5月20日に鈴鹿サーキットで行われた、スーパーGT第3戦鈴鹿でグッドスマイル 初音ミク AMGの谷口信輝が快走を見せた。快走というより怪走という方が相応しいのかもしれない。
と言うのも、スタートを担当した片岡龍也からマシンを受け取るも、グッドスマイル 初音ミク AMGはタイヤ無交換作戦を決行、片岡がいかにタイヤをいたわって走ったとしても、最終ラップまで良い状態を保てるわけもない。谷口に残された選択はただひとつ、くたびれたタイヤでひたすら抜かれないように走ることだけだった。
一般的にプロのドライバーになるには、カートからジュニアフォーミュラ等を経験しスーパーフォーミュラやGTにステップアップしていくものだが、谷口のレース歴は一風変わっている。
彼の名前を世に出したのは、ドリフト競技であるD1だ。カートやジュニアフォーミュラを経験することなく、GT300のトップドライバーで居続けることは極めて稀なことだ。
先日、片岡と移動中に谷口の話になったのだが、片岡がこう話していたのが印象的だった。
「子供の頃に、ミラーのないカートで接近戦をすることで車幅感覚が身につくんです。ところが谷口さんは30歳を過ぎてからレースを始めたので、その経験をしないままレーシングカーでバトルしているんです」
「しかも、谷口さんはほとんど他車にぶつけないんですよ。それに加えて強烈な負けず嫌いと、ハングリーさを兼ね備えたフルスペックですから、もしレーシングカートから始めていたら、とんでもないドライバーになっていたかもしれませんよ」と片岡。
その言葉のひとつの裏付けが、スーパーGT第3戦鈴鹿のバトルだろう。
片岡から受け取ったマシンを、谷口はタイヤ無交換で走らせ、10周以上ライバルを押さえ込んで見せた。後方から追いついて来た他車が4台数珠繋ぎになったことを考えれば、谷口のラップタイムが大幅に落ちていたのは明らかだ。
そんな状態でも谷口の負けず嫌いが炸裂。なんとか順位を落とさないように、持てるテクニックのすべてを総動員して走らせていたのだ。どんなドライバーでも、おいそれと抜き去ることはできなかっただろう。
結果としては、抑え切ることができず3番手から8番手に順位を落としたが、チームにとってベストリザルトだっただろう。何より、この日一番コース上で目立ち、誰よりも観衆を魅了したのは谷口だった。
僕も最後まで抑えきれないだろうとは思いながら、ワクワクして笑いながらシャッターを切っていた。谷口にとっては、決して楽しいレースではなかっただろう。でもその分、僕もおそらく観衆も楽しませてもらった。またひとつ印象に残るレースに立ち会うことができ、谷口に感謝している。
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折原弘之 1963年1月1日生まれ
1980年の東京写真専門学校中退後、鈴鹿8時間耐久レースの取材を皮切りに全日本ロードレース、モトクロスを撮影。83年からアメリカのスーパークロスを撮影し、現在のMotoGPの撮影を開始する。90年からMotoGPに加えF1の撮影を開始。現在はスーパーフォーミュラ、スーパーGTを中心に撮影している。