フリーランスとサラリーマン、どちらが正しいなんてことはない。だが、自分の生き方を肯定したくて他人を否定する人もいる。はてな匿名ダイアリーに5月上旬、「会社を退職し、フリーランスになると宣言した友人を論破した話」という投稿があった。
友人と飲み屋で会って退職の理由を聞くと、会社で嫌なことがあったとか、不満があったとかではなかった。動機は「むしろ良すぎで自分がダメになりそう、社内政治や雑事に時間や労力を割くことなく、フリーランスになって自分のリソースを100%使いたい」というものだったが、投稿者はこれに納得せず、
「今の時代、個人でできることはほとんどなく、すごいものは企業から生まれる」
と持論を展開した。(文:okei)
「彼の顔は青ざめていた。頭がいいので、僕の言うことに納得したのだろう」
投稿者の考えは、「企業で煩わしいアレコレを突破したものだけが、企業の集合知とリソースをフル活用してすごいものを生み出せる」というものだ。iPhoneや自動運転など、ここ10年で世の中にインパクトを与えたものは「全部企業が作っており、この中にフリーランスが生み出したものはない」と友人を諭す。
フリーランスやノマドは「ブログに文章を書いて広告で稼いでいるだけ」で、「その広告費も企業が出しており、全然自由ではなく、たいした成果も出していない」とも伝えたそうだ。
これを聞いたときの友人の様子を、投稿者は
「彼の顔は青ざめていた。やはり頭がいいので、僕の言うことに納得したのだろう」
「『確かにそうだね』と言うと、意気消沈し、言葉数も少なくなり、チビチビと日本酒を飲んでいた」
と綴る。加えて「そのとき食べていた刺身は最高だった」というのだから底意地が悪い。
実は、友人が勤めていた会社は投稿者が入りたくて入れなかった会社で、投稿者は現在ワンランク落ちる企業に勤務している。自分が入りたかった会社に楽々と入った友人に対し、根深いコンプレックスを持っているようだ。
「フリーランスならリソース100%使えるは幻想」が正しい論破だ、という指摘も
この投稿に、ブックマークは600近くついた。コメントの多くは投稿者の狭い考え方に対するツッコミだ。
「で、自分が勝てないと思っていたそいつをボコボコに論破して優位に立った気分になって飲む酒は旨かった、と」
と、投稿者のねたみそねみを見透かした反応や、
「iPhoneを作ったAppleはガレージから、ポケモンGOの任天堂は街の花札屋が元、最初はみんなベンチャーさ」
「どの企業も最初のメンバーは一人、二人からだということを知らないんだろうか」
というコメントも目立った。
「友人はすごいものを生み出そうとしているとは限らず、単に自分の好きなように生きたかっただけかもしれない」という見方もある。「フリーランスに失礼」をはじめ、やることがブログだけという認識はおかしいという指摘も、いくつもあった。
投稿者は友人を「論破した」と言うが、フリーランスなら自分のリソースを100%発揮できるという考えは幻想で、「実際は雑事が大量に増える」が、友人に対する正しい論破だとの声もあった。筆者も同感だ。満員電車や社内政治に巻き込まれない代わりに、自分で営業・実務・事務処理を行わねばならないのだから。
ただ、フリーランスの良い点は「それらをどうするか自分で選べる」ところだ。やりたいことのために誰と取引するか、自分の選択だけで進められる。企業が持つ集合知とリソースはポテンシャルが高いかもしれないが、誰かに雇われている以上、ひとりで決められることに限界はあるし、捨てられる可能性だってある。
何にでもメリットとデメリットはあり、どちらが正解ということはない。自己満足のために他人を否定しても、それこそ何も生み出すことはない。