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10年以上を経て完成したSFファンタジー『ユートピア』 時間をかけるにふさわしいテーマとは?

2018年05月26日 10:02  リアルサウンド

リアルサウンド

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 東京・下北沢にある映画館「トリウッド」で公開中の、SFファンタジー映画『ユートピア』は、その内容と同時に、制作の経緯も特異すぎる作品だ。


参考:『四月の永い夢』朝倉あき×中川龍太郎監督が語る、同世代としての共感 「離れていることが美しい」


 まだ高校生のときに同級生らと一緒に、薬物やいじめ、自殺や難病などの深刻な問題に挑戦した青春映画『虹色★ロケット』(2007年)を撮りあげた伊藤峻太監督。トリウッド代表を務め、また新海誠監督ら複数の才能を発掘したプロデューサーでもある大槻貴宏の誘いによって、彼はトリウッドで上映する作品を作り始める。すでに大学生となって、はなればなれになった仲間たちは再結集し、映画づくりがふたたびスタートした。


 しかし、前作の完成度に不満を感じ、納得いく作品を作り上げようとしていた伊藤峻太監督は、シナリオをなかなか完成させられないでいた。結局、設定・シナリオに7年の歳月をかけることになってしまい、その間、映画づくりの仲間たちは大学を卒業し、就職や結婚、出産などを経て、数名を残して散り散りになったという。


 ここではそんな、10年以上の長い長い産みの苦しみを経て完成した本作『ユートピア』を紹介し、内容を掘り起こすことによって、作品づくりの厳しさや、難解な本作の全体像をつかんでいきたい。


■おそろしい創作の地獄


 それにしても、なぜ10年もかかってしまったのか…。それは創作者としての、監督の“業(ごう)”という他ないだろう。自身が納得できるものでなければ、世に作品を出したくない。その想いから、いつまでも完成させられないタイプの表現者は、その実体が面に出にくいだけで、世の中にかなりの数存在する。そしてそのほとんどが、人々に認知されないまま消えてゆく。


 本作については、SFファンタジーという題材の難しさもあるだろうが、作品の準備に時間をかければかけるほど、それを中途半端なかたちで発表できなくなってしまうというジレンマが発生していたように感じられる。そうやって編まれていった、およそ一本の映画では消化しきれない、膨大で複雑な設定は、作中で使われるオリジナル言語「ユートピア語」を生み出すまでに至っていた。そういうあれこれを延々と作成していた伊藤峻太監督の日々は、まさに蟻地獄のような“創作地獄”にはまり込んでいた状況だったのではと推察される。


 一方で、創造の翼を広げて設定を考えているうちが、創作活動のなかで最も楽しい作業であることも理解できる。そんな夢の世界から抜け出し、具体的に完成に向けて動きだせば、作品の完成まで妥協の連続を強いられてしまうのである。それまでに際限なく時間をかけて、隠者のように内容を練り上げ続けることができるというのは、自主制作の利点のひとつではある。


 そんな制作姿勢は、個人作業の多いアート・アニメーションの世界では珍しくない。マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット監督は、『レッドタートル ある島の物語』完成までに、やはり10年の歳月を費やした。巨匠ユーリ・ノルシュテイン監督の『外套』に至っては、1980年から現在まで幾度もの中断を経て、いまだに完成していない。実写作品としては、フランシス・フォード・コッポラ監督の『地獄の黙示録』のように、巨額の制作費をかけた撮影がなかなか終わらず、作品自体が狂気を宿したものになった例もある。しかし、それらの監督は皆、事前に伝説的な作品を作り上げ、功成り名を遂げた作家たちである。このように、常識を外れた作品づくりへの献身というのは、映像作家として自分の限界を超え新たな領域へと踏み出すためのものだ。高校を卒業したばかりで、そんな領域に飛び込もうとするのは無謀だといえるし、制作の間に何の評価も得られなかったというのは、まだ実績の少ない映像作家としては、社会的に幸せな状況であったとは言い難い。


