2018年05月30日 10:52 弁護士ドットコム
熊本市は5月28日、親が育てられない子どもを匿名で受け入れる同市内の慈恵病院の「こうのとりのゆりかご」(赤ちゃんポスト)の2017年度の運用について、「預けられた子どもは7人で、男の子が5人、女の子が2人。過去最少だった前年度に比べて2人増えた」と発表した。親の居住地は、熊本県以外の九州が2人、近畿と中部が各1人。不明が3人だった。
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翌29日、慈恵病院は予期せぬ妊娠で危険な孤立出産を防ぐために、妊婦が匿名で出産できる「内密出産」の導入に向け、「国に法整備と法解釈の見解を求めたい」と会見を開いた。
慈恵病院の蓮田健副院長は「しばらく時間がかかるかもしれないが、母子を安全に導くためにぜひとも実現したい」と話している。慈恵病院が導入を目指している「内密出産」とは、どういう制度なのだろうか。(ルポライター・樋田敦子)
5月7日、慈恵病院は導入を目指している「内密出産の制度の素案」を熊本市に提出した。
その制度案は、(1)妊婦の母親は仮名で、慈恵病院が妊娠中から相談を受ける(2)病院は熊本市に母親の仮名と子どもの名前の候補を届け出る(3)母親は病院の仲介で児童相談所と面談。児相は、母親の実名、住所など、子どもの出自につながる情報を管理する、といったものだ。
出産すると熊本市が子どもの単独戸籍を作成し、子どもの名前を児童相談所に通知。児相は特別養子縁組のあっせんをし、子どもは養親へ託される。養親は出産の費用を負担する。そして子どもが18歳を過ぎれば、母親の情報が閲覧可能になる。母親が閲覧を希望しない場合は、家庭裁判所に判断を委ねる、というものだ。
内密出産でネックになるのは、匿名の母から生まれた子どもが無戸籍になること。同院の蓮田健副院長は、5月18日、熊本地方法務局を訪ねて、法的な問題を協議した。
その際、法務局の担当者は、「内密出産の子どもは病院で出産しており、棄児(捨て子)とは異なるため、母親の名前の記載がない場合でも、無戸籍になることはない、現行の戸籍法で対応が可能」という見解を示した。
蓮田副院長は「導入に向けて大きく前進した。試案を提出した熊本市役所の受け入れ次第。しばらく時間がかかるかもしれないが、母子を安全に導くためにぜひとも実現したい」と話している。
(写真:ドイツの妊娠葛藤相談所、ロング朋子さん提供)
内密出産とはどんな制度なのか。赤ちゃんポストやドイツの出産制度について詳しい、千葉経済大学短期大学部准教授の柏木恭典さんが説明する。
「内密出産の前の段階に『匿名出産』があります。匿名出産は文字通り、女性の名前や個人情報を聞かずに安全に出産してもらうことを目指しており、ドイツでは、これまで約700人が匿名で出産しています。しかし匿名出産で預けられた子どもの『出自を知る権利』が問題視されるようになり、そこで出てきたのが内密出産制度でした」
匿名出産制度によって、母親は身元を明らかにせず出産するので、匿名性は守られるが、一方、子どもは自らの出自を知る権利がある。どちらを優先するべきかの議論が高まり、2014年に「内密出産法」が制定された。
その内容は、誕生した子どもが満15歳を迎えるまで、母親の身元を内密にでき、16歳になった時点で、子どもには出自証明書を閲覧できる権利が与えられるというもの。
書いてあるのは、母の名前、住所、誕生日。子どもが閲覧することによって、産みの母親に何らかの不利益が生じると考えられるときは、母親は情報開示を差し止めることが可能だ。内密出産制度のもと、2017年までに350人の新生児が誕生している。
「これまでの実績では、開示に同意する母親が大半です。内密出産は母親が身元を明かさずに安全で安心できる場所で出産できる制度です。ただ、匿名出産も行っていない、赤ちゃんポストもグレーゾーンの日本で内密出産を行なおうとすると、誰が制度説明を行なうのか。出産前後の相談支援を誰が担うのか。またどこが母親の情報を管理するかなど、多くの問題が生じてきます。
日本でも導入する際には、ドイツのように法律を作って整備する必要があり、国の関与は不可欠です」(柏木さん)
慈恵病院が内密出産の実現を目指すのには理由がある。慈恵病院では妊娠・出産に関する悩み相談を24時間365日、電話で行なっているが、2017年度の相談が、前年比で879件増の7444件と、過去最多となった(ゆりかごの運用状況を検証する熊本市の専門部会発表)。
発表によれば、相談内容は「妊娠・避妊に関するもの」(4863件)が最多で、次に「思いがけない妊娠」(1101件)となっている。地域別では、県外からが5859件、県内からが245件。
しかし昨年5月に発表された熊本市専門部会の「ゆりかご第4期検証報告書」は、「長距離を移動してのゆりかごへの預け入れの危険性」を問題点として指摘している。
「ゆりかごの匿名性は、母子にとっても緊急避難として機能しているが、子どもの人権や養育環境から考えると本来受けるべきケアや援助から遮断されている」として「ドイツで施行された内密出産制度が我が国においても解決策になると考えられるので、国に制度化を働きかけるべきである」としている。
国に対しても「ゆりかごへの預け入れが10年来続いている現状を鑑みても、内密出産制度を早急に検討していただきたい」と要望した
(写真:ドイツの妊娠葛藤相談所内部の相談室、ロング朋子さん提供)
予期せぬ妊娠での妊婦相談や特別養子縁組の手伝いをしている、一般社団法人「ベアホープ」の代表理事・ロング朋子さんは、今年の初めにドイツの赤ちゃんポストや妊娠葛藤相談所を視察してきた。
ロングさんによれば、ドイツでは、予期せぬ妊娠をした妊婦は、妊娠葛藤相談所の相談員に匿名出産や内密出産したい旨を伝え、内密なら実名などの出自情報を明かす。その後、相談所は養子縁組などの選択肢を明示して、母親自身がどうするかを決めるのだという。
「イスラム教系移民の未婚女性が妊娠をすると、社会的な制裁で命をおとすことがあるそうです。危険な状況下で出産するためにも、内密出産が必要だということでした。日本の場合、社会的な制裁を受けるということはないにしろ、家族や学校の友人、職場の仲間など、近しい人に妊娠を知られたくないという傾向があります。
また、出生届を提出すれば、戸籍に載るので家族に出産を知られてしまう。知られたくないために危険な選択をする女性も少なくありません。福祉関係者が子どもの出生届を提出し、単独戸籍を取得する。そして遺言書などのように、弁護士が母親の身元を保管するようにすれば、今の日本でも危険な出産を避けるために必要な内密出産ができるようになればと思います」(ロングさん)
ロングさんは、内密出産制度の反対派でも賛成派でもなく、切羽詰まった女性たちを守るための「仕方なく容認派」だと話す。
相談を受けていると次のような危険なケースがまれではないからだ。妊娠35週近くまで、産科を未受診で出産間際になって病院に行った。しかし感染症などのリスクや、無保険で診療費が払えない可能性もあり、受け入れてくれる病院が見つからず、孤立出産や自宅出産に追い込まれる。
母子の命を守るためにも、他の制度整備と並行して「内密出産の制度を作るべき」と主張する。
前出の柏木さん(千葉経済大学短期大学部准教授)によると、ドイツでは内密出産法の施行と同時に、内密出産に関する情報を広く提供した。母子支援のポスターを駅や電車の中に貼り、女子トイレには相談カードを置いて、アピールしたという。またウェブサイトでは、自分の住んでいる地域を入力すると、最寄りの支援機関を一覧できるようにもした。
その結果、医師や看護師、児童福祉の専門家に繋がり、救われた命もあった。100%安全な場所で出産し、母親の名前は厳重に管理していく。そうした積み重ねと母子支援の施策があり、すべての女性が安心して産める社会が確立した。
「日本には、慈恵病院にしか赤ちゃんポストはありません。ここでは10年間で130人の命が救われ、預けた母親は罪に問われなかった。国が内密出産を真剣に考えるときに来ている」(柏木さん)
(弁護士ドットコムニュース)