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『君の名前で僕を呼んで』が綴る“楽園にいた記憶” 同性愛をテーマにした『モーリス』との違い

2018年05月12日 10:12  リアルサウンド

リアルサウンド

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 1983年の夏。17歳の青年エリオは、別荘がある北イタリアの小さな村で運命的な出会いをする。エリオの父親は美術史を教える大学教授で、毎年夏休みに研究を手伝ってくれるインターンを別荘に招いていた。その年、アメリカからやって来たのは24歳の大学院生、オリヴァー。オリヴァーはエリオの部屋を使い、エリオはバスルームで繋がった隣の部屋に移って、2人はひとつ屋根の下で一緒に暮らすことになる。そして、2人にとって一生忘れられない夏休みが始まった。


参考:【画像】『君の名前で僕を呼んで』名シーンを場面写真で振り返る


 イタリアの俊英、ルカ・グァダニーノ監督の新作『君の名前で僕を呼んで』は、アンドレ・アシマンによる同名小説を映画化したもの。脚色を担当したのは、数々の名作を手掛けた監督、ジェームズ・アイヴォリーだ。アイヴォリーが関わったのは、イギリスを舞台に同性愛に目覚めた若者を描いた名作『モーリス』の脚本/監督を手掛けたことが大きかったに違いない。アイヴォリーは原作を気に入り、キャスティングにも関わった。そして、主人公の2人を演じたのは、エリオ役にティモシー・シャラメ、オリヴァー役にアーミー・ハマー。黒髪で華奢なシャラメとブロンドでがっちりした体型のハマーは対照的だが、それはキャラクターの性格にもいえること。繊細ではにかみ屋のエリオは、反対に開放的でたくましいオリヴァーに次第に惹かれていく。


 『ミラノ、愛に生きる』『胸騒ぎのシチリア』など、これまで鮮烈なタッチで大人の愛を描いてきたグァダニーノだが、今回は日々のエピソードを積み重ねながらエリオとオリヴァーの関係を静かに見守っている。そんななか、相手を想う気持ちをさりげない会話や表情に忍び込ませながら、2人の間に特別な空気を生み出していくシャラメとハマー。2人の見事なチームプレイが光るなか、映画の前半はエリオのなかで高まっていく気持ちが物語を引っ張っていく。オリヴァーのことを意識するあまり、オリヴァーが自分のことを嫌っていると思い悩み、気を引くようにオリヴァーにつっかかる。恋に不慣れな若者の戸惑いや興奮を、シャラメが繊細な演技で表現している。そんなエリオとオリヴァーが、湖に沈んだローマ時代の銅像を引き上げに行くシーンが美しい。それは頭が固いローマの教皇によって女神像に作り替えられた美しい男性像で、エリオにどこか似ている。湖のほとりでエリオとオリヴァーは仲直りをするが、握手をしようと手を差し伸べたエリオにオリヴァーは取れた銅像の手を差し出して微笑む。初めて2人が心を通わせた瞬間だ。


 オリヴァーへの気持ちが高まるにつれ、エリオはオリヴァーの身代わりのように近所に住む女の子と仲良くなって関係を持ってしまう。でも、女神像に作り替えられた銅像のように、自分の気持ちを変えることはできない。オリヴァーが留守の間に部屋に忍びこみ、オリヴァーの服の匂いを嗅いで胸を高鳴らせるエリオ。その日、オリヴァーは朝まで帰らず、エリオは寝れないまま朝まで待ち続ける。そこで流れるのがスフィアン・スティーヴンス「Futile Devices」だ。「I Love You」というサビのフレーズがエリオの心の声となって愛を告白する。スフィアンはグァダニーノに依頼されて、主題歌「Mystery of Love」を含めて3曲を映画に提供。グァダニーノはスフィアンの歌を「映画の重要なナレーション」とコメントしているが、3曲のうち「Futile Devices」だけ既発曲を映画用にリミックスしたもの。監督の選曲らしいが、まるで書き下ろしたように映画にフィットしている。


