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映画『恋は雨上がりのように』はなぜ説得力がある? 小松菜奈や大泉洋による再現度を考察

2018年05月29日 15:02  リアルサウンド

リアルサウンド

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 17歳の女子高生が、冴えない45歳のおじさんに恋をする。その設定に、多少なりともマイナスなイメージを抱く人がいるかもしれない。だが、映画『恋は雨上がりのように』は、そのイメージからは大きく乖離した物語。鑑賞中に感じるのは軽やかな疾走感、そして鑑賞後に残るのは、未来への明るい希望である。


 原作は、“恋雨”として親しまれる眉月じゅんの同名マンガ。2014年から2016年に『月刊!スピリッツ』(小学館)、その後は2018年3月まで『週刊ビッグコミックスピリッツ』に隔週連載。さらに今年1月からは深夜アニメ枠「ノイタミナ」(フジテレビ系)でテレビアニメも放送された人気作だ。


ヒロイン演じる小松菜奈【写真】


 高校2年生の橘あきら(小松菜奈)は短距離走のエースであったが、アキレス腱断裂によって陸上の夢を諦めてしまう。そんな時、偶然入ったファミレス「ガーデン」で、店長・近藤正己(大泉洋)に優しく声をかけられる。この出会いをキッカケに「ガーデン」でアルバイトを始めたあきらは、バツイチ子持ちの冴えない45歳の近藤に恋心を抱いていくーー。


 なんといっても驚くのは、原作からの再現度の高さ。小松菜奈のクールで魅惑的な雰囲気がぴったりと合致する主人公を筆頭に、登場人物たちはコミックをそのままスクリーンに転写したかのよう。それもそのはず、永井聡監督は「漫画の映画化をやる時は、リメイクと思っているんです。ひとつの言葉をなくしただけでその漫画ではなくなってしまう危険性があるので、そこはシビアに演出させてもらいました」(『恋は雨上がりのように』プレスより)と実写化への信念を語っている。


 それに対して大泉も「ここまで原作通り、一言一句セリフをかえないで下さいと言われたのは初めて」(『恋は雨上がりのように』プレスより)というが、それらをまるでアドリブかのごとく繰り出す力量には感嘆するばかり。とりわけ大泉の学生時代からの役者仲間である戸次重幸(TEAM NACS)が演じる同級生・九条ちひろとの会話は、芝居であることを忘れさせるほどリアリティに溢れていた。


 当然ながら、“漫画”は自分のペースで読み進めるものであり、会話のやりとりのスピード感もひとそれぞれが自由に思い描くもの。それを実写化することは、ある種、ひとつの正解を示すことになる。ゆえに賛否が分かれるものだが、映画『恋は雨上がりのように』はキャラクターたちが持つ“勢い”や“間”、“空気感”が絶妙で、「なるほど、これが正解だったのだ」と、ストンと腑に落ちる説得力があった。


 さらに“恋雨”は、もともと青年コミック誌の連載マンガというともあり、少女マンガ的な展開がそれほど描かれていない。もちろん、あきらの17歳ならではの恋愛は眩しく輝いているが、そんな彼女が恋をする相手は、しがないファミレスの店長。少女マンガでフィーチャーされる年上男性といえば、大人の魅力や色気たっぷりのキャラクターが多い中、近藤は、本当にそこらへんにいそうな中年男性。飾るわけでも、色気があるわけでも、お金があるわけでもない。だが、だからこそ女子高生の純粋な思いが胸に響くのだ。


 そして近藤も、あきらから猛プッシュを受けるだけの存在ではない。あまりにエネルギッシュな少女に戸惑いながらも、45歳という人生の折り返し地点に立つ近藤が取り戻すのは、忘れかけていた“あの頃の自分”。数々の笑いとともに、ふんわりと芽生えるその感覚は、きっと幅広い年齢層の心をくすぐることだろう。


 原作とテレビアニメでエンディングが異なることが話題となった『恋は雨上がりのように』だが、映画の結末もまた、それとは異なる。ネタバレとなってしまうため詳細は控えるが、晴れ渡る空を見上げ、新しい風を思いっ切り吸い込みたい。そんな気持ちにさせてくれる、爽やかな良作だった。


(nakamura omame)