き生きとしてより共感を呼ぶような仕上がりだった。


 ストーリー面では、陸上にまつわるエピソードがアニメ版よりも尺を取って描かれていた。だからこそ、冒頭に印象的な“猛ダッシュシーン”を持ってきたのだろう。そのため、恋愛要素以外の“夢”や、それに向かう“希望”を、アニメ版よりもより強く感じられた。アニメ版と比較して、「雨降って地固まる」までが、しっかりと描き込まれていたのだ。


 思春期の恋は、多くが儚いものかもしれない。だが、その原動力となる若さ特有の莫大なエネルギーは、むしろそういった“儚さ”とは対極にあるものだ。表裏一体の“儚さ”と“力強さ”。実写版『恋雨』では、後者によりスポットが当てられていたといえる。(まにょ)