トップへ

odol ミゾベ&森山が語る、“美学とらしさ”「ポップスを一人ひとりのものとして捉えている」

2018年05月30日 17:02  リアルサウンド

リアルサウンド

写真

 東京を拠点に活動する6人組、odol。インディロック、シューゲイザー、オルタナティブ、ダンスミュージック、エレクトロニカ……といったジャンルで紹介するよりも「まだ見ぬ美しさを追求するバンド」と形容するほうが、彼らの音楽に対する紹介としては的確だろう。内面的な感性が結びついた音像と、思春期的な情景がたびたび描かれる歌詞の世界が、それを支える背骨になっている。


 今年3月に「時間と距離と僕らの旅」を、そして5月に新曲「大人になって」を配信リリースした彼ら。通じ合うアーティストを招いた自主企画ライブ『odol LIVE 2018 “O/g”』のシリーズの開催も始めた。バンドに対する注目度も高まりつつある今、彼らは何を見据えているのか。すべての作詞を手がけるミゾベリョウ(Vo/Gt)と、作曲を担当している森山公稀(Pf/Syn)の2人に話を聞いた。(柴 那典)


(関連:雨のパレード・福永浩平&山崎康介が明かす、サウンドの秘密「その曲を一番いい形にしたい」


■「生活の中の全体的な美学を共有している」(森山公稀)
――odolというバンドは、去年にリリースしたEP『視線』のタイミングで、それまでと大きく変わったと思っているんです。そこから「時間と距離と僕らの旅」、そして今回の「大人になって」と、どんどん覚醒しているような印象がある。二人としてはどうでしょう? 変わってきたという感覚はありますか?


森山公稀(以下、森山):ありますね。ただ、『視線』以降で大きく変わったのは確かだと思うんですけど、それだけじゃなく毎回曲を作るたびに、バンドや音楽に対する考え方が変わってると思うんです。なので、そのタイミングで何かがあって大きく変わったというよりは、毎日積み重なってる。どんどん変わっている最中だと思います。


ミゾベリョウ(以下、ミゾベ):森山が言ったようにずっと変わっているとは思うんですけど、僕個人としては、2ndアルバムの『YEARS』を作った後に音楽への向き合い方がどうしたらいいかわからなくなって。そこで『視線』を作りながら悩んで答えを見つけていったというのはあります。


――odolって“これをやる”というような決まりごとや、こういうジャンルの音楽をやろうという枠組みもないと思うんです。それは自覚してやってるんですよね。


ミゾベ:そうですね。


森山:意識してやってるというよりは、もとから音楽を作る上で、どこかのジャンルやシーンに根付いて育ってないので。それによって何でもできるなというのもあれば、逆に損してるというのもあるんですけど。


――損をしてる?


森山:わかりにくいというか、普通にやっていたら説明しにくいバンドになってしまってるっていう。でも、無理してジャンルやシーンに根付いている風のやり方をやっても、それは本当ではないので。正直にやりたいことをやっていくっていうのを続けてる感じです。


――ミゾベさんはodolの音楽の自由度の高さについて、どんな風に捉えていますか?


ミゾベ:森山が最初にデモとして持ってくることが多いんですけど、僕も含めてメンバー全員がそれに「いいね」となるところから曲作りが始まっていくんです。自然とそうなるものって、今までやったことないこと、自分が見たことや聴いたことのない音楽が多いので。それに対して、たとえばこういうビートを乗っけたら他の人がやってないとか、こういうフレーズだったら聴いたことなくて面白いんじゃないかとか、そういう新しいことを探す作業で作っていくんです。「ジャンルにおさまらない」とよく言ってもらえるのは、そういう作り方だからなんだろうなって思います。


――ただ、ジャンルとか音楽性で括れないとはいえ、odolは「なんでもやる」というバンドではないと思うんです。だから、逆に「こういうことはやらない」というところにodolの美学があらわれているんじゃないかとも思っていて。そういうところって、みなさんとしてはどう捉えています?


