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Mr.Children、膨大なカタログ楽曲から浮かぶ様々な側面 サブスク解禁を機に紐解く

2018年05月25日 11:02  リアルサウンド

リアルサウンド

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 5月10日をもって主要なストリーミングサービス(以下サブスク)での音源配信を解禁したMr.Children(以下ミスチル)。彼らが「国民的バンド」という称号が似合うアーティストのひとつであることには疑いの余地もなく、おそらく日本に住む人のかなりの割合がこのバンドの名前を一度は聞いたことがあるはずである。


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 一方で、彼らはその大衆的な存在感と26年にも及ぶ活動(メジャーデビュー~現在まで)によって蓄積された膨大なカタログゆえに、「名前は知っているけどその音楽の内実についてはそこまで知らない」「流行りもののJポップだしわざわざ遡って聴く気にはならない」というような視線に晒されてきた存在のようにも思える。


 そこで、本稿では「ミスチル楽曲のサブスク解禁」というイベントをより楽しむために、「こんな切り口で、この作品を聴いたらどうか」というレコメンデーションをリスナー目線でまとめた。実はこれまであまりミスチルに触れてこなかった、という方にとってもこのバンドの様々な側面が伝われば幸いである。名前を挙げた作品が気になったら、ぜひお手元のスマートフォンからアクセスしていただきたい。


■「ミスチル現象」を追体験する


 1993年11月リリースの「CROSS ROAD」が長々とヒットチャートに居座り、続くシングル「innocent world」(1994年6月)、アルバム『Atomic Heart』(1994年9月)が大ヒット。このプロセスを経て、ミスチルは日本のトップバンドとなった。また、このブレイクに合わせて旧譜のリバイバルヒットも起こるなど、まさに一挙手一投足が注目される存在となった。


 出す曲出す曲大ヒットとなった当時の状況に対して、メディアには「ミスチル現象」という言葉が踊った。上記「CROSS ROAD」「innocent world」『Atomic Heart』、1992年のリリースながらこのタイミングでミリオンセラーにまで売上を伸ばした『Kind of Love』、『Atomic Heart』と並行して売れまくったシングル「Tomorrow never knows」「everybody goes -秩序のない現代にドロップキック-」(1994年11月、12月)、翌年のシングル「【es】 ~Theme of es~」「シーソーゲーム ~勇敢な恋の歌~」(1995年5月、8月)という順に聴くことで、当時の雰囲気を少しでも追体験できるのではないだろうか。


■「迷えるミスチル」を追体験する


 ブレイク以降のミスチルは、人気者として振る舞う一方で「自分たちの音楽がヒット曲として消費される虚無」と正面から向き合っていくことになる。そんなモードがダイレクトに反映されているのが、前述した「ミスチル現象」期のシングルを収録しない形で制作された『深海』(1996年6月)。ダークなトーンで統一されたコンセプトアルバムは、当時の世の中に衝撃を与えた。


 大ヒットシングル群と「ALIVE」のような陰鬱な楽曲が同居する歪な構成の『BOLERO』(1997年3月)や、ノンプロモーションで唐突に発表された『SENSE』(2010年12月)などからも、彼らが「大人気ポップバンド」という立ち位置の中で抱えていた葛藤に触れることができる。


■日本の「スタジアム・ポップ」を体感する


 2016年にはバンドとして初めてのホールツアーを実施したミスチルだが、やはりこのバンドのトレードマークはスタジアムでのライブ。老若男女を飲み込んだ会場が声を合わせて熱狂する光景は、彼らにしか作れないものと言って差し支えないはずである。


 朗々としたメロディとホーンや鍵盤を取り入れた派手なアレンジが勢い良く響き渡るタイプの彼らの楽曲は、そんなライブの雰囲気を想像するのにぴったりである。「箒星」(2006年7月)、「エソラ」(2008年12月、『SUPERMARKET FANTASY』収録)、「fanfare」(2009年12月)、「Marshmallow day」(2012年11月、『[(an imitation) blood orange]』収録)といったあたりを、花道を全力疾走する桜井和寿を思い浮かべつつ聴いていただきたい。


■「TVドラマを彩るBGM」を堪能する


 2017年にも「コード・ブルー‐ドクターヘリ緊急救命‐THE THIRD SEASON」の主題歌として「HANABI」(2008年9月)がリバイバルヒットしたが、テレビドラマとこのバンドの関係は切っても切れないものである。


