トム・ディルマン(UOMO SUNOCO TEAM LEMANS)は実質的なスーパーフォーミュラデビュー戦で14ポジションアップを果たした 5月27日にスポーツランドSUGOで行われた全日本スーパーフォーミュラ選手権第3戦の決勝レース。68周の戦いでは小林可夢偉(carrozzeria Team KCMG)と山本尚貴(TEAM MUGEN)による激闘が注目を集めたが、その影に隠れてデビュー戦で14ポジションアップの偉業を成し遂げたドライバーがいた。
チームのレギュラーであるピエトロ・フィッティパルディに代わり、第2戦オートポリスからUOMO SUNOCO TEAM LEMANSの7号車をドライブするトム・ディルマン。スーパーフォーミュラデビュー戦となった第2戦は決勝レースが荒天で中止となったため、実質的にはこのSUGO戦が初戦となった。
そのディルマンは26日に行われた公式予選Q1、1回目のアタックではトラフィックに捕まりタイムを出せず。仕切り直して臨んだ2度目のアタック中に電気系トラブルに見舞われて18番手止まり。オーバーテイクがしにくいスポーツランドSUGOでのデビュー戦を後方グリッドからスタートさせることになってしまう。
迎えた27日の決勝日、午前中に行われた30分のフリー走行に向けて、ディルマンは「マシンをひっくり返すほどの」大幅なセッティング変更を実施。これが功を奏した。
「日曜午前のフリー走行前に、本当にいろいろな変更を加えたんだ。そうしたらフィーリングがよくなった」とディルマン。
「それまではレースペースに苦しんでいたんだ。(フリー走行を終えて)レースペースに自信があったけど、ここはオーバーテイクが難しい。だから策を講じることにしたんだ。アンダーカットして、タイムを稼ごうと思ってね」
ミディアムタイヤを履き、18番手からスタートしたディルマンはオープニングラップで16番手に浮上したものの、2周目に17番手、3周目に18番手へ後退。そしてスタートから7周を終えたところでピットに向かい、タイヤ交換と給油を実施。ここから孤独な戦いが幕を開けた。
ソフトタイヤを履いたディルマンは平均して1分9秒台前半のラップペースで周回。千代勝正(B-Max Racing team)とジェームス・ロシター(VANTELIN TEAM TOM'S)のクラッシュによりセーフティカーが導入された時点で13番手までポジションを上げている。
レース再開後も、ディルマンは1分8秒後半から9秒前半のペースで周回したほか、コース幅が狭くオーバーテイクが難しいSUGOで追い抜きをみせてポジションをアップ。61周目に暫定トップにつけていた石浦宏明(JMS P.MU/CERUMO・INGING)がピットに向かうと4番手に浮上して、そのままチェッカーを受けた。
■ディルマン、チームの復調を喜ぶ。「実力が発揮されてきた証」
61周をソフトタイヤで走りきったディルマンは「(2016年に参戦した)ルノーV8(3.5シリーズ)でもレースを走り切るにはタイヤマネジメントが重要だったから、そのやり方は知っていた」とふり返る。
「しっかりマネジメントしていたから問題はなかった。ただ、いずれにせよ表彰台には届かなかったと思う。レース序盤の2周でタイムを大きくロスしてしまったからね」
「それでも18番手スタートから4位フィニッシュは素晴らしい結果だ。これ以上は望めないリザルトだと思うよ」
ディルマンは、タイヤ2スペック制初導入でタイヤに関するデータが充分ではない状況のなか、SUGOでのスーパーフォーミュラ初レースでしっかりとタイヤをマネジメントし、18番手から表彰台目前にまでポジションを上げ、その実力をみせつけた。
ただ、当の本人は「今朝マシンの印象が良くなったことをうれしく思ったよ。チームの実力が発揮されてきた証だからね」と自らの走りよりもチームの復調を喜んだ。
「今年、チームはここまで苦戦を強いられている。チームとしての流れが良くないときに合流したから、個人的にもフラストレーションを感じているんだ」
「つねに後方での戦いを強いられていて、『あいつは思ったより速くないんじゃないか』と思われてしまうんじゃないかとね」
「レースを楽しめたから、また機会があれば喜んで引き受けたい」
フィッティパルディの代役として第2~3戦までの起用がアナウンスされたディルマンだが、フィッティパルディはWEC第1戦スパでクラッシュして足を骨折。現在はリハビリを続けているが復帰時期の目処は立っていない。
7月の第4戦富士スピードウェイでもステアリングを握ることになれば、スーパーフォーミュラ“2戦目”のディルマンはレースを大きくかき回す台風の目になるかもしれない。