森山:そういう美学の部分に関しては、音楽自体で「これはナシ」みたいなことを、あえて言葉で共有することは少ないです。どちらかというと生活というか、普通の会話の中で無意識のうちに共有されている感じですね。メンバーとも4年、ミゾベとはもう10年くらい一緒にいるので。生活の中の全体的な美学を共有していることで、バンドとしてまとまっていられるのかなって思います。同じシーンとかジャンルに属していなくても。


――“どう暮らしているか”とか、もっと広くて大きな価値観なんですね。


森山:そうですね。3年間活動してきて、インタビューで話したりするうちに“そういうことなのかな”って思ってきたところもあって。全体的な美学みたいなところを共有しようと頑張ったわけではないんですけど、そこが大事だったのかなって振り返って思います。


――僕が勝手にodolがやっていないことをキーワードで挙げるとするならば、“おふざけ”と“オラつき”かなって思うんです。“おふざけ”というのは、音楽で遊んだりユーモアのあることをやったりする感性。たとえば桑田佳祐さんや植木等さんとかがそうで。“オラつき”というのは、変な言い方ですけど、ライブのMCで「かかってこい!」って叫ぶような感性。odolはそういうことを言わなそうなイメージがあるんです。


森山:かかってこられたら負けますからね(笑)。でも、“おふざけ”に関しては思うところがあって。おふざけができるバンドは基本的に大好きなんですよ。YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)だってお笑いと親密じゃないですか。


■「表現のアウトプットが固まってきてる」(ミゾベリョウ)
ーーたしかに。スネークマンショーとかそうですもんね。


森山:そういうことをセンスの中でノリでやっちゃうことが、笑いの条件だと思うんですけど、現状だと僕たちは考えすぎちゃうところがある。だから今はやってないんです。面白くならないから。でも、やってみたいと思ってます。そういうことをやれるバンドのほうが好きなんで。


ミゾベ:面白いことはやりたいですね。ちょうど3、4日前のレコーディングのときに、そういう話を森山にしたんですよ。


――というと?


ミゾベ:この秋にアルバムを出す予定なんですけど、そこで面白いこともやりたいなって思っていて。実際、リハーサルのときとか、メンバーでいろいろふざけてるんですよ。堅いことや真面目なことをやっていても、面白い要素を入れることによってフランクに音楽として楽しんで聴いてもらえるんじゃないかなって話をしたんです。だからすごくタイムリーな質問で嬉しいです。


――今後の可能性はあるってことですね。


森山:そうですね。“オラつき”の可能性は低いんですけど、“おふざけ”は可能性が高いというか、本当はやりたいと思っていて。マインドが整えばそれ次第でやる感じですかね。


――“オラつき”はなさそう、と。


ミゾベ:まあ、僕ら、あんまり日常生活のなかで「かかってこいや!」って思うことがないんで(笑)。


森山:怖いしね。


――はははは(笑)。でも、今「マインドが整えば」って言ってましたが、その実感があるんじゃないかと思うんです。というのも、「時間と距離と僕らの旅」や「大人になって」という新曲を聴くと、サウンドとかスタイルじゃないところで“odolらしさ”というものが固まり始めている感じがあって。このへんはどう捉えていますか?


ミゾベ:音楽に向かう姿勢や向き合い方に関しては、周りの環境を含めて少しずつですが固まってきた感じはありますね。音楽自体に関しても新しいチャレンジは増えているんですけど、こういうのはいい、こういうのはないよねっていうのが見えてきていて。それにメンバーが向かっていく感じはあります。個人的に歌詞を作ることに関しても、やりたいことは増えていってるけど、表現のアウトプットが固まってきてるようなところはあります。


森山:サウンドじゃない部分での安定みたいなものは、言われてみれば前よりはちょっと見えてきたのかなって思うんですけど。でも、odolってどういうバンドなんだろうということは未だに悩むし、曲を作る速度も変わらないし、あまりわかってきたという感じはなくて。ただ、具体的に次の一手として何をやればいいかは、より明確に見えるようになってきたと思います。こういうときにどう考えればいいか、細かいことがいろいろ経験として溜まってきて、できることも増えてきたし。だから、僕自身は、あまり実感していなかったので、そう見ていただいてるのは嬉しいですね。


ミゾベ:思い返してみると1stアルバムの『odol』や2ndアルバムの『YEARS』を作ったときは、何もわかってなかったような気がします。もちろん、それゆえの表現もあるんですが。だからといって今、“これが僕らの方法だ”っていうのを決めてしまっているわけではなく、よりよい方法をずっと探っていくしかないんだなっていう感じです。


――では、そういうバンドの現状を踏まえて新曲の「大人になって」について聞ければと思います。まず、4つ打ちのビートで縦が揃ったアンサンブルの曲になっている。これはどういうところからできていったんでしょう?


森山:いつもどおり僕がデモを作ってみんなに聴いてもらったんですけど、そのときはライブについて悩んでた時期で。クラブに行ったりいろんなライブを観たりしていて、4つ打ちをodolでやったことはないけどやってみるかと思ったんです。やっぱり4つ打ちって象徴的じゃないですか。踊るためにあるビートというか。でも、これをodolらしく聴かせるにはどうしようって思って試してる中で、全員で4つ打ちをするの気持ち良いなって。そこに8分音符や16分音符のズレをいれたり、歌の裏にロックなギターソロを入れたりして、“これならいけるな”と思って完成させていった流れですね。


ミゾベ:この曲と「時間と距離と僕らの旅」は、『視線』を作った後に同時期にレコーディングしたんですが、『視線』が閉塞的な感じだったのに対して、開けてるイメージです。自分たちの気持ちとしても開けてきていたので、それを表す象徴的な曲だなっていう印象がありました。


――「大人になって」という曲名と歌詞は、少年期の自分と今の自分を対比させるというのがモチーフですよね。それはどういうところから出てきたんでしょうか?


ミゾベ:普段生活をしている中で、常日頃から思っていることを素直に歌詞にしようと思って、歌詞を書き始めてある程度できてきた段階で、みんながいるスタジオに持っていったんです。そうしたら、他のメンバーもたまたまそれにほぼほぼ近い話をしていて。じゃあもうこれを歌にするしかないなと思いました。


森山:ちょうどライブの話をしていた時期だったので。ライブに関しても、言い方は悪いですが、ノリで踊らせるみたいにはできない自分たちがいて。そういう自分たちを象徴するような歌詞だと思ったんですよね。そこが『Overthinking and great Ideas(O/g)』というライブのシリーズのタイトルを考えたときの話とも合致していて。考えすぎること、大人ぶってしまうこと、子供的なものへの憧れ、そういうものがメンバー的にもマッチしてたところなんですよね。


――“Overthinking”という言葉はすごく象徴的ですよね。“Don’t think, feel”ではない。立ち止まって考えて、そのことによって突破していく。そういうところをちゃんと守りつつ、肉体的な気持ちよさを得ている曲という感じがします。


森山:嬉しいです。


――odolってバンドは、自分たちの音楽がポップスであるという意識は強いですか?


森山:そうですね。ポップス、ポピュラーミュージック。広く聴かれることを目的とする。その中でいろいろやる、ということが前提としてはあるという感じですね。


■「一人ひとりのものになる音楽」(ミゾベリョウ)
――前にThe Cureのロバート・スミスが「たとえ何万人いても君らは一人なんだ」みたいなことを言っていて。ART-SCHOOLの木下理樹がその言葉にすごく共感したという話をしていたんですよ。つまり一体感を目指して、みんなのものになるというポップスはあるけれど、それとは別に、一人は徹底的に一人である、だからこそ繋がりあえるというポップスもある。odolは後者を追求しているように思うんです。そういう話を聞いてピンとくる感じってあります?