 お互いの気持ちを探り合いながら、磁石のように引き合う2人。先に気持ちを伝えることを決意するのは、若いエリオだ。一緒に散歩に出掛けた先で、エリオが告白するシーンでは、グァダニーノは劇的なシチュエーションは作らず、のどかな昼下がりの田舎の風景のなかで2人の芝居に物語を委ねる。ひたむきなエリオと、大人の分別で自分の気持ちを抑えようとするオリヴァー。2人は『モーリス』のモーリスとクライヴの関係を彷彿させるところもあるが、肉体関係まで踏み込まなかったクライヴに対して、オリヴァーはエリオと愛し合うことを選ぶ。同性愛に厳しいイギリスの堅苦しい上流社会に対して、夏の陽射しが降り注ぐイタリアの田舎は開放的で楽園のようだ。タイ出身のサヨムプー・ムックディプロームの見事なカメラが、楽園のなかで語り合い、愛し合う2人の姿を追いかける。


 これまで同性愛を題材にして数々の映画が撮られてきたが、その多くは『モーリス』のように〈禁じられた恋〉の悲しさが滲んでいた。しかし、本作は2人を迫害する者はなく、エリオの両親は2人の関係に気付きながら、エリオが成長する過程で重要な経験として受け入れる。ただひとつ問題なのは、オリヴァーがアメリカでは自分が同性愛者であることを隠していること。オリヴァーは「それを知ったら両親は僕を精神病院に送るだろう」とエリオにもらす。映画の後半、そんなオリヴァーの背景がわかることで、エリオの憧れの対象として描かれていたオリヴァーに人間味が生まれて、2人の関係に奥行きが出て来る。夏が終わると、オリヴァーは本当の自分を隠さなければいけない故郷へ帰国する。2人の楽園は期間限定。だからこそ毎日が愛おしい。2人が共に過ごす日々の一瞬一瞬のきらめきを、グァダニーノは鮮やかにフィルムに刻み込んでいく。


 やがてオリヴァーが帰国する日が近づき、2人は小旅行に出掛ける。2人が旅先で滝を見に行くシーンで主題歌「ミステリー・オブ・ラブ」が流れ、美しいメロディーに乗って「この恋はいつ終わるの」とスフィアンが歌う。幸福感と切なさが入り交じった忘れられないシーンだ。


 これまで、毎回、音楽にこだわってきたグァダニーノだが、今回のサントラも素晴らしい。スフィアンの提供した曲を核にして、ジョン・アダムスや坂本龍一といった現代の作曲家やクラシックのピアノ曲をサントラとして使用。芸術を愛するエリオ一家の雰囲気を醸し出し、物語に気品を与える一方で、ラジオからは当時のヒットソングが常に流れている。なかでも印象的なのはサイケデリック・ファーズ「Love My Way」だ。劇中で2度流れるが、この曲が流れるとオリヴァーは踊らずにはいられない。「僕のやり方で愛して」と歌われるこの曲は、本当の自分を隠し続けてきたオリヴァーにとって、メッセージソングのようなものだったのかもしれない。


 そして、映画のラストシーンでも音楽は重要な役割を果たしている。映画史に残るであろう長回しの3分間。スフィアンの「Visions of Gideon」が、悲しみに堪えるエリオに寄り添うように流れる。外はしんしんと雪が降り積もる雪景色。あの素晴らしい夏は終わってしまった。過ぎ去ってしまった美しい時間へのノスタルジックな想い。それが、本作に神聖な雰囲気をもたらしている。


 同性愛の恋人たちを描いてはいるものの、本作は愛についての普遍的な物語だ。誰かを愛する喜びと痛みが、みずみずしいタッチでスクリーンに描き出されている。そして、これは青春についての物語でもある。10代だったからこそ、エリオはその気持ちを真っ直ぐにオリヴァーに打ち明けることができたし、傷ついたことが彼の成長に繋がることが暗示されている。悲しみにくれるエリオに対して父親が語りかけるスピーチは、映画を観る若者たちへのメッセージでもある。愛した相手が異性であろうと同性であろうと関係ない。誰かを愛し愛された体験が、楽園にいた記憶が、人にとってどれだけ大切かを、この映画が教えてくれるだろう。


(村尾泰郎)