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初来日の“苦労人”ディルマンがオートポリスでみせた速さの片鱗。片岡龍也監督も太鼓判

2018年05月17日 14:01  AUTOSPORT web

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ピエトロ・フィティパルディの代役として第2戦オートポリスに出場したトム・ディルマン(UOMO SUNOCO TEAM LEMANS)
日本デビュー戦となるはずだった全日本スーパーフォーミュラ選手権第2戦オートポリスは荒天により決勝中止になってしまったが、新外国人選手トム・ディルマン(UOMO SUNOCO TEAM LEMANS)には日本における知名度以上の高いポテンシャルがあり、それが確認されたレースウイークエンドでもあった。

 トム・ディルマンはフランス出身29歳のドライバー。正直なところ、日本のモータースポーツ界にとっては昨季まで名の知れた存在ではなかった。しかしこの春、UOMO SUNOCO TEAM LEMANS 7号車のレギュラードライバーであるピエトロ・フィッティパルディがインディカー・シリーズを主戦場とする予定だった5月の代役ドライバーとしてディルマンの起用が決まり、日本でも急速に注目度が上がることに。

 ディルマンはカートで活動したのち、フォーミュラ・ルノー、F3、GP3、GP2(現FIA F2)などを歴戦してきた。GP2では優勝実績もあり、近年はABBフォーミュラE選手権への参戦も経験。先日のWEC世界耐久選手権の2018/19“スーパーシーズン”開幕戦にもLMP1クラスで出走した。2016年フォーミュラV8 3.5のチャンピオンという看板もある。

 ただ、ストフェル・バンドーンやピエール・ガスリーに比べれば経歴面で派手さを欠いて見えるのは仕方ないし、ピエトロ・フィッティパルディのようなレース界の名家出身でもない。欧州のジュニアフォーミュラをよく知る日本レース界関係者複数名に聞くところでは、「速いけど、やはり資金面がネックで大きなチャンスをつかめなかった、そういう存在のひとり」だという。

「日本のレース、スーパーフォーミュラのことは以前から評判を聞いていて、参戦したいと思っていた」とディルマン。「ただ、なかなか具体的なチャンスがなかったんだ。今回、トヨタとチームが(日本未経験の)自分を信頼して呼んでくれたことは本当にうれしく思っているよ」。

 初オートポリスなのはもちろん、スーパーフォーミュラも初なら、「来日が初めてだ」というディルマンは予選で最下位19位に沈むこととなったが、今はUOMO SUNOCO TEAM LEMANS自体が、山田健二エンジニア急逝による体制再編の影響も含めてパフォーマンス的に厳しい状況に直面しているのは事実。最終的な予選順位が振るわなかったのは仕方ないところだろう(僚友の大嶋和也も18位)。

 だが、金曜と土曜のフリー走行でのタイムの出方を見ている限りにおいては、充分にこのカテゴリーで走れる能力があることをディルマンは示していた。片岡龍也監督も「彼は大丈夫ですよ」と語っている。

■「慣れが必要なのはタイヤ」。限られた時間で状況を見抜く適応力

 そして厳しい状況、短い走行時間のなかでも「もっとも慣れが必要なのはタイヤだ」とディルマンはスーパーフォーミュラのキモを早くに見抜き、「我々のチームはソフトについてはともかく、ミディアムでのパフォーマンスに苦しんでいる面がある。(ミディアム使用限定の)Q1が課題になるね」と現況もきっちり把握していたあたり、適応力の高さの片鱗が感じられた。

 決勝が荒天で中止となり、「残念だよ。僕はもちろん、集まってくれた観客のみんなも残念だろうし、申し訳なく思う」と、苦労人らしくファンへの気遣いも厚いディルマン。

「我々のチームにとっては難しいウイークエンドだった。僕自身、すべてが初めて、ということもあったしね。次のSUGO戦もすぐだけど、今度は僕もまったく(このカテゴリーが)初めてというわけではない。今回の経験を活かしてセットアップを進め、チームと一緒に強くなっていきたいね。結構多くの走行ラインがあるオートポリスに比べれば、SUGOではその面でも取り組みやすいと思う」

 初めて尽くしのなかでも、コースがオートポリスというのは特に厳しい要素だったかもしれない。ディルマン担当エンジニアで、F1トップチーム経験も豊富なスティーブ・クラーク氏も「コース的に見て、SUGOは彼にとってここよりはイージーだろう」と同趣の談話を残している。

 さらにクラーク氏は「彼とは初めて会ったんだが、今回のとても難しい状況のなかでも、いろいろと学習していたと思う」とディルマンを評す。僚友の大嶋にとっても厳しい状況があったことは前提ながらも、「トムは予選でもチームメイトに大きなタイム差をつけられてはいなかった」と、スピードにも一定の評価をしている。

 フランス国籍のドライバーといえば、今年はガスリー、エステバン・オコン、ロマン・グロージャンとF1現役選手が3人もいて、隣国モナコ籍のシャルル・ルクレールも含めればF1全体の2割を占める大勢力。しかし、かつてアラン・プロストを生んだ国も、一時ドライバー市場において苦境を味わい、今世紀に入ってからはF1ドライバー不在になったことさえあったはずだ。

 日本でもおなじみのロイック・デュバル(1982年生まれ)らの世代がF1シート争奪戦ではもっとも苦戦した世代だろう。今の若手であるガスリー、オコン(ともに96年生まれ)らは、もちろん本人たちの才能と努力があっての話だが、おそらくはフランス・レース界の人々の危機感が陽に陰に後押しともなった世代と考えられる。

 ディルマンや故ジュール・ビアンキ(ともに89年生まれ)はデュバル世代とガスリー世代の中間といえるが、まだまだ厳しい環境下で、特にディルマンは実力に見合ったチャンスを充分に得ていたとはいえず、冒頭の「速いんだけど……」という状況に甘んじることになっていたものと見られる。

 そういう彼が、今回のチャンスを得て日本で存在感を高める可能性は充分にありそうだ。過去にもスーパーGTでは日本での事前知名度は高くないながらも素晴らしい力量を見せた存在としてフレデリック・マコウィッキがいたし、なにより昨年はスーパーフォーミュラで、今年はスーパーGTでTEAM LEMANSのドライバーとして大活躍しているフェリックス・ローゼンクヴィストがいる(マカオF3ウイナーながら、彼も来日前は日本にとって“派手系”ではなかった)。

 スーパーフォーミュラのマシンのフィーリングを「ベリーグッドだ。やはり軽いことが最大の特徴だと思う。ダウンフォースも大きいしね」と笑顔で話すディルマン。

「チームのみんなはとてもプロフェッショナルだし、モチベーションに満ちていると感じた。今回は難しかったけれど、次のSUGOではセッティングのスイートスポットを見つけて、ビッグステップを踏みたい」。またひとり、スーパーフォーミュラに楽しみな新顔が加わった。