 ブレイクを果たした「CROSS ROAD」に始まり、「Tomorrow never knows」や「名もなき詩」(1996年2月)、「しるし」(2006年11月)など彼らの複数のヒット曲がドラマ主題歌だが、特に代表的なものとして挙げられるのが「オレンジデイズ」の主題歌に起用された「Sign」(2004年5月)だろう。耳が聴こえないヒロインと手話でやり取りをする主人公に寄り添った歌詞を優しく歌い上げるこの曲で、ミスチルはバンドとして「innocent world」以来2度目となる日本レコード大賞を受賞した。


■「人生訓を歌うバンド」としてのミスチルを知る


〈高ければ高い壁の方が 登った時気持ちいいもんな〉(「終わりなき旅」1998年10月)
〈長く助走をとった方がより遠くに 飛べるって聞いた〉(「星になれたら」1992年12月、『Kind of Love』収録)


 おそらくこれらのラインはあらゆる場所であらゆる人の「座右の銘」として何度も掲げられているはずである。こういった「人生訓」を含んだ歌詞こそこのバンドがモンスター的に大きな存在になった理由のひとつでもある(そして「アンチミスチル」を生む原因にもなっていると感じる)。


 前述した2曲以外にも、〈人生はいつもQ&Aだ 永遠に続いてく禅問答〉(「I’LL BE」)、〈僕のした単純作業が この世界を回り回ってまだ出会ったこともない人の笑い声を作ってゆく〉(「彩り」)など、生きていくうえでの意識の持ち方について歌う楽曲が複数存在する。


■「社会を撃つバンド」としてのミスチルを知る


 歌詞に関しては、「社会の欺瞞」について積極的に言葉を紡ごうとする姿勢も見逃せない。政治への言及や風刺精神を前面に押し出すことが今以上に少なかった印象のある90年代において、たとえばアメリカの庇護の下で平和を享受する日本について歌うようなスタンス(「傘の下の君に告ぐ」1997年3月、『BOLERO』収録)は異色だった。「日本で一番売れているバンド」がそういったアプローチをとっていたことは、ここ数年で改めて目立ちつつある社会問題にコミットするミュージシャンに、程度の差はあれ影響を与えているのではないだろうか。


 他にもイラク戦争と国内での子供が巻き込まれた事件に触発されて生まれた「タガタメ」(2003年9月からラジオ限定でオンエアされた後に2004年4月『シフクノオト』に収録)などがあるが、一方で「フラジャイル」(1995年8月、「シーソーゲーム ~勇敢な恋の歌~」のカップリングとして収録)や「LOVEはじめました」(2002年5月、『IT’S A WONDERFUL WORLD』収録)のように、短絡的な社会正義を相対化するようなスタンスの楽曲があるのも指摘しておきたい。


■「良質なポップバンド」としてミスチルを捉えなおす


 今でさえ日本のポップスのど真ん中にいる存在として語られるミスチルだが、デビュー当初は「渋谷系」の文脈に位置づけられることもあるような「メインストリームとはひと味違うエッジーなバンド」だったことも忘れてはならない。ブレイク前の彼らの作品には、ギターポップテイストの「Mr. Shining Moon」(1992年5月、『EVERYTHING』収録)や「グッバイ・マイ・グルーミーデイズ」(1992年12月、『Kind of Love』収録)、ファンク調の「and I close to you」(1993年9月、『Versus』収録)など、昨今のインディーシーンから飛び出したバンド群ともリンクするような楽曲が多数収録されている。


■「最新モードのミスチル」に触れる


 セルフプロデュースへの移行やマネジメント体制の変更など、バンドとしての自由度が増している最近のミスチル。素朴な中に切ない雰囲気が感じられる「ヒカリノアトリエ」(2017年1月)やスケールの大きなロックソング「himawari」(2017年7月)などからは、バンドとしての大枠の音楽性は担保しつつ、90年代に彼らがシーンに飛び出してきたときに近い瑞々しさが強く感じられる。この先どんなアウトプットを見せてくれるのか、非常に楽しみである。


 ここで挙げた切り口と作品はあくまでもいちミスチルファンによる恣意的なチョイスであり、おそらく濃いリスナーの数だけこういった「おすすめ」が存在するはずである。本稿を起点として、各人の「ミスチル論」を展開していただけるのであれば、書き手としては望外の喜びである。


 楽曲がサブスクに解禁されたことで、ミスチルにまつわる議論をSNSなどで展開するハードルは間違いなく下がった。ここ20年ほどの日本のポップスのひとつの基準点とでも言うべきこのバンドの楽曲に改めて触れる人が増えることで、Jポップという文化に関する理解がより深まることを願う。(レジー)