森山:かなりあります。「GREEN」という曲を作って、その概念に辿り着いたような感じがあって。究極に普遍的なものは個人的、主観的なものでしかないという、一つのあり方として見つけたというか。哲学の話じゃないですけど、結局主観でしか世界は語れなくて、だから何かをみんなで共有するのは本当の意味では無理で。でも、共有することができないという主観はみんなに共通しているはずっていう。そういう話を『視線』の時期にしてたんです。


ミゾベ:メンバーもそうだし、僕と森山でもそういうことを深く話してたので。もともと音楽を始めたときから、ライブ会場でみんなと一体となって楽しむとか、運動会を学年みんなで盛り上げるぜ、みたいな感じじゃなかったので。みんなのものというよりは、一人ひとりのものになる音楽。そういう音楽のあり方が、自分にとってピュアなので。何も意識しなくても、そっちの方向に行くんだと思います。


森山:そういうポップスのあり方を僕らが共通認識として言葉で持ってると、いろんなことが上手くいきそうな気がします。ポップスを一人ひとりのものとして捉えている人たちが集まっているバンドだと思うので。


――先ほど言った「Overthinking and great Ideas(O/g)」という対バンツアーの話も聞ければと思います。これはどういう意図や狙いなんでしょうか。


森山:このタイトルは、さっきも話したんですが、僕たち主催のodolらしいイベントを作っていきたいよねっていう話があって。でも“odolらしい”ってなんだろうみたいなことを2週間くらいずっと考えちゃって。全然いいイベントタイトルが浮かばず、せっかくメンバーも揃ってるのにずっとカフェにいるみたいな時間があって。そういう時間自体がodolだとよくあるし、しかもその時間を大切にしているということに気付いたんですよ。それに対して、ライブっていうのは思考じゃない形で回答が得られるような場所だなと思っていて。ある意味では自分たちのためのイベントだし、お客さんにとってもそういう場になればいいなっていう。


ミゾベ:それで、音楽や音楽に向かうスタンスで、僕らがシンパシーを感じるような、出てほしいなって思っていた人たちに声をかけたんです。そうしたら、みなさん「いいですよ」って出演して頂けることになりました。


――ちなみに、最近インスピレーションを受けた、よかったなと思う音楽ってどのあたりですか?


森山:ごく最近で言ったら、小袋成彬さんの『分離派の夏』。メンバーの(Shaikh)Sofian(Ba)が宇多田ヒカルさんが好きで「マジでヤバい」って言っていて。確かにそうだなって思います。あとはもう少し前で言うと、全員に共通していそうなものだと、アウスゲイルはけっこう聴いています。


――秋のアルバム発売に向けて曲を作っているという話もありましたけど、1曲1曲、実験性の高い曲が今まさに沢山できつつあるという感じなんでしょうか。


森山:そうですね。実際にそういう曲もできてきているし、新しいことをやりたいっていうのはずっと変わらないので、いろんなことを試しながら作っていってるって感じですね。


――先ほどマネージャーさんに、デモ段階の曲を少し聴かせてもらったんですけど、マーチングバンドの感じが入っていたりと、かなり新しいサウンドになりそうですね。


森山:あれは雄大な感じがあって、いい曲になるんじゃないかなって思ってます。あの曲も普通にメロディとコードができて、そこからデモを一度完成させたんですけど、なんか違うなって思っていて。でも、大サビの部分はすごく輝いてるから、そこを活かしたい、っていうメンバーの気持ちもあって作りました。フラットな状態というか、かなり正直に作れた曲なんじゃないかなって思ってます。1stアルバムに「生活」っていう曲があって。「生活」はいまだにライブで演奏するし、代表曲の一つだと思ってるんですが、あれもフラットな状態で作ったんですよ。あのときのテーマは“名曲を作ろう”っていう話で。フジロックのROOKIE A GO-GOに出ることが決まって、そこで演奏する曲を作ろう、という。そういう感じがまたある。名曲になる予感がしてます。


(取材・文=柴 那典/写真=下屋敷和文)