 さて、それほどの熱量をかけて構築した設定とは何だったのだろうか。104分の尺しか持たない本作は、その設定の多くを暗示するだけにとどめている。そのことで、本作の物語はかなり難解なものになっているのも確かだ。ここからは作品を理解するために、現在発表されている監督のインタビューを基に、設定を整理していきたい。


※あくまで映画のなかの描写のみで設定を読み取りたい読者は、以下の「『ユートピア』を理解するための設定」部分を読み飛ばしてもらいたい。


■『ユートピア』を理解するための設定


 数万年前、ある島に高度な文明を持つ理想郷「ユートピア」があった。そのうち大陸では火が発見され、大きな戦争が起こり、超能力を操るユートピア「枢密院」は、その被害を避けるため、空間ごと他の時空へと移動する術「空間鎖国」を施す。


 新しい時空にやってきたユートピア人たちは寒さに悩まされる。そんな環境下で作物を育てるためには、大地を暖める必要があり、そこで忌むべき存在である火を使い始めることになる。一般のユートピアの民に気づかれないように、地球から奴隷を連れてきて、地下で火を焚かせることにしたのだ。


 大昔の人間たちは、ユートピア人を神様のように見ていたので、子どもを差し出せという彼らの要求に従うしかなかった。だが、連れていかれた子供のことが心配で、見守りたいという気持ちから、寝ている間にユートピア国を見るという能力を開発。それが、人が「夢」を見るということの始まりであり、現在の人々が夢を見るというのは、その名残(なごり)なのだという。


 イングランドの思想家トマス・モアが500年前に書いた書籍『ユートピア』によると、文明が発達しきった理想郷では、発展の必要がないため、時間が止まったようになるという。本作のユートピアも、発展が止まった状態にあったが、その間地球では文明が進み、ユートピア人に子どもを渡す契約の存在自体が忘れ去られていた。そこでユートピア人が作り出した「笛吹き師」が、笛を吹いて子どもを連れ去るという事件を起こす。それが「ハーメルンの笛吹き」の物語として、現代に伝承されることになったというのだ。


■欺瞞に満ちたユートピアが表すものとは


 以上の内容は、あくまでも本作の物語の裏側にあるストーリーだ。観客はそんなユートピアに住んでいた民や、笛吹き師たちをめぐる、現代の東京を舞台にした人間ドラマを鑑賞することになる。


 舞台は、太陽嵐と同様の未曽有の災害によって、電気や水などのライフラインが途絶し、経済活動が止まり文化的生活が送れなくなってしまった東京。そんな静止した街で、ユートピアで疎まれた存在の少女・ベア(ミキ・クラーク)と、現実世界を「壊れちゃえ」と思って暮らしていた少女・まみ(松永祐佳)が出会う。


 同時に東京で発生していたのが、笛吹き師「マグス」による子どもの行方不明事件だった。災害による影響のなか、いくつもの謎と、ユートピアの陰謀を、ベアとまみは解き明かしていく。


 差別や格差、争いがないとされる、隔絶した島「理想郷(ユートピア)」。しかし実際には、そこには多くの欺瞞が隠されていた。ここで描かれているユートピアには、いくつもの深刻な問題がありながら、それを隠して平穏な日常を装おうとする「日本」の社会が重ねられているように感じられる。実際には破綻しているシステムを、一部の人々が犠牲になることによって、かろうじて支えている。様々なトラブルが発生したときに、その欺瞞は露呈されるのだ。


 インフラが滞った街という本作の世界観は、制作の間に起こった東日本大震災を想起させる。そして、災害にともなって起こった原発事故によって、いままでの生活が危ういバランスのもとに成り立っていたことを我々が知ったように、本作は欺瞞に満ちた世界のなかで生きているということを、あらためて実感させるように作られている。そして目に優しく耳触りの良い嘘ではなく、真実を見つめることで現実を立て直していこうというメッセージを発している。その力強いテーマは、10年以上の時間をかけるにふさわしいものだと感じられた。(小野